弱い者同士 2/2
船員たちと比べて重症ではあったが、ローのみごとなメスさばきで女は一命を取り留めた。
そのすべてが終わると、ローは一息つくこともなく、手術室のドアを乱暴に開ける。
不安げに眉を寄せた***をその目に映すと、ローはズカズカと***に向かって行った。
怒りをあらわにしたローに対して、だれもが手術の結果を問おうとしていた口を噤む。
その怒りの矛先である当の本人は、どうやらそんなローの様子より気になるものがあるらしかった。
「ロー…!!あの子はっ、……………いたっ…!!」
「来い。」
その問い掛けには答えず、ローは荒々しく***の腕を掴むと、船長室へ向かった。
引きずられるようにして連れ去られる***を心配そうに見守りながらも、だれも助け舟など出せるはずもない。
船長室の扉を壊れるんではないかという勢いで開け放つと、ローは***を思いきりベッドへ放った。
「ロ、ロー、」
「どういうつもりだ、てめェ!!」
「っ、」
抑えていた感情が爆ぜたようなローのその怒鳴り声に、***の小さな身体はビクリと揺れる。
「船に戻ったら一歩も出るなと、あれほど言っただろうが!!」
「ご、ごめんなさ、」
「クルー全員、おまえはもう船にいるもんだと思ってたんだ!!シャチが気が付かなかったら今頃おまえは海軍に捕まって晒し首だ!!」
「っ、」
「それだけじゃねェ…!!あとほんの少しでも出航が遅れていたら、おれたち全員インペルダウン行きだったんだぞ…!!」
「…!!」
そのローの言葉に、***のカオがサッと蒼ざめる。
「人助け稼業じゃねェんだ!!いちいち巻きこまれたヤツらの面倒なんか見てられるか、バカヤロウ!!」
「っ、」
固く閉じられた***の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
大きく震える***を見下ろすと、ローは乱れていた呼吸を整えようと、大きく息をつく。
「っ、ごめっ、なさ、」
「…………………。」
「みんなが、っ、心配でっ、船、っ、下っ、覗いたらっ、あの女の子が、」
「…………………。」
「私に、っ、向かっ、て、っ、手、伸ばしながら、……………『助けて』って、」
「…………………。」
「行っちゃだめだって、っ、おも、っ、思ったんだけど、っ、でも、」
「…………………。」
「何回も、っ、何回も言うから、だから、っ、……………私…」
「…………………。」
しゃくりあげながら呟くようにそう言った***に、ローは大きく溜め息をついた。
「…………………それでも放っておくのが『海賊』だ。」
「っ、」
「一瞬の判断ミスが、命取りになる。」
「…………………。」
「死にかけだろうがなんだろうが、得体の知れねェヤツを船に乗せるなんざ、海賊失格だ。」
扉の取っ手に手を掛けたローは、続けて吐き捨てるようにこう言った。
「…………………おまえは、…………………海賊には向いてねェ。」
「…!!……………ロ、」
***が自分の名を紡ぐより早く、ローは大きな音を立てて扉を閉めた。
抑えきれない苛立ちを壁にひとつぶつけると、ローは苦い表情のまま、船長室をあとにした。
―…‥
「めずらしいですね、船長がこんなところで…」
甲板で一人、ぼんやり酒盛りをしていると、落ち着き払った声が後方から聞こえた。
今日の功労賞は、間違いなくこの男だ。
「……………あの女は。」
「今シャチに見張らせています。」
「……………そうか。」
そうとだけ口にすると、ローはぬるい酒をなめた。
ぽっかり浮かんだ月を見上げると、ローは先程の自分の言葉を思い出す。
『…………………おまえは、…………………海賊には向いてねェ。』
「…………………なにをいまさら…」
「船長…?」
「分かり切ってたことじゃねェか…」
「…………………。」
そう、分かり切っていた。
***を攫っていくと決めた、あの日から。
***が、決して海賊なんかには向いていないことを。
足手まといになるであろうことも、今日のような日が来るであろうことも、
すべて、想定していたはずだ。
しかし、それでも、
「それでも、……………アイツを連れて行くと決めたのは、おれだ…」
「…………………。」
「すべてわかったうえで、それでも連れて行くと…」
「…………………船長…」
理由なんて、大したことはない。
自分が、***と離れられなかった。
***のいない日常が、考えられなかった。
ただ、それだけ。
完全なる、自分のわがまま。
自分が無理矢理、***を『海賊』にした。
***は、なにひとつ悪くない。
海賊の前に、人として、
自分の心に、正直に従っただけだ。
「船長としちゃ、失格かもしれねェな…」
「え…?」
「本当はあの時、捨てていくべきだったんだろうな。あの女も、…………………***も。」
「…!」
少なくともあの時、***にはその覚悟があった。
『行けない…!!この子を見捨てていくなら…!!私もここに残る…!!』
「アイツの方が、……………よっぽど海賊らしいかもしれねェ。」
「…………………。」
「普段はなんでもほいほい言うこと聞くくせによ…」
「…………………。」
「肝心な時に、思い通りにならねェ…」
自分を嘲るようにローは小さく口の端を上げると、グラスの中の酒を空にした。
「…………………そうでしょうか?」
「あァ?」
「少なくとも、あの時の船長の判断は正しかったと、おれは思いますよ。」
「…………………。」
怪訝な表情をペンギンに向けると、それをさらりと受け流して、ペンギンはローの手からグラスを取り去った。
「***がいなくなったら、誰があなたの精神を安定させるんです?」
「…………………。」
「情緒不安定な男が船長をやってる海賊団なんて、このグランドラインでは3日と持ちませんよ。」
ローの使用していたグラスを左右へ小さく振りながら、ペンギンは去っていった。
その背中を見送りながら、ローは小さく息をつくと、再び月を見上げる。
いつだったか、子どもの頃に***と一緒に見上げた夜空を、ローは一人、思い出していた。
―…‥
翌朝、なんとなく寝付けなくて、いつもより数段早い時間に甲板へ出れば、ローはその光景に目を見張った。
昨日の騒ぎで荒れ果てていた船内は、それがまるでうそのように元通りになっている。
それどころか、いつものそれより新品のように美しい。
血の跡ひとつ、見当たらないほどだった。
「船長!」
そのただならぬ様子に唖然としていると、シャチがわたわたと走り寄ってきた。
「おはようございます!」
「……………なんだ、これは。」
「それが…」
そこで言葉を切ったシャチが、ある方向へカオを向ける。
導かれるようにその方を見ると、そこには…
「***…?」
そこには、屈強な船大工たちに混ざって、懸命に船の修復にあたる***がいた。
「一睡もしないで、やってたみたいっす…」
「…………………。」
「少しは休めってみんな言ったんだけど、聞かなくて…」
「…………………。」
這いつくばってせっせと床を磨く***から、ローは目を離さなかった。
すると、船大工の一人がローの存在に気が付いて、***に声を掛ける。
船大工に目を向けた***は、程なくしてパッとローの方へとカオを向けた。
慌てたようにそこから立ち上がると、***はローの元へと駆け寄ってきた。
「お、おはよう、ロー…」
「…………………。」
「その、……………昨日は、ほんとにごめんなさい…」
「…………………。」
「海賊なのに、……………甘っちょろいこと言ったりして…」
「…………………。」
「あの、……………私、」
ぎゅっと、力強く雑巾を握る。
その手が、赤く、擦り切れていた。
「も、もっと、その、ちゃんとするから…」
「…………………。」
「ローの考えに着いていけるように、頑張るから…」
「…………………。」
「だから、」
そこで言葉を詰まらせると、***は小さく頭を下げた。
「私を、……………ここに置いてください…」
「…………………。」
「私にできることは、なんでもするから、……………だから…」
「…………………。」
「ローに、っ、捨てられたら、……………私…」
「…………………。」
身体を丸めて深く俯きながら、***は途切れ途切れにそう告げた。
ローは、小さく震えるその肩を見つめると、やがて、くるりとその身を翻す。
そのローの行動に、打ちのめされたであろう***を背中で感じとると、ローはゆっくり口を開いた。
「…………………コーヒー。」
「……………え…?」
「あと、このあいだ町で買った医学書。」
「ロ、ロー、」
「それから簡単につまめるような食いもん。」
「あ、あの、」
「それ揃えたら、その薄汚ねェ服着替えて、さっさと船長室に持ってこい。」
カオだけで***の方を振り向くと、ローは続けてこう言った。
「……………なんでも言うこと聞くんだろ?」
「…!!」
「モタモタすんな、バカ。」
いつものように意地悪く口の端を上げると、***の両目からは堪らず涙が零れ落ちる。
…………………強くなってやる。
おまえのその甘っちょろさを守れるように。
その大きな背中に、小さく「はい」と応えると、***は駆け足でそのあとを追った。
弱い者同士
言っとくが、医学書読んでる時は膝枕だからな。
ひっ…!!ひひひひひっ、膝枕…!?
『なんでもする』んだろ?
…!![ 8/68 ][*prev] [next#]
[mokuji]
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