探りあい、騙しあい、誘いあい

スキンケアを丁寧に仕上げると、ブラシにパウダーをなじませて顔に纏わせていく。


カラーは、薄いピンクが良い。『こういう時』のメイクで最優先されるのは、カバー力ではなく透明感だ。


チークは、ほんのり赤みがかったものを使用した方が良い。紅潮している頬は、情事中の女の表情を演出することができる。


アイメイクはほとんどしない。1番の武器を着飾らないことで、相手に付けこませる『スキ』をつくるのだ。


仕上げに紅いリップグロスを唇の中央に置いて、薬指で左右に伸ばしていった。


ヘアコロンを数回プッシュすると、ルピは全身鏡の前でくるりと回った。大きめの白のニットが、ふわりとわずかに浮く。


『あの男』の前では、胸の谷間も太もももあらわにするべきではない。うん、ちょうどいい丈だ。


鏡に写った自分に人さし指を向けると、「武装完了っ!」と言って銃を撃つような真似事をした。


ー…‥


『…だれだ。』


そのドアをノックすれば、不機嫌そうな声がドアの向こう側から聞こえてきた。そのことに、内心ルピは安堵した。


眠っていられたんじゃあ、計画が台なしだ。たまったもんじゃない。


「私です。ルピ。」


短くそうとだけ告げると、ルピは相手の出方を窺った。


ドアの向こうからは、物音ひとつしない。警戒心の強いあの刺すような目を思い出して、ルピはぞわぞわと全身の毛が立ち上がるのを感じた。


やがて、室内を歩く足音がすると、ゆっくりとドアノブが回された。


現れた長身であるその男を見上げると、ルピは柔らかく目を細めた。


「こんな夜分にごめんなさい。ロー船長。」

「めずらしい客だな。夜這いか?」


嫌味ったらしく笑って、ローは言った。どこぞのだれかならカオを真っ赤にして食ってかかってくるだろうが、その訪問者はローの予想どおり、そんなことではまったく動じなかった。


「ふふっ、おもしろい人。…おじゃましても?」


そう問えば、ローは承諾の意で口元に弧を描いて室内へ戻った。ルピもそれに続いてそのドアをくぐった。


まず、船長室を埋め尽くしている本の数にルピは目を剥いた。本棚に圧迫されて少し息苦しさを感じる。やはり変わった男だと、そんな結論に至ったところで、「で?」とローが言った。


「何の用だよ。」

「ええ。じつは、***のことなの。」

「***?」


その名を出すと、ローの表情は一変した。グラスにワインを注ごうとしていた動きもすべて止まった。


「そんなに怖いカオしなくても、大したことじゃないわ。***、どうやら『あれ』が重いみたいなの。」

「…『あれ』が重い?」


まるで意味がわからず、ローは訝しげなカオをルピへ向けた。


「あなたにそんな遠回しな言い方、よくないわね。月経痛よ。生理痛。」

「…あァ。」


ようやく合点がいって、ローは小さく頷いた。医者でなくとも知っている病名だ。


「そんな話、アイツから聞いたことねェよ。」

「そうでしょうね。」

「あァ?」

「ほんと、デリカシーのない人。女性が男性にそんな話、すると思う?」

「…………………。」


罰が悪そうに、ローはそっぽを向いた。なるほど、たしかに。***の性格なら自分には言わないかもしれない。


「今日も少しだるそうにしてたから、聞いてみたの。そしたら、毎月結構ツライみたい。」

「…………………。」

「今日は私の持っていた薬をあげたわ。夕方にはもう良くなってたみたいだから、安心して。」


ローは、苦虫を噛み潰したようなカオをした。おもしろくなかった。***が今までそれを黙っていたことも、他人に先に気付かれたことも、自分が気付けなかったことも。


「***を責めたりしないで頂戴ね。女性としての***の気持ちを、」

「うるせェ。おれに指図すんな。それから、得体の知れねェ薬を***にやるな。これからはおれが処方する。」


吐き捨てるようにそう言うと、ローは苛立ちをかくしもせずに乱暴にワインのボトルをテーブルに叩きつけて置いた。


「…言われなくても、それをお願いしに来たのよ。じゃあ、おやすみなさい。」


半ば呆れたような表情を見せながら、ルピはくるりと身を翻した。


まったく、この男の***に対する執着心には畏れいる。ただの幼なじみの域を越えているのではないか。少々気味悪さを感じるくらいだ。


持ってくる話題を誤ったかもしれない。仕方ない、また計画を練り直して、


そんなことを目論みながら、ドアノブに手を掛けた時だった。


刺青だらけの手が横から伸びてきて、ドアを抑えこんだ。ルピはその犯人を睨みあげた。


「あら、まだ私に何か?」

「何か、じゃねェよ。こんな時間に男んとこ訪ねて、ただで帰れると思うか?」


ローは、笑っていた。この男特有の笑い方だ。すべてを見透かしたようなその瞳の奥に、エモノを狙う豹のような目をした自分が写った。


「…私が、そういうつもりで来たとでも?」

「あァ、そうだろ。」

「…あら、どうしてそう思うの?」


そう問えば、ローは薄く笑った。ローの右手は、まっすぐルピの頬へ伸びた。


頬をひとなでして、耳、首、鎖骨へと、なめらかに指が滑っていく。


ルピはそれを、振り払おうとはしなかった。するつもりもなかった。たったそれだけのことで、ルピの身体の芯がそそられた。


「中途半端な『装備』だ。」

「…!」

「女が男を誘うにしては、ところどころ何かが足りない。」

「…………………。」

「だが、」


ぴたり。ローの指が止まった。どくり、どくりと脈打つ、鼓動の真上で。


「それが、おまえの最大の武器だろ。」

「…………………。」

「おまえは、引き算の得意な女だ。相手が罠にかかるようなエサをばら撒くのが上手い。つまり、」

胸の膨らみに置いていた指で、ローはルピの顎を掬い上げた。


「おまえは、おれに『誘われるつもり』でここに来た。」

「…………………。」

「その中途半端な化粧も服も、すべてそのため。…おまえは、」


にたり、相手を蔑むように笑って、ローは言った。


「計算高く、ずる賢い、…あざとい女だ。」


ぴんっ、と、ローの長い指がルピの顎をはねた。ルピは腕を組んでドアに寄りかかると、口元を歪めて言った。


「…あなたに褒められるのは、光栄だわ。まるで、自分に褒められてるみたい。」


そんな嫌味で受け答えれば、ローはおかしそうに笑った。「おまえみたいな女は初めてだ」と、そう言った。


「もう、いい加減あきらめろ。おれの方が一枚上手だ。」

「あら、それはまだわからないわ。それに、何か思いちがいをしていない?」

「思いちがい?」

「ええ。」


ルピは微笑むと、ローのパーカーのジッパーをゆっくりと下ろしていった。


「夜這いをしに来たのかと、そう聞いたでしょう?」


胸に描かれた刺青に指を這わせながら、ルピはローを見上げて、言った。


「私はそれを、否定した覚えはないわ。」


ローは、あっけにとられたように目をまるくしてから、小さく笑った。


二人はそれから、一言も言葉を交わさず、本能の赴くまま、ただただ唇と身体を重ねた。


探りあい、騙しあい、いあい


勝者は、どっち?


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