恋愛結婚のすゝめ 1/3
「ええっ、エッチしちゃったの?」
内容が内容だけに、控えめな声量でそう声を上げた。
今年で結婚七年目になる友人は、ぺろっと舌を出しておどけてみせる。
「だってかわいかったんだもーん」
「だもーんってアンタ……それって不倫じゃない」
そう言ってあきれたようにため息をついたのは、もう一人の友人。
最近弁護士の恋人ができて順風満帆らしいその子は、地位のある男性に目がない。
それを重要視するがあまり、見た目はやや残念な男性をいつも連れてくる。
世の中ってうまくできてるもんだなァなんて、妙に感心してしまった。
「でもいいなァ、年下の男の子! あー、私も恋したい!」
そう言ってうっとりと宙を見つめたのは、さらにもう一人の友人。
ほんわかした見た目とは裏腹に結構肉食なところがあったりして、医者の卵と結婚したときは『さすが』と拍手を贈ったものである。
花の金曜日。(古い?)同僚である女友だち4人で、ガールズトークに華を咲かせていた。
ガールズ、なんて言っていいのか、もうギリギリの年齢ではあるんだけど。
「二人とも、どうしてダンナさんがいるのに他の人と恋したいとかエッチしたいとか思うの?」
至極当然な疑問を既婚者二人に投げかければ、二人はあきれたように大きくため息をつく。
「これだから処女は困るのよ」
「え、わ、私処女じゃないんだけど」
「処女みたいなモンでしょ。つい最近セックスしたのいつよ?」
「い、いや、まァ、それは」
「えー、***エッチしてないの? よく我慢できるねー」
三人にそう矢継ぎ早に攻められて、私は反撃できる手立てもなく押し黙ってしまった。
「いい? ***。結婚と恋愛は別なのよ、別!」
「えっ、じゃあダンナさんのこと好きじゃないの?」
「好きかキライかで言ったらそりゃ好きよ?」
「でも、今も男として見てるかって言われたら話は別っていうかー」
既婚者二人がカオを見合わせながら「ねー!」と頷き合う。
すると、弁護士の恋人がいる友だちも大きく首を縦に振った。
「そうよ、***。結婚するなら金と地位のある男にしなさい! なんなら弁護士の友だち紹介してもらおうか?」
「だ、大丈夫。ありがとう」
「あーあ、どっかにイイ男いないかなァ。ツトムくんみたいな」
「だれよ、ツトムって」
「ほら、最近出てきた俳優のさァ」
「やだァ、年下じゃない。私は年上の大人な男がいいなァ」
「へェ、たとえば?」
「たとえばねー」
きゃいきゃいと男性の名をあげ連ねながら、あーでもないこーでもないと議論する。
……なんということだ。
現代の性がこんなに乱れていたとは……。
おでこにチューごときで死にそうなくらい緊張した私っていったい……。
そんなことを考えながら一人項垂れていると、だれかの「あっ」という何かを思い付いたような声で会話の方へと引き戻された。
「ねェねェ! あの人は?」
「だれだれ?」
「ほら! レッドフォースの社長!」
「げっほっ……!」
とりとめのない会話の中に突然幼なじみが出てきたもんだから、思わず思いっきりむせてしまった。
「ちょ、***大丈夫?」
「ご、ごめんごめん。大丈夫……」
「あれは上玉すぎるでしょー。現実味がなさすぎよ」
「そこいらの芸能人と関係持つより難しいわ」
「あれ、たしかあの人独身よね?」
「なんでかなー。あんなにカッコイイのに……」
「そりゃあそうでしょ。あれほどのイイ男が一人の女におさまるなんてそんな面倒なことわざわざすると思う?」
「だよねー。たしかにあの人が噂になった女ってみんな華やかさ重視だもん」
「家庭向きではないわねー。今付き合ってんのだってたしかパリコレに出たあのモデルでしょ?」
「ちがうわよォ。情報が古い古い! 今はあの大手化粧品メーカーの社長秘書でー」
「あっ、あのさ」
ゴシップニュースさながらの会話に横やりをいれてそう切り出せば、三人は一斉に私を見た。
「そ……そういう人が結婚を決意するときって、どういう時かな」
私のその問い掛けに三人は少しだけ目をまるくしてから、ううんと低く唸り出す。
「そうねェ、やっぱりずっと独身だと体裁が悪いから、とか?」
「単に独り身が寂しくなったとかー」
「子どもがほしくなったりね」
「……」
な、なるほど……。
この三人ならではの推測に、私は心の中で密かに感心した。
「一緒にいてなんとなく安心できる女が現れたら、まァいっかくらいに思うんじゃない?」
「な、なんとなく……まァいっか……」
「女としてみられなくたって、身の回りのことしてくれればそれでいいもんねェ、嫁なんて」
「お、女としてはみられない……」
「そうそう、あとは外に愛人作っちゃえば下半身だって困らないんだし」
「……」
ついに言葉を失って、私は俯き加減でグラスの縁を舐めた。
「でもあの社長だったら私それでもいいわー」
「そうよねー。一ヵ月に一回帰ってきてくれたらそれで満足しちゃうわ」
「それにさ、他の女を抱いてきたその身体で愛されるのって、なんか逆に燃えない?」
「わかるー!」
「わかるー!」
「すみません、お会計お願いします……」
会話に着いていけなくなった私は、たまたま通りかかった店員さんに力なくそう告げたのだった。
*
「はァ……」
ほろよいだった三人と別れて、賑やかな街中を一人歩いていく。
こんな辛気臭いカオでとぼとぼ歩いている女が、つい先日、ずっと好きだった人にプロポーズされたなんてだれも思わないだろう。
あの日から、どんなにどんなに考えてもわからない。
どうしてシャンクスが、私なんかにプロポーズしたのか。
「悪い冗談かと思ったのに、指輪と合鍵まで準備してあったし……」
体裁が悪いからっていうのは多分ないと思うんだよね。あの性格だし、体裁とか気にするタイプじゃない。
独り身が寂しいって柄でもないし、子どもは好きだけどそれだけで結婚っていうのもイマイチしっくりこない。
だけど、かといってシャンクスが私を好きだとも思えない。というか、それが一番ありえない。
シャンクスの女関係は、そこいらの芸能リポーターより詳しいはずだ。
ちなみに、パリコレモデルの後に付き合ったのは化粧品メーカーの社長秘書じゃなくて、フランス出身の映画女優だ。
昔っからモデル体型(もちろん美人)が好きなんだよね、シャンクスって。
なのに……。
「……なんで結婚相手が私」
言うまでもなく、私の見た目はそんな華やかな歴代の恋人に比べたら月とスッポン……いや、それ以上の差がある。
かといって、特に性格がすっごくいいわけじゃないし。(このあいだシャンクスに卑屈って言われたし)
だから、シャンクスが私を好きになるなんて、万にひとつの可能性もない。
そもそも、二十年以上一緒にいても、今までシャンクスが私を女としてみたことなんてなかったんだから。
「強いて言うなら安心感かな……」
小さい頃から一緒にいる幼なじみだし。気心の知れた仲だから、楽は楽だと思うけど……。
だけど、それにしたっていきなりこんなにランク落とす? 一生一緒にいるんだよ?
多少気を遣ったって、私だったら間違いなくフランス人女優を選ぶ。
「ダメだ、やっぱり考えてもわかんない……」
謎だ。謎すぎる、あの男。
大きくため息をつきながら、定期を取り出そうとバッグの中を探ったところで、私はあることに気付いた。
「ん? あれ……あれっ?」
いつもの定位置に、家の鍵がない。
どんなにバッグを引っ掻き回しても、どこにも見当たらない。
「……最悪だ」
私はぼう然と立ち尽くした。
なぜなら、今日から両親は旅行に行っているため、家はもぬけの殻。どんなに玄関先で騒ぎ立てたところで、家の中には入れないのだ。
「どうしよう……」
さっきの友だちは二人が既婚者だし、もう一人は今夜弁護士の恋人のところへお泊りだ。
かといって、こんな時間に他の友だちに連絡するなんて迷惑極まりないし……。
「お金もないからホテルにも泊まれない……」
街中には、バカ騒ぎしているやんちゃな若者たち。
まさかこんなところで女一人野宿するわけにも
「……あ」
ふと目に入ったのは、インターネットカフェの看板。
そういえば、たしかここって泊まったりすることもできるんだよね。
「……よ、よし」
ちょっと怖いけど仕方がない。今日はここにお世話になろう。野宿よりはマシだ。
ええっと、金額は……。
店外に置いてある料金表をおずおずと覗き始めた、その時、
「***……?」
突然、自分の名前が右横から聞こえてきて、私はその方へカオを上げた。
「……! シャ、シャンクス……!」
「やっぱり、***じゃねェか! おまえこんなとこで何やってんだ?」
そこには、まさに私の悩みの種。シャンクスが目をまるくして立っていた。
「シャ、シャンクスこそ、こんなとこで何してるの?」
「おれは今帰ろうと思ってそこ通り掛かったら、おまえに似た女がいたからよ」
そう言いながら、シャンクスは道路に停めてある自分の車を目くばせした。
「そうだったんだ……こんな時間まで大変だね。おつかれさま」
「おう……ってんなことより、おまえは何してたんだよ」
「い、いや、それが、家の鍵忘れちゃって……」
「? おっちゃんとおばちゃんは?」
「……今日から旅行」
「……バカだな、おまえ」
「……」
あきれたように大きくため息をつくシャンクスを、じとっと睨み付けた。
「バカです、どうせ」
「……それでこれか」
そう言って、シャンクスはインターネットカフェの看板を見た。
「そうそう、こういうとこってたしか泊まれたりするよね?」
「……」
「お金もないから助かるよ。便利な世の中だね」
「……」
「じゃあシャンクスも気を付けて帰るんだよ。おやす」
そこまで言いかけたところで、頭に思いっきりチョップをかまされた。
「いっだー! ちょっ、何すんの!」
「おまえはバカだな、ほんとにバカだ」
「なにがっ……え、もしかしてここって泊まれないの?」
「そういう問題じゃねェだろ、そうじゃなくて……いや、もういい。とにかく来い」
「へ、えっ、ちょっ、ちょっとっ」
何かをあきらめたように、苛立ちながらシャンクスは私の腕を乱暴に引いた。
シャンクスの車まで辿り着くと、シャンクスは助手席のドアを開ける。
「乗れ」
「え、な、なぜ」
「いいから早くしろ」
「いだだだだ……!」
頭を無理矢理押しこめられて、私はわけがわからないまま助手席に座った。
シャンクスは運転席に乗りこむと、ギロッと私を睨み付ける。
こ、こわー……。
「おまえなァ……」
「な、なに怒ってんの?」
「……いや、いい。説教は家に着いてからにする」
そう言うと、シャンクスはゆっくりと車を走らせた。
「ど、どこ行くの?」
「……おれんち」
「え……ええっ」
「……」
「いっ、いいよいいよそんなっ! 私ネットカフェで大丈」
「……」
「……」
そ、そんな殺人的な目で睨まなくても。
あれ、私シャンクスになんかしたっけ?
「じゃ、じゃあ……おじゃまします」
「……あァ」
「……」
「……」
……まずい。
また緊張してきた。
シャンクスにプロポーズされてからというもの、いつもこうだ。シャンクスと二人きりになると、緊張する。
ドキドキはずっとしてきたけど、緊張はしたことなかったのに。
しかも……シャンクスの家にお泊りなんて……。
ど、どうしよう。変な感じになったら。
処女同然の私はいったいどうすれば、
『一緒にいてなんとなく安心できる女が現れたら、まァいっかくらいに思うんじゃない?』
『女としてみられなくたって、身の回りのことしてくれればそれでいいもんねェ、嫁なんて』
『あとは外に愛人作っちゃえば下半身だって困らないんだし』
……。
ないか。そんなこと。シャンクスが私に変な気なんか、起こすわけない。
なぜか機嫌の悪そうなシャンクスの横顔を見つめる。
私、愛のない結婚をするのか。
よりによって、好きな人と。
いいのかな、私それで。
いいのかな、シャンクスはそれで。
……いいのかな。
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