11
コンコン。
ドアをノックすると、すぐに「はーい!」という元気な声が耳に届いた。
それを聞いてから、ローはそのドアをあけた。
***は、ベッドメイクの最中だったようだ。シーツを広げたままの格好でローを見た。
「あ、は、早かったね!ちょっとまだ、」
「おまえ、まさかおれに床に転がれって言うんじゃねェだろうな。」
ベッドの横に敷かれた布団をじとりと睨みつけながら、ローは言った。
「えっ、あっ、いやっ、ちがうよ!布団には私がっ、」
「あァ?なんでわざわざ別々なんだよ。一緒でいいだろ。めんどくせェ。」
「えっ、ええっ!だ、ダメだよ!ほらっ、せ、狭いし!」
慌てたように首を振った***に、ローは釈然としないまま眉をしかめてから、床に敷いた布団に座った。
「おまえがベッド使え。」
「えっ、いっ、いいよいいよっ!ローがベッド使ってっ、」
「夜中にまちがって足蹴にしてもいいんだな。」
「…じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて…」
そう言うと、***はベッドメイクを終えたそこにそろそろと身体を滑りこませた。
「せ、船長室の水漏れ、いつ直りそう?」
「あァ?…いや、まだわかんねェな。とりあえず今船大工にやらせてる。」
「そ、そっか。大変だね…」
「…………………。」
うそだった。水漏れなどしていない。
そういうことにでもしなければ、夜にまで***のそばに張り付いているのはむずかしい。
うそだということを知らないのは、もちろん***だけだ。クルーはみな承知している。
***にバレないよう、船長室のドアの前には「船長と船大工以外立ち入り禁止」のテープを貼った。
『船長のことを、忘れかけているかもしれません。』
ペンギンにそう告げられたのは、今日の夕方近い時間だった。
伝えるのを幾分か悩んだのだろう。昼すぎのできごとだったと、ペンギンは言った。
***は、『船長とはだれのことか。』とペンギンに尋ねたらしい。
それを報告するペンギンは、ロー本人より苦しげなカオしていた。
『船長を忘れるということは、***がすべてを失くすということです。見知らぬ人間が不審に増えていく中で、***がそれでも平常心でいられたのは、船長がいたからだと、おれは思います。』
ペンギンの本題は、おそらくそこだったのだろう。
ペンギンの言わんとしていることが、ローには十分に伝わった。
ローという心の支えがなくなった***は、なにをするかわからない。
もしかしたら、自分はさらわれたと思いこんで、海にとびこむかもしれない。
そういった可能性も、十分に考えられた。
ペンギンと話し合った結果、クルー全員で四六時中***を監視下に置くことにした。
夜の担当はローになった。それ以外のクルーでは、今の***には却って不審に思われる。
「昔はよくこうやって一緒に眠ったね。」
「…あァ?」
考えごとをしていたため、反応が少し鈍った。***は再びそう口にした。
「あァ、おまえがよく親に叱られて家出した時とかな。」
「そ、そんな昔のこと忘れてよ。」
「おまえから言い出したんだろ。」
ローは、小さく笑った。
「泣きながらローのところに行ってね。ははっ、懐かしい。ローはそのたんびに『おまえには学習能力がないのか。』なんて子供らしくないこと言ってたよね。」
「おまえがガキすぎるんだろ。」
「ええ、ちがうよ。ローが子供らしくなかったんだよ。」
「まァ、どっちもだろうな。」
「ははっ、そうだね。」
***は一呼吸おくと、「でも、」と言った。
「ローはいつでも、一緒にいてくれたよね。」
「…………………。」
「文句言いながらさ。それでも、私を突き放したことはなかったよね。」
「…………………。」
「ローにはわからないかもしれないけど、私、それでずいぶん救われたんだよ。」
「…………………。」
「ローがいたから、頑張れたんだよ。」
ありがとう。
そんな言葉で、***はしめくくった。
ローはひとつ、咳払いをすると、布団の中で身を捩って***に背を向けた。
「バカじゃねェのか。なに恥ずかしいこと言ってんだ。礼なんて、今更だろ。感謝してんなら、それ相応の恩を一生かけてかえせ。」
「…ははっ、そう言われると思った。」
「…わかってんならバカなこと言ってんな。さっさとねろ。バカ。」
「へへ、はーい。」
いたずらっ子のように笑ってから、***はゆっくりと目を瞑った。
しばらくすると、***の呼吸は深くなっていった。
ローは身体をおこすと、***の方を見た。
月明かりに照らされた眠るカオは、子供の頃のそれと少しも変わらない。
「変わらねェよ、おまえは。…なにも。」
たとえ、どうなっていこうとも。
***。おまえは、おまえのままだ。
「安心しろ。どんな風になっても、おれが守ってやる。」
幸せそうに眠る***にそう伝えると、ローは再び布団に横たわった。
ー…‥
カタンッ…
小さく鳴った何かの音で、ローは目覚めた。
視点が即座に定まらない。どうやら、思った以上に深く眠ってしまっていたらしい。
暗闇のなかで、ローは音のした方へ目をこらした。
雲にかくれていた月がカオを出すと、ローは思わず息をのんだ。
「なにしてるっ、」
ローは、素早い動きで立ち上がると、その腕を思いきり引いた。
まさに今、窓に足をかけて外へ出ようとしていた、***の腕を。
***はつかまれると、大きく悲鳴をあげた。その声に、ローはぎくりと身体を揺らした。
「いやっ…!!離してっ…!!だれかっ、」
「おいっ、おちつけ…!!よく見ろっ、おれだ…!!」
「だれかっ、だれか助けて…!!」
「…!!…***!!」
震える肩を大きく揺らしてそう叫べば、***の動きがぴたりと止まった。
やがて、壊れたおもちゃのように、ぎしり、ぎしりとそのカオがあげられると、ひどく怯えた目で見つめられた。
***にそんな表情を向けられたのは、初めてだった。
小刻みに唇を震わせながら、***はかすれた声で言った。
「だれ…?」
くらり、と、ローの世界が揺れた。
いつも自分を信頼してついてきてくれた幼なじみは、そこにはもういなかった。
トドメを刺すように、***は不信な目を向けたまま言った。
「あなた、…いったいだれなの?」
どうか、目を覚まして
『お兄さん、
なにか、大切なものをお忘れではないかえ?』[ 61/68 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]