未完成なふたり

「はァ? 合コン?」


 言いながら、シャンクスは既視感を覚えた。以前にも確か、こんな切り返しをした覚えがある――目の前のこの男に。


 ベンは何も答えず、ただ資料だけをデスクの上に置いた。薄い眉と眉の間に、皺が寄っている。厄介なことを伝えようとしている時の、この男の癖だ。


「またかよ……この前もだったよな? 合コンって、そんなに開催されるモンなのか? いくら仕事上の付き合いだからって……」


 自分の眉間にも皺が寄っていくのが分かる。***本人よりも、***を誘った人間の方に苛立ちを感じた。


「いや――」ベンは紫煙を吐き出してから続けた。「どうも今回は、勝手が違うらしい」

「……勝手が違う?」


 なるほど。それでこのカオか――シャンクスは心を構えた。ベンの眉間の皺は、大抵良くない話を連れてくる。


 ベンは、渋々といったふうに口を開いた。


「主催したのは***だ」

「……は?」

「主催だ。呼ばれて行った、ではなく、***の意思で開催された、ということだ」

「……」


 シャンクスは、デスクに鎮座している資料に手を伸ばした。中からは、今ベンが喋ったような内容の報告書と、数枚の写真が出てきた。


 以前見たのと同じような光景だ。前回と違ったのは、写真の中の***はとても楽しそうで、リラックスしているようだった。隣に座っている男に、無防備な笑顔を晒している。


「……この男」

「あァ。どうやら、そいつが〈肝〉らしい」

「……カオがよく見えねェな」

「わざとだ」

「あ?」


 ベンは、葉巻をくわえた口元を、にやりと歪めて見せた。


「カオが写らねェように撮ってこいと、おれが指示した」

「……なんのために」

「『なんのために』だと? 分かりきったことを訊くな。おれがそんな〈ヘマ〉をすると思うか?」

「……」


 はたから聞いていたら何の話かと思うだろうが、シャンクスにはそれだけで十分に伝わった。いや、正確には、カオが写っていない時点で分かっていた。


 シャンクスは薄く笑って見せた。


「おれがこの男を殺すとでも?」

「……いや。そこまでとは思わなかった。どうやらおれの判断は正しかったらしい」

「……そうみてェだな」


 シャンクスはジャケットを羽織った。資料の中から写真を一枚抜き取ると、胸ポケットに入れる。残りの資料は、機密ボックスという名のゴミ箱へ放った。


「……どうする気だ」


 ベンが、めずらしく不穏そうな声色を出す。


 車のキーを掴むと、シャンクスは振り向いて言った。


「安心しろ。***を殺したりなんてしない」


 背中で、紫煙を深く吐き出す音がした。





 見慣れた家の前で停車して、シャンクスは車を降りた。


 茶の間の窓を見ると、カーテン越しに明かりが漏れている。この時間、***の両親は就寝しているから、起きているのは***だとすぐに分かった。***も比較的早寝だが、今日は起きているらしい。


 敷地内に足を踏み入れて、リビングの窓ガラスを軽く叩く。スマートフォンを胸ポケットから取り出して、『おれだ』と素早くメールを打った。


 しばらく待っていると、玄関の外灯がぱっと点灯した。それを確認すると、シャンクスは玄関まで移動した。


 鍵が回される音がして、ドアノブが動く。


 隙間から、***がひょっとカオを出した。


「……よォ」

「……」


 シャンクスのカオを見た***は、何かを言おうと一瞬唇を割ったが、息だけを飲んですぐに閉じた。シャンクスの様子がいつもと違うことに気が付いたからだろう。


「……入る?」

「……あァ」


 短く交わして、二人はリビングに向かった。


 シャンクスが、いつも座る位置に腰を下ろすと、***はテーブルを挟んで真向かいに座った。


「……」

「……」

「……何かあったの?」

「……」


 自分との婚約を、破棄したいのではないだろうか――あの写真を見た時、シャンクスはそう感じ取った。


 そして、その理由として、他の男を探している。『自分に他に好きな男が出来れば、幼なじみはきっと、すんなりと身を引く』――シャンクスのことをよく分かっている***なら、そう考えてもおかしくはない。


 シャンクスは、何に置いても引き際の良い男だった。ビジネスのことにしても、女のことにしても――。だからこそ、ここまでの大企業の指揮を執り続けてこられたし、女性関係で揉めるようなこともそうそうなかった。


 けれどそれは、昔の話だ。そう――***と婚約をする、前の。


「おまえ……」

「……うん」


 伝え方が難しい。感情のままに言葉を発すれば、こじれることは目に見えていた。せっかく縮まりかけた***との距離に、溝が出来るようなことは避けなければならない。そのためには、話の切り出し方が肝心だ。


 ***を責めるような物言いは、決してするべきではない。シャンクスは深く息を吸った。


「おれに何か、その……隠し事、してないか?」


 そう訊ねれば、目の前の***は、きょとんと目をまるめた。


「隠し事?」

「ああ」

「シャンクスに?」

「ああ」

「私が?」

「……ああ」

「……」


 ***は、宙を見つめて眉間に皺を寄せた。心当たりがないことを思い出そうとしている時の、***の癖だ。


「……ない」

「……」

「と、思うけど……」

「……」

「どうしてそんなこと訊くの?」

「……」


 胸ポケットに手をやりかけて、止まる。物的証拠を突きつけてどうする。それこそ、追い詰めるようなやり方ではないか――。


「いや、その――」行き場をなくした右手で鼻を掻いた。「見たっていうやつがいてよ」

「見た? 見たって、何を?」

「いや、まァ、なんだ。その……」

「どうしたの? シャンクス。はっきり言ってよ。らしくない」


 ***はそわそわと身体を揺らしている。話が見えないうえに幼なじみの様子が『らしくない』ともなれば、不安にもなるだろう。


 シャンクスは頭をがしがしと掻いてから、答えた。


「おまえが、合コンしてたって」


 はっきり、きっぱりとそう言うと、***は前のめりにしていた身体をようやく引いた。


「合コ――ああ」

「……」

「ええっと……」

「……」

「……うん」

「……行ったのか」

「あ、でも……隠してたわけじゃなくて――」

「言ってないんだから、隠してたんだろ」


 しまった――自分の声色の鋭さに、とっさにそんなふうに思う。


 けれど、言葉に詰まった***を見ると、なぜか無性に苛々した。やましいことがあるから、答えにくいのではないか――。
 

「い、言おうと思ったんだけど、その……シャンクス、忙しそうだったから――」

「なんだよ。おれのせいか?」

「あ……いや、そういう意味じゃなくて――」

「そもそも、婚約してるのに、なぜ合コンに行く必要がある?」

「それは……だから――」

「合コンなんて、出会いを求めに行くようなとこだろう」

「……」


 ***の無言が肯定に見えて、シャンクスの苛立ちがはっきりと赤くなる。


 とっさに、尖った声が出た。


「おまえ……おれとの婚約を、破棄にでもしたいのか?」


 ***が、俯きかけていたカオを上げる。そして、慌てたように首を横へ振った。


「違うよ。あれは仕事上の――」

「何が仕事上の付き合いだ。自分で主催しておいて」


 シャンクスのその一言に、***は眉をひそめた。


「どうして、そんなこと知ってるの?」

「……」

「もしかしてシャンクス……私のこと調べてるの?」

「……」

「私が、自分にふさわしい女かどうかって?」

「バカ言うな。そんな理由じゃない」

「じゃあなに? どんな理由があったら、幼なじみを調査したりするの?」

「だから――」

「私を信用できないから、そういうことするんじゃないの?」

「違うって言ってるだろっ」


 語気を荒げたら、***が怯えたように肩を揺らした。


 ***のこんなカオを見たのは初めてで、そのことに驚いてすぐに頭が冷える。


 そうか――***とこんなふうに喧嘩をするのは、初めてだからだ。
 

「……悪い」

「……」

「怒鳴ったりして――」

「自分だって……」

「……あ?」


 ***が、小刻みに震えた、小さな声で言った。


「自分だって……女の人と二人で会うくせに」


 控えめなその責め句に、シャンクスの眉間の皺が再び寄った。


「どうして今おれの話を蒸し返すんだよ」

「だって、私はダメで、シャンクスがいいなんて、おかしいじゃんっ」

「あれは、仕事上の付き合いだって――」

「ほらっ。自分だってそうじゃんっ」

「大きな声出すなよ。落ち着けって」

「シャンクスだって、さっき怒鳴ったじゃんっ」

「だから、悪かったって――」

「シャンクスの方が、全然信用できない!」


 シャンクスは言葉を失った。頭を鈍器で殴られたようだ、なんていう比喩をよく聞くが、あながち間違いではないらしい。


 自分でも少し意外だったが、***に『信用できない』と思われていることが、ひどくショックだった。


 シャンクスは、ようやく口を開いた。


「なら……なぜその時にそう言わない」

「……」

「婚約してから、初めて記事が出た時だって――」

「……」

「おれが説明しようとしたら、おまえが断ったんじゃねェか」

「……」

「てっきり……信用してくれてるから、言い訳なんて聞かなくても分かると――」

「……」

「そういう意味だと思ってたんだがな」


 ***が、きゅっと唇を結ぶ。目線は、シャンクスから完全に逸らされていた。


 これ以上は話し合いにならない――***の様子からそう判断したシャンクスは、無言のまま立ち上がった。


 茶の間を出る直前、シャンクスは立ち止まった。そして、


「おれは……おまえとの結婚を、やめるつもりはない」


 そうとだけ告げた。


 茶の間を出て、玄関も出る。――***は、追いかけてはこなかった。


 車に乗り込んで、少し乱暴にドアを閉める。太く長い息を吐き出して、ハンドルにもたれかかった。


 ああ、苛々する。なぜこんなにも伝えられない。――分かってやれない。


 ***に苛立っていたはずなのに、一人になると自分に対して苛立ちを感じた。むしろ、***に感じた憤りより、遥かに強い。


「せっかく会えたのに……」


 女々しい一言が口をついて出てきた。緩慢な動きでシートベルトをする。エンジンを掛けようと手を伸ばしかけて、止めた。


 シートベルトを素早く外して、車を降りようとドアに手をかける。


 その瞬間に、玄関の外灯と、茶の間の電気が消えた。


 シャンクスは再び息を吐き出してから、車を発進させた。


未完成なふたり


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