トラファルガー・ローの、異変-3
その日の夜。ペンギンさん、シャチくん、ベポと一緒に夕飯を食べていると、いつものように、みんなから遅れること数十分。ローが、長身を揺らしてのっそりと食堂に現れた。
シャチくんが、船長ー! ここですっ、と、元気に手を振り回す。ローは、ほんの少し眉頭を上げてから、こちらへと近づいて来た。
ペンギンさんが、ちらりと私を気遣わしげに見てから、それでもやはり、自分とベポの間に椅子を引っ張ってきて、置く。私を気遣う気持ちより、船長であるローを気遣う気持ちのほうが強いのは、船員として当然のことだ。
私はペンギンさんに笑いかけると、じっくりと頷いた。
テーブルに辿り着いたローは、ほんの一瞬、逡巡した。付き合いの長い私にしかわからないほどの、ほんの、一瞬。ペンギンさんですら、気付けないほどの。
ローは、小さく息をつくと、私の隣の席の椅子を引いて、座った。
ロー以外の全員が、思わずカオを見合わせる。その表情には、誰一人として例外なく、安堵が浮かんでいた。
「あ、ロ、ロー! これっ、鮭とおかかのお茶漬け! おいしいよ!」
「鮭とおかかの茶漬け? なんだこれ。どうやって食うんだ」
「あ、まずね、鮭を少しほぐして、それをご飯にのせてから、その上におかかを乗せて、それからこのお出汁をね――」
「めんどくせェな。おまえがやれよ」
「! う、うんっ」
いつものように偉そうに指示をしてくれたローに、思わず満面の笑みを向ける。ローは、いつものように、しかめっ面を私に返した。
鮭をほぐしながら、思わずペンギンさんを見上げる。ペンギンさんも、どこかほっとしたような、そんなカオで笑っていた。
ローが、いつものローであることが、こんなにも嬉しい。私は張り切って鮭をほぐし続けた。
「そういえば、船長! どうするんですかァ? ナルミのこと!」
シャチくんが、目の形を三日月型にして身を乗り出す。ローに異変があったことなんて、もうすっかり忘れたみたいだ。
副菜の、ほうれん草のおひたしを頬張りながら、ローは、どうするってなんだ、と訊き返した。
「ナルミは確かに男ですけどォ、顔面の綺麗さで言ったら、問題なくルピに並べるじゃないっすか!」
「下手すると、ルピより美しいカオをしている」
「おっ、ペンギンもそう思うかっ?」
「どっちもかわいいよねェ」
ベポが、少し的外れにそう言ったところで、ローはあからさまにため息をついた。
「綺麗か、綺麗じゃねェかの問題じゃねェだろ」
「ええ? そうっすかァ?」
「そうだろ。大体な――」
ローは、そこで言葉を切ると、なぜか私のほうを見た。
穴があくほどじっと見つめられて、思わず息が止まる。
ふい、と、素っ気なく目を逸らしてから、ローはぽつりと続けた。
「そういう目で見てなかったヤツに、突然、そんな感情持たれたって……困るだろ」
どこか、疲れ切ったような声色。先ほどの、刺すような視線と相まって、妙な胸騒ぎがした。
“そういう目で見てなかったヤツに、突然、そんな感情持たれたって――。”
……もしかして、
もしかして、ロー……なにかの拍子に、私の気持ちに気付いたんだろうか。
毛穴という毛穴から、一気に脂汗が吹き出す。
なんとか誤魔化さなくては――ぎこちない笑みを浮かべてから、私は会話に割って入った。
「そっ、そうだよねっ、わかるわかるっ」
「……」
「全然意識してなかったのに、突然そんなふうに思われても、ねっ」
「……」
「困るっていうか、まァ、戸惑う、っていうか」
「……」
「ロ、ローは、その、気にせずに、いつも通り接して、いいんじゃないかな?」
ローが、深く俯く。
返事はなかった。
「ええ? そうかァ? おれだったら、美人から好意持たれたら、男でもふらふらいっちまうけどなァ」
「ロ、ローは、シャチくんと違ってモテるからね」
「おまっ、そんな元気に人のこと傷つけんなよっ」
「ご、ごめんごめん」
ペンギンさんやベポが笑っていても、ローが視線を上げることはなかった。ただただ、私がほぐした鮭の身に、熱心に視線を注いでいる。
「……そうだな」
やがて、そうとだけ言うと、私の作った鮭とおかかのお茶漬けを、静かに食べ始めた。
ローの異変は、まだ終わってなかったんだ……。
そのことに気付いているのは、どうやら私だけで、その事実に、急に心細くなった。
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