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コンコン。


ドアをノックすると、すぐに「はーい!」という元気な声が耳に届いた。


それを聞いてから、ローはそのドアをあけた。


***は、ベッドメイクの最中だったようだ。シーツを広げたままの格好でローを見た。


「あ、は、早かったね!ちょっとまだ、」

「おまえ、まさかおれに床に転がれって言うんじゃねェだろうな。」


ベッドの横に敷かれた布団をじとりと睨みつけながら、ローは言った。


「えっ、あっ、いやっ、ちがうよ!布団には私がっ、」

「あァ?なんでわざわざ別々なんだよ。一緒でいいだろ。めんどくせェ。」

「えっ、ええっ!だ、ダメだよ!ほらっ、せ、狭いし!」


慌てたように首を振った***に、ローは釈然としないまま眉をしかめてから、床に敷いた布団に座った。


「おまえがベッド使え。」

「えっ、いっ、いいよいいよっ!ローがベッド使ってっ、」

「夜中にまちがって足蹴にしてもいいんだな。」

「…じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて…」


そう言うと、***はベッドメイクを終えたそこにそろそろと身体を滑りこませた。


「せ、船長室の水漏れ、いつ直りそう?」

「あァ?…いや、まだわかんねェな。とりあえず今船大工にやらせてる。」

「そ、そっか。大変だね…」

「…………………。」


うそだった。水漏れなどしていない。


そういうことにでもしなければ、夜にまで***のそばに張り付いているのはむずかしい。


うそだということを知らないのは、もちろん***だけだ。クルーはみな承知している。


***にバレないよう、船長室のドアの前には「船長と船大工以外立ち入り禁止」のテープを貼った。


『船長のことを、忘れかけているかもしれません。』


ペンギンにそう告げられたのは、今日の夕方近い時間だった。


伝えるのを幾分か悩んだのだろう。昼すぎのできごとだったと、ペンギンは言った。


***は、『船長とはだれのことか。』とペンギンに尋ねたらしい。


それを報告するペンギンは、ロー本人より苦しげなカオしていた。


『船長を忘れるということは、***がすべてを失くすということです。見知らぬ人間が不審に増えていく中で、***がそれでも平常心でいられたのは、船長がいたからだと、おれは思います。』


ペンギンの本題は、おそらくそこだったのだろう。


ペンギンの言わんとしていることが、ローには十分に伝わった。


ローという心の支えがなくなった***は、なにをするかわからない。


もしかしたら、自分はさらわれたと思いこんで、海にとびこむかもしれない。


そういった可能性も、十分に考えられた。


ペンギンと話し合った結果、クルー全員で四六時中***を監視下に置くことにした。


夜の担当はローになった。それ以外のクルーでは、今の***には却って不審に思われる。


「昔はよくこうやって一緒に眠ったね。」

「…あァ?」


考えごとをしていたため、反応が少し鈍った。***は再びそう口にした。


「あァ、おまえがよく親に叱られて家出した時とかな。」

「そ、そんな昔のこと忘れてよ。」

「おまえから言い出したんだろ。」


ローは、小さく笑った。


「泣きながらローのところに行ってね。ははっ、懐かしい。ローはそのたんびに『おまえには学習能力がないのか。』なんて子供らしくないこと言ってたよね。」

「おまえがガキすぎるんだろ。」

「ええ、ちがうよ。ローが子供らしくなかったんだよ。」

「まァ、どっちもだろうな。」

「ははっ、そうだね。」


***は一呼吸おくと、「でも、」と言った。


「ローはいつでも、一緒にいてくれたよね。」

「…………………。」

「文句言いながらさ。それでも、私を突き放したことはなかったよね。」

「…………………。」

「ローにはわからないかもしれないけど、私、それでずいぶん救われたんだよ。」

「…………………。」

「ローがいたから、頑張れたんだよ。」


ありがとう。


そんな言葉で、***はしめくくった。


ローはひとつ、咳払いをすると、布団の中で身を捩って***に背を向けた。


「バカじゃねェのか。なに恥ずかしいこと言ってんだ。礼なんて、今更だろ。感謝してんなら、それ相応の恩を一生かけてかえせ。」

「…ははっ、そう言われると思った。」

「…わかってんならバカなこと言ってんな。さっさとねろ。バカ。」

「へへ、はーい。」


いたずらっ子のように笑ってから、***はゆっくりと目を瞑った。


しばらくすると、***の呼吸は深くなっていった。


ローは身体をおこすと、***の方を見た。


月明かりに照らされた眠るカオは、子供の頃のそれと少しも変わらない。


「変わらねェよ、おまえは。…なにも。」


たとえ、どうなっていこうとも。


***。おまえは、おまえのままだ。


「安心しろ。どんな風になっても、おれが守ってやる。」


幸せそうに眠る***にそう伝えると、ローは再び布団に横たわった。


ー…‥


カタンッ…


小さく鳴った何かの音で、ローは目覚めた。


視点が即座に定まらない。どうやら、思った以上に深く眠ってしまっていたらしい。


暗闇のなかで、ローは音のした方へ目をこらした。


雲にかくれていた月がカオを出すと、ローは思わず息をのんだ。


「なにしてるっ、」


ローは、素早い動きで立ち上がると、その腕を思いきり引いた。


まさに今、窓に足をかけて外へ出ようとしていた、***の腕を。


***はつかまれると、大きく悲鳴をあげた。その声に、ローはぎくりと身体を揺らした。


「いやっ…!!離してっ…!!だれかっ、」

「おいっ、おちつけ…!!よく見ろっ、おれだ…!!」

「だれかっ、だれか助けて…!!」

「…!!…***!!」


震える肩を大きく揺らしてそう叫べば、***の動きがぴたりと止まった。


やがて、壊れたおもちゃのように、ぎしり、ぎしりとそのカオがあげられると、ひどく怯えた目で見つめられた。


***にそんな表情を向けられたのは、初めてだった。


小刻みに唇を震わせながら、***はかすれた声で言った。










「だれ…?」










くらり、と、ローの世界が揺れた。


いつも自分を信頼してついてきてくれた幼なじみは、そこにはもういなかった。


トドメを刺すように、***は不信な目を向けたまま言った。


「あなた、…いったいだれなの?」


どうか、目をまして


『お兄さん、


なにか、大切なものをお忘れではないかえ?』


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