トラファルガー・ローの、異変-2
ローの動向を観察し始めて、三日。
みんなの言う通り、確かに、ローの言動には不自然なところが多々見受けられた。むしろ、今までなぜ気づかなかったんだろう、と我が身を疑うレベルの不自然さだったのだから、本当に、自分の呑気さというか、観察力のなさには、ほとほと頭が下がる。
ローの異変は、日常の、様々なシーンで見受けられた。たとえば――。
「あ、船長! おそようございます!」
朝食を摂っている私たちから、遅れること一時間。寝ぼけ眼のローが、のっそりと食堂に現れた。シャチくんの挨拶を耳にして、眠たげな紺色の双眸を、こちらへ向ける。
「ローのおにぎり、ここに置いておいたよ」
そう伝えながら、私はおにぎりを乗せたお皿のラップを外していった。
ローはといえば、くあっ、とひとつ、欠伸をかまして、返事もせずに席へ着いた。
ローが座った場所を見て、同じテーブルにいたペンギンさんやシャチくん、ベポの空気までもが、ぴきりと固まった。
ローは、ローのためにといつも空けてある、私の隣の席――ではなく、ペンギンさんとベポの間という、極めて狭い場所に、わざわざ椅子を運び込んで、座った。
「そ、そこに座る? ロー」
「……あァ」
「そ、そっか」
「……」
微妙な空気が流れる。それを知ってか知らずか、ローは鮭のおにぎりを寝ぼけ眼で頬張りはじめた。
ちら、とペンギンさんを見遣る。私と目が合ったペンギンさんは、困ったように眉頭を上げて、肩を竦めた。どうしたんだろうな、とでも言いたげな、軽めのジェスチャーである。おそらく、私があまり気にしないようにという配慮だろう。
曖昧な笑みをペンギンさんへ返してから、ローを盗み見る。ローは、早くもおかかのおにぎりに手をつけていた。
食欲は、ある。顔色も、まあまあいい。機嫌も、特に悪くはなさそう。
……なのに、なんで?
こちらのほうが、食欲がなくなってしまいそう。味噌汁のお碗の下に溜まった味噌の粒を、ぐるぐると箸でかき混ぜながら、私は思考を巡らせた。
*
もちろん、不自然な点は、他にもある。それは、洗濯物を干そうと、いつものように甲板へ出たときだった。
甲板では、ベポのお腹に寄りかかるようにして、ローがお昼寝の真っ最中だった。目元には、陽射しを遮るように帽子が被さっていて、無駄なお肉が一切ついていないお腹の上には、分厚い本が乗せられている。どうやら、彼が飼っている気まぐれな睡魔は、読書の最中に訪れたらしい。
極力、音を立てないよう、洗濯かごを床に置く。けれど、元々眠りが浅いローは、その音で小さく身を捩った。長い指で帽子を掴んでどけると、すっきりとしたまぶたをゆるゆると上げて、私を見た。
「あ、起こしちゃった? ごめんね」
「……」
相変わらず、ローは何も答えない。海の底のような瞳の奥を、波のように、ゆらゆらと揺らめかせるだけだ。
すると、ローはおもむろに立ち上がった。猫のように背をまるめて、とことこと、こちらへ歩いてくる。
ローは、そのまま私を素通りして、終始無言のまま、船内へと消えていった。
「なっ……なんっなの! もう!」
戸惑いや、寂しさ。そして、ほんの少しの苛立ち。いろんな感情がごちゃ混ぜになって、自分の中でうまく消化できない。私は文字通り、その場で地団駄を踏んだ。
「***? どうしたの? ひとりで発狂して……」
その声に振り向くと、ナルミくんが、きょとんとして私を見ていた。手には釣具が握られていて、釣りをしに甲板へ出てきたんだとわかる。今日は、めずらしく潜水をしていないので、釣りができるチャンスだと思ったのかもしれない。
「あ……うっ、ううんっ。なんでも――」
「もしかして、ローさんのこと?」
「えっ」
「***、ローさんと、何かあった……?」
おそるおそる、といったふうに、ナルミくんはそう訊ねてきた。いつもは涼しげな目元が、気遣わしげにおろおろと揺れている。
「そ、そんな、大したことじゃないんだけど……。なんだか、その……私、ローに避けられてるみたいで」
「え? ***が? ローさんに?」
「う、うん」
「……」
「気のせい、だとは思うんだけど。でも、みんなにも“喧嘩した?”とか訊かれるし」
「……」
「私も、なんか……最近のローの態度には、不自然さを感じてるんだよね……」
「……」
ナルミくんは、最初の沈黙の時点で、すでに熟考体勢に入っていた。すらりとした人差し指を折り曲げて、顎に軽く添えている。
声をかけるのも憚られて、なんとなく押し黙ったまま、ナルミくんの言葉を待った。
カオを上げたナルミくんは、いつもの柔らかな笑みを浮かべて、言った。
「***。おれに少し心当たりがあるから、おれに任せてくれる?」
「え?」
「大丈夫。***が悪いわけじゃないから」
「あ、でも――あれっ、ナルミくん?」
私の答えを待たず、ナルミくんは釣具を抱えたまま、船内へと踵を返した。[ 39/68 ][*prev] [next#]
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