トラファルガー・ローの、異変-1

 まず最初に、変だな、と感じたのは、突然、シャチくんにこんなことを訊かれたからだった。


「***、船長と喧嘩したのか?」


 気まずそうに、探るような視線を向けてきたシャチくんに、私は意表を突かれた表情を返した。


「えっ? してないよ?」

「えっ? そうなのか?」


 改めてそう訊かれると、自信がなくなってくる。私は、宙を見上げて、ローとのやり取りを思い返した。今日の朝、昨日の夜、昨日の昼、朝――三日くらい前まで遡ってみたけれど、まったく思い当たるふしがない。


 シャチくんのカオを見返して、今度は先ほどよりも自信満々に、うん、してない、と答えた。


「なんだ。そっか」

「どうして? ローが何か言ってたの?」

「いや? そういうわけじゃねェんだけど……それなら、まァ、いいんだ」


 じゃあな、と言って、シャチくんが去っていく。その後ろ姿がまだ首を傾げていて、思わず私も首を傾げる。


 変だな、とは確かに思ったけれど、このときはそれだけだった。


 けれど、その翌日――。


「***、キャプテンと喧嘩しちゃった?」


 そう訊ねてきた、気遣わしげなまるい瞳を見返して、私はぽかんと口をほうけた。


「し、してないよ」

「そうなの? なァんだ。そっか!」

「どうしてそう思ったの? ベポ」

「どうしてって……そういえばどうしてかな? ううん……」


 愛らしいカオが、途端に思慮深いものになる。短めの、もふもふした人差し指を顎にあてて、ベポは低く唸った。


「わかんない。でも、なんとなくそう思っただけだから!」

「そ、そっか」

「おれの勘違いでよかったー!」


 シャチくんとは違い、ベポは本当にすっきりとした表情で去っていった。大きな体を揺らしながら、鼻歌まで口ずさんでいる。


 ……洗濯物終わったら、ローのところへ行ってみようかな。


 このときもまだ、私は楽観的に考えていて、心の片隅でそんなふうに思っただけだった。


 けれど、ついに、そんなことを言っていられない状況なんだということを察する。


「***、船長と喧嘩してないか?」


 洗濯物が終わって、さあいざローの元へ、というときだった。ついに、ペンギンさんまでもが、そう訊ねてきたからだ。


 質問に答える前に、ペンギンさんの逞しい腕を、逃すものかという勢いで掴む。


 ペンギンさんは、ぎょっとしたように私を見返して、言った。


「なっ、なんだ? やっぱり何か――」

「どうしてですかっ?」

「え?」

「どうして、私とローが喧嘩してるって、みんなそう思うんですかっ?」

「“みんな”? そうか。やはり、おれの気のせいでは――」

「きっとそうなんですっ。きっと、みんなの気のせいなんかじゃないんですっ。どうしてそう思うんですかっ?」

「ど、どうしてって……」


 私の勢いに圧倒されたように、ペンギンさんが身体を引く。それから、いや、だって、と、ペンギンさんは続けた。


「最近の船長の様子、少し変じゃないか?」

「……ローの様子、ですか?」

「あァ」


 私は眉を顰めた。そして、宙を見つめて、最近のローの様子を思い返す。ご飯を食べているとき、本を読んでいるとき、ベポや、ルピやナルミくんと、航路について話し合っているとき――。


 しかし、どのシーンを思い出しても、私にとっては、そのすべてがいつものローだった。


 みんなが気づいているのに、私が気づけていないなんて……。嫉妬のような、焦燥のようなものを感じて、私はペンギンさんにおずおずと訊ねた。


「変、というのは、た、例えば、どんなふうに……でしょうか?」

「どんなふう……ううん、どんなふう、と言われると……」


 それきり、ペンギンさんは押し黙った。節くれ立った人差し指を顎に置いて、思慮深いカオをする。


 左斜め上に向けていた視線を私へ戻して、ペンギンさんはどこか気遣わしげな声色で言った。


「なんていうか……おまえ、避けられてないか?」

「……え?」

「船長に」

「ええっ?」


 驚愕した。避けられている自覚もなければ、避けられるような心当たりもない。ペンギンさんや、シャチくんやベポ、そして、おそらくは他のみんなも気づけていることが、私は一ミクロンも気づけていない。ましてやそれが、ローのことで、自分のことなのに。まずは、そのことに焦りのようなものを憶えた。


「こ、心当たりがありません……」

「そうか……じゃあ、やはり気のせいかもしれないな」

「でも、ペンギンさんに言われる前に、シャチくんとベポにも言われてます」

「そうか……じゃあ、やはり気のせいではないかもしれないな」


 避けられてる。ローに。


 頭を鈍器で殴られたような衝撃と、ショック。せめて、心当たりがあれば、と思うけれど、それもない。


 確かに、剣の腕はなかなか上達できないし、医学や航海術の勉強をしていても、なかなか飲み込みがよくない。


 けれど、そんなことで愛想を尽かされるようなら、私はとうのとっくにローに見放されている。それに、子どもの頃から私を見ているローは、私の運動神経が乏しいことも、ローほど容量がよくないことも知ってくれている。


 そう。私は――私の方は、至っていつもの私なのだ。


「まァ、嫌われているとか、そういったことではないだろう」

「……」

「何か、船長なりに理由があるはずだ」

「そう、でしょうか……」

「……おれから訊いてみるか?」


 今だ放心状態の私を見かねて、ペンギンさんがそう提案してくれる。


 けれど、私は首を横へ振った。


 守られているばかりでは、強くなれないのだ。


「ありがとうございます、ペンギンさん。でも、しばらくは注意深く様子を見てみます」

「……そうか?」

「はい。ただ――」しばらく逡巡してから、おずおずと目線を上げて続けた。「何か気づいたことがあったら、その……教えてくれますか?」


 結局、ペンギンさんの頼り甲斐に負けて、そんな弱気な言葉が口をついて出る。


 ペンギンさんは、ふっと笑うと、ああ、もちろん、とじっくり頷いた。


 それからの私は、さながら探偵のように、ローの動向を逐一観察することにした。


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