hide and seek
空が白みはじめている。ニュースクーがすでに仕事を始めているようで、忙しそうに上空を行き来していた。
朝の海は寒い。ローは、肩にかけたブランケットを首まで引き上げた。起きてすぐに淹れたコーヒーはすっかりぬるくなっていて、却って体が冷えそうだと、飲むのをやめた。
こういう朝を見ると、コラソンを思い出す。二人で随分、いろんなところへ行った。とはいっても、自分は体調が悪かったので、明確に記憶がないところもある。
今、あの人が一緒に航海をしていたら、どんな話をするだろう。自分は、どんな話をあの人にしただろう。最近、あの人のことをよく考えるようになった。
それは、あの日も同じだ。***と二人、航海を始めたあの日。
隣で不安そうにしている***を見て、守らなければと思った。コラソンが自分にしてくれたように、自分も。
守られるほうから、守るほうになったのだ。自分はいまや、海賊船の船長。***だけでなく、船員たちも守らなければならない。
自分の気持ち一つで、この船の輪を乱すわけにはいかないのだ。
「こんなところにいたの」
扉が開く前からすでに気配は察知していた。ローは、声をかけてきたルピへ視線を投げた。
薄めのワンピース一枚にカーディガン。手には、ローと同じくマグカップを持っている。中身はおそらく紅茶だろう。ルピは滅多にコーヒーを飲まない。
ルピは、ローの隣に腰かけた。二人黙って、水平線をみつめる。
言葉を探す、なんて殊勝なことをするつもりはなかったが、どこから話すべきか、それくらいはローであっても頭を悩ませた。
この頭のいい女は、どこまで勘づいているのだろう。
「この関係に、別れの言葉っているのかしら」
そう切り出したのは、ルピだった。
「さァな。ほしけりゃくれてやる」
「結構よ。最初から、あなたを独り占めにできたなんて、思ってなかったもの」
紅茶を一口飲んで、続けた。
「出会ったときから、椅子は空いてなかったから」
出会ったときから、か。女の勘というものは、確かに恐ろしいらしい。当事者同士が気づいていないことまで、察知できるのだから。
「念のため、言ってもいいかしら」
「なんだ」
「***は絶対に気づかないわよ。あなたの気持ち」
「……」
「きちんと、はっきり言わないと」
「……だろうな」
もともと鈍いということを差し引いても、***はおそらく気づかない。***自身、幼なじみで船長でもある自分に対して、そういった感情が一切ない。きっと、想像にも及ばないはずだ。
「聞いてみたいわね。あなたみたいな男の愛の言葉」
「……」
「盗み聞きしててもいいかしら」
ローはなにも答えない。すっかり冷えたコーヒーに、口をつける。
ルピは、驚きに目を見開いた。
「まさか……言わないつもりなの?」
「……」
「なぜ?」
ローは、昨日の出来事を回想した。
*
――いつもと違った態度を取ると、気持ちがばれますよ。
船長室を訪ねてきたナルミが、前置きもなくそう言った。
『なんの話だ』
『***が変に思っています。なんだかローさんに避けられている気がするって』
『……そんなつもりは』
『ないと思うんで、たぶん無意識だと思います。そういうの、好き避けっていうらしいです』
『好き避け?』
耳慣れない言葉に、しかめっ面を返す。ナルミは小さくうなずいた。
『好きだから避けちゃうってやつです。気持ちがばれないように』
『……ダサくねェか、それ』
『はい。ダサいです』
『……』
『だから、ローさんにはしてほしくないんですけど』
『……さっきも言っただろ。無意識だ』
頭痛を振り払うようにかぶりを振る。思い返せば、確かに不自然な行動を取っていた。気をつける必要がありそうだ。
『隠そうとするから、そうなるんじゃないですか?』
『……あ?』
清廉なカオを見返す。ナルミは、怖気づく気配を見せず、続けた。
『気持ちがばれたくないって思うから、無意識にそんな態度を取ってしまうんです』
『……』
『もしかしてローさん、***に気持ちを伝えるつもり、ないんじゃないですか?』
*
ナルミに問われて、気がついた。自分は***に、この気持ちを伝えるつもりがない。
「***とは、今の関係のままでじゅうぶんだ」
なにかを言おうと、ルピは口を開いた、けれど、思い直したのか、そのまま閉口して、深いため息をつく。
「そう……。まァ、いいわ。なにを言っても、あなただもの。意見を聞き入れる耳なんて、持ち合わせてないわよね」
「わかってるじゃねェか」
ルピは立ち上がった。朝日に照らされる、まっすぐなアーモンドアイ。彼女は、水平線をみつめながら言った。
「一つだけ言っておくわ。恋って、そんなあまいものじゃない。落ちたら最後、理性なんてものは枯渇して、本能に食い尽くされるがまま、相手を求めずにはいられなくものよ」
「……へェ。そりゃ恐ろしい」
本当に、恐ろしい。肩をすくめてはみせたが、ローは素直にそう思った。
「性欲処理なら、いつでもつき合うわ」
「それじゃあ、今までと変わんねェだろ」
「ふふっ、ほんと、ひどい男。やっぱり、海賊なんてやってる男に、ロクな男はいないわね」
ルピが、扉のほうへ歩いていく。
「ルピ」
呼び止めると、足音が、ぴたり、やんだ。
「……わるかった」
洟をすする音とともに、ルピは船内へ消えていった。
*
ぱらぱらと船員たちが起きてきたので、ローは食堂へ向かった。
扉の向こうから、いつもの喧騒が聞こえてくる。息を深く吸って、浅く吐き出すと、ローは扉を開けた。
「あれっ、船長が早起きだっ」
そう声を上げたのはシャチだ。さっそく腹が減っているのか、ベーコンが口からはみ出ている。
「食いながらしゃべるな。……船長、おはようございます」
出会った頃はシャチと一緒に悪さをしていたはずだが、このペンギンはすっかり兄貴分のようになった。
「キャプテンが早起きだと、いつもよりおしゃべりたくさんできて嬉しいねー」
いつもはのほほんとしているベポだが、航海術に関しては全幅の信頼を寄せている。何より、殺伐とした海賊船の癒しだ。
このハートの海賊団は、自分を筆頭に絶妙なバランスで成り立っている。それを、よもや船長が船員に恋をしているなんて知られてみろ。たちまちジェンガの如くバランスは崩れて、海賊船として機能しなくなるだろう。
知られるわけにはいかない。たとえどんな手を使ってでも。
「あれっ、ロー? 今日早起きだね。どうしたの?」
出たな。諸悪の根源……。
ローは、のんきに現れた***を睨みつけた。よくもこのおれを恋になんて落としやがったな。
けれど、ローの目つきが悪いのはいつものことなので、***の態度は変わらない。***は、ローに笑いかけた。
「おにぎりの具、なにがいい? ちょうど今から作ろうと思ってたから、ローの食べたい具で作るよ」
いつもと違った態度は取らない。いつもと違った態度は取らない……。
心の中で呪文のようにつぶやいて、自分を戒める。けれど――。
……いつもと違わない態度って、どれだ。
自分のことなのに、さっそく正解がわからない。この前は何をして変だと思われたんだったか――。そうだ。避けるような態度を取って、失敗したんだ。同じ轍は踏まない。
するとローは、おもむろに***の腰を引き寄せた。そして、耳元に口を寄せて、ささやくように言う。
「おまえが作るもんなら、梅干しでもなんでもいい。なんなら、おまえのこともおいしく食ってやろうか」
数秒後、***は梅干しよりカオを真っ赤にして、卒倒した。
hide and seek
うわあああんっ、***ー! しっかりしてー!
船長! 朝からなんつー殺し文句を!
なぜだ……。今のも違うのか……?
船長。ショックを受けるのは後にして、責任もって***の手当てしてください。[ 41/68 ][*prev] [next#]
[mokuji]
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