となり 1/2

「あなた、何言ってるのよ。こっちの航路の方が、断然早くて安全だわ」

「アンタこそ何言ってんの? そっちだと海流の流れが複雑じゃん。絶対こっちの航路の方がいいって」

「違うわよ。こっちよ。ねェ? ロー船長」

「違うよね。やっぱりこっちの航路だよね。ローさん」

「ロー船長」

「ローさん」


 自分に恋心を抱く二人に詰め寄られて、ローはあからさまにげんなりとした。目の下の隈も、心なしかいつもより濃く感じる。


 決戦の場は食堂。ローとルピ、それにナルミくんを含めた三人は、昼食をとりながら今後の航路について話し合っている。ローの右隣にはルピ、左隣にはナルミくんが陣取っていて、最近ではローの両隣にどちらかがいないと不自然さを感じるほどだった。


 ナルミくんがローへの恋心を打ち明けてからというもの、ルピは完全に彼を目の敵にしている。かくいうナルミくんも、ルピに対しては元々良い印象を抱いてなかったらしい。二人は最初から反りが合わず、ナルミくんの告白をきっかけにようやくそれが露見した。


 三人の様子を目の前で見ている我がハートの海賊団航海士・ベポはというと「どっちもいい航路だと思うよー」と焼き魚を頬張っている。唯一の味方であるはずのベポの呑気さに、ローは海よりも深いため息をついた。


「モテすぎるっていうのも大変なんだな……」


 疲弊しきったローのカオを見ながら、私は思わず呟いていた。


 強い敵と戦ってても、あんなに疲れたカオしないのに……。


 すると、私のすぐそばの椅子に腰かけていたペンギンさんが、私の方を見た。そして、頬杖をつくと、ニヤリと意地の悪そうなカオをした。


「いいのか? ***」

「な、なにがですか?」

「あそこに参戦しなくて」

「さっ……! なっ、なに言ってるんですかっ、ペンギンさん……! どうして私までっ」


 私がムキになればなるほど、ペンギンさんは口の端を上げていく。なんだか悔しいのと後ろめたいのとで、私はペンギンさんからぷいっとカオを背けた。


 そんな、私の感じの悪い態度は意にも介さず、ペンギンさんは鍛えあげられた肩を揺らして笑っている。笑い声の合間に「素直じゃないな」と呆れ声が混じった。


「わ、笑ってないで、止めてきてくださいよ。あれ……」

「断る。色恋沙汰に巻き込まれるのはごめんだ」

「そんな殺生な……」


 あの二人を窘められるのは、ペンギンさんくらいしかいないのに……。た、楽しんでるな、さては……。


 口笛でも聞こえてきそうな横顔を、じとりと睨みつける。どうやら、本当に止めるつもりはないらしい。ペンギンさんは席を立つと、ひらひらと蝶の羽のように手を振った。


「おまえが止めてこい。船長を奪ってでもな」


 無情な背中を見送ってから、再びローの方を見る。依然としてルピとナルミくんはローを取り合っていて、取り合われているローはというと、もう好きにしな状態で表情を殺していた。


 あの二人から奪ってって……無茶言うんだから……。


 助けてあげられなくてごめんね、ロー。


 心の中でローに謝ってから、そそくさと逃げるようにして食堂を出た。





 夏島が近いのか、気候が暖かい。汗をかきやすくなったからか、みんながいつもの倍以上、洗濯を頼んでくる。もっとも夏島では、洗濯物が乾きやすいので、溜め込んでいるであろう洗濯物をこのタイミングで出してもらえるのは、正直有り難かった。


 洗濯かごを甲板に置いて、物干し竿に洗濯物を干していく。気持ちのいいピーカンを見上げて目を細めていると、干し終わったシーツの陰からひょっこりとナルミくんが現れた。


「手伝うよ、***」

「ナルミくん! ありがとう! 助かる」


 そう答えて笑いかけると、ナルミくんは瞳を揺らして口元だけで笑った。


 あ、あれ……?


 私は、ナルミくんに気付かれないよう、小さく首を傾げた。


 いつもなら、目を柔らかく細めて笑い返してくれるのに……。体調でも悪いんだろうか。


 ナルミくんの様子を窺いながら、洗濯物を干していく。けれど、透き通った陶器のような肌は、血色が良い。どうやら具合が悪いということではないらしいので、私は気にしないことにした。


 ベポの、一際大きなツナギをハンガーに掛ける。思わず笑ってしまいながら、ナルミくんに話しかけた。


「多いでしょう? 洗濯物」

「え? あァ……うん。そうだね」

「こういう、天気の良い島に来るとね、溜め込んでた洋服とかシーツとか、みんな一気に出すの」

「……そうなんだ」

「ほら、ベポのツナギなんて、これでもう三枚目」

「……」

「シャチくんはね、一ヶ月近く放置してた下着まで出してくることがあって――」

「あのさ、***」

「そのたびにローに――」

「***っ」


 突然、真剣な声で名前を呼ばれて、私は思わず「はいっ」と背筋を伸ばした。


 呼びかけてきたナルミくんを見れば、声と同じ真剣な表情を、まっすぐ私へ向けてきている。夏の爽やかな潮風に吹かれて、真っ白なシーツとナルミくんの細い髪の毛がふわりと舞った。


「怒ってるよね? おれのこと」


 ナルミくんは、緊張を含んだ面持ちと声で、そう訊ねてきた。


 質問の意図がまるで分からず、私はまぬけな声と表情で、へ、と漏らした。


「おれが……その……ローさんを好きになっちゃったから」

「……え?」

「だから、***がおれのこと、怒ってるんじゃないかなって」

「……あ。ああっ! そっか! なるほど、そういう――」

「だって、***だって、ローさんのことっ」

「わーわーわーわー! ナルミくんっ、ストップストップ!」


 私は慌ててナルミくんの口を塞いだ。近くで釣りをしていた船員が、何事かと私たちの方を見る。


 なんでもないなんでもない、と愛想笑いを返してから、そっとナルミくんの口から手を離した。


「ご、ごめん」

「いや、おれの方こそ……ごめん」

「……」

「……」


 ナルミくんは、まるで怒られた子犬のようにしゅんと肩を落とした。


 ……そうか。なるほど。なんだか元気ないなと思ったら……そういうことだったのか。


 察しの悪かった自分を申し訳なく思う。どう伝えたら、ナルミくんに気を遣わせずに済むのか――もっとも、本当の気持ちを伝えるのが一番いいとは思うのだけれど。


 ふっと表情筋の力を抜くと、私はナルミくんに笑いかけた。


「ナルミくんがローを好きになってくれたこと……私は、嬉しかったよ」

「……え?」


 ナルミくんは、拍子抜けなカオをした。けれどすぐに、疑心暗鬼を表情に滲ませる。


 私はすかさず、本当本当、と繰り返した。


「私ね、誰かがローを好きになった時、心の中で『でしょ? そうでしょ? ローってすっごくカッコイイでしょ?』って」

「……」

「いつも、自分のことみたいに嬉しくなるの」

「……」

「そりゃあ、それが恋心だったりすると、正直ヤキモチも妬いちゃうけど」

「……」

「ローの魅力が、たくさんの人に伝わることの方が、ずっとずっと嬉しい」


 洗濯かごの中から、ローのパーカーを取り出す。それをナルミくんの方へ掲げて、言った。


「ローは、私の自慢の幼なじみだから」


 ナルミくんは、あっけに取られた表情をした。けれど、すぐに表情を和らげて、いつものように目を細めた。


「***は……本当にローさんのこと、好きなんだね」


 本当のことだ。否定する必要もない。照れ笑いを浮かべながら、私は大きく頷いた。


 そっか、と呟いて、ナルミくんは笑った。


「初恋の相手がローだなんて、私と一緒だね」

「ははっ、そうだね。それにしても……初恋と同時に失恋なんて、なかなかの初体験だよね」


 ナルミくんが困り顔で笑う。


 私は首を傾げた。


「失恋? あァ、そりゃあ、まァ……ローにはルピがいるけど……」

「え?」

「だからって、まァ……あきらめる必要も、ないっていうか……」


 アドバイスをしながらも、今度はルピに申し訳なくなってくる。途端に私は口ごもった。


 思い起こせば、ローのことを好きな人が同時に船に乗るなんてこと、なかったもんな……。ましてや私、ナルミくんもルピも好きだし……。こりゃあ、まいったまいっ――


「いや、ううん……なんていうか……」

「え?」

「そういうことじゃ、なくて」

「……え? あ、あァ。もしかして、男同士だから気にしてるの?」

「いや、その……なんていうか……」

「そっかァ。そうだなァ……一般的には難しいのかもしれないけど、ローの場合、あんまり大きな障害にはならないような……」


 実際、男の人に口説かれてるのも何度か見たことあるし……。ローはそういう偏見、あんまりなさそうだけど……。


 真剣に頭を悩ませていると、ふっと小さく笑う声がした。


「まァ、いっか。今はそういうことで」

「……へ?」

「ほら、残り干しちゃお」


 そう言ったナルミくんは、やけにすっきりとしたカオをしていた。まるで今日の夏空のようだ。


 ナルミくんがいいのならと、私もそれ以上気に留めることもなく、二人で洗濯物を片付けていった。




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