恋はいつでもハリケーン 2/2
食堂へ戻ると、何やら騒がしかった。ルピと一緒に首を傾げていると、私の姿を見つけたベポが「おおいっ」と嬉しそうに手を振ってきた。
「どうしたの? ベポ。なんの騒ぎ?」
「ナルミがねっ、仲間になるんだって!」
「……えっ!」
私は勢いよくナルミくんの方へと振り向いた。ナルミくんはというと、困ったように笑いながら補足した。
「仲間になるっていうんじゃなくて、もう少しお世話になるって言ったの。いずれはあの街に戻るけど、こんな実力者たちと一緒にいられるなんて、滅多にないし。一人じゃこんなところまで航海もできないし、せっかくだからもっといろんなこと、もう少しここで学ばせてもらおうと思って」
そこで言葉を切ると、ナルミくんはローの方を見た。
「ローさんにも、了承はもらってる」
その言葉に、今度は勢いよくローの方へ振り向いた。
私の視線に気付いたローは、不貞腐れたみたいにつんっとそっぽを向いた。
私は胸が高揚した。まだ、ナルミくんと一緒にいられるんだ……!
「よっ、よかった……! ナルミくん! これからもよろ――」
「はいはい。もうそういうの終わったから」
「ぬおっ」
シャチくんがぐいと私を押しのけるもんだから、私は変な声を出してよろめいてしまった。
「それではここでっ、ハートの海賊団恒例! 経験人数暴露ターイム!」
シャチくんが高らかにそう宣言すると、ローやペンギンさん、ベポを除いた全員が、雄叫びに近い歓声を上げた。
「け、経験人数暴露? そんなのやってたの?」
「あら、***。知らなかったの? 私も聞かれたわ」
「ええっ?」
「ほんと、シャチらしいったら」
ルピが、隣でクスクスと笑う。シャチくんより先にクルーになっておいてよかったと、心の底からそう思った。
「経験人数? 経験人数って……なんの?」
ナルミくん本人はというと、いつもの淡々とした表情で訝しそうにそう訊ねている。
「なーにとぼけたこと言ってんだよっ、ナルミ! 経験人数といえば、セックスだろ! セックス!」
「……セックス?」
私は思わず聞こえないフリをした。なんとなく、ナルミくんの純朴な声では聞きたくない単語である。
「ちなみにうちの船でダントツ多いのは船長でー、その次がペンギン。その次がおれってとこかな!」
「***の前でおれの情報漏洩はやめてくれないか」
ペンギンさんが、げんなりとしたカオでそう訴える。紳士的なペンギンさんのことだから、おそらく私に気を遣っているのだろう。いや、しかし、そうか。ペンギンさんも意外と――。
なんて、下世話なことを考えかけて、振り払うように首を振る。
男の人のこういう話って、女として聞いてていいのかわからない。ルピは余裕の表情で楽しんで聞いてるけど……ローの過去の話とか聞いて、ヤキモチ妬いたりしないのだろうか。大人……。
余裕のない私は、ローのそういう話はやはり聞きたくない。さりげなく食堂を出てしまおうか。ああ、でも、おにぎりまだ一個しか――。
「無いよ」
よく通る中性的な声が、食堂を駆け抜ける。
途端に船は静まり返って、みんなが一斉にナルミくんを見た。
みんなの視線を一身に受けているナルミくんは、顔色ひとつ変えずに繰り返し言った。
「セックスの経験なんて、無いよ」
「……へ?」
「だっておれ、童貞だもん」
……えっ、
えええええええええええええっ!
船員たちの驚愕の叫びが、船を突き抜けて空へ立ち上る。さすがのローも、叫びまではしないまでも、あぜんとしてナルミくんを見ていた。
「あれっ、でもっ、ナルミくん……恋人すぐ出来るって……」
思わず私も参戦してしまう。ナルミくんは、心底不思議そうなカオを私とみんなへ向けてきた。
「恋人はすぐ出来るけど、誰ともセックスはしてないよ。……なに? そんなに驚くこと?」
「恋人がすぐ出来るってなんだよっ。羨ましいなっ」
「恋人にまでなれて、なんでセックスしないんだ? あ、いや……すまん。おまえ、もしかして……」
シャチくんの非難の声を無視して、ペンギンさんが何かを言いかける。
ナルミくんは、静かに首を振った。
「恋人は大切にしなさいって、死んだじいちゃんが言ってた」
「……」
「だからおれ、すごくすごく……すごく大切にして」
「……」
「大切に、し過ぎて……」
「……」
「結局みんな、最後はおれのことつまんないって――」
「あああああっ! ほらっ、もういいでしょっ? 暴露したしっ」
慌ててナルミくんの前に立ち塞がる。どうやら、花屋さんの傷はまだ癒えていないようだ。これ以上は傷口に塩を塗りたくる行為だろう。
すると、ふっと笑うナルミくんの声が聞こえた。
「だから、***がおれの初めてになるはずだったんだ」
「……へ?」
ぎこちなく、ナルミくんの方へ振り返る。
ナルミくんは、にっこりと目を細めて私を見た。
「おれと***……あの街でもし結婚出来てたら、***がきっと、おれの最初で最後の子だったんだなって」
「なっ……! えっ、ええっ?」
「? ***、大丈夫? カオ真っ赤――」
ガンッと、銃声のような大きな音が響き渡る。音の発信元は分かりきっていて、私を含めた船員全員がそろりとローの方を見た。
長い脚が、テーブルの上に乗っている。青筋を立てた額の下の目を吊り上げたまま、ローは口元だけで笑って言った。
「やっぱり、ここで海の藻屑になるか? あァ? 海賊狩り」
「まっ、まあまあ、ロー。落ち着い――」
「てめェもてめェで、満更でもねェカオしてんじゃねェよっ」
「なっ……! しっ、してないしてない!」
「ふんっ、どうだか」
「船長、そんなことでいちいちムキにならないでください。子どもっぽいですよ」
「……ペンギン、どうして刀に手掛けてるの?」
「ベポっ……! おまえはいいから黙っとけっ」
「でもさ、シャチ」
「巻き込まれるぞっ」
ぎゃあぎゃあとやり取りをしている横で、ナルミくんはマイペースに湯呑みをすすっている。
ぞぞ、と音を立ててお茶を一口飲んでから、独り言のようにぼそりと呟いた。
「セックスどころか、おれ……自分から人を好きになったことも、無いんだよね」
喧騒がピタリと止まる。なんとなく全員でカオを見合わせてから、シャチくんが口を開いた。
「で、でも、恋人切れたことねェんだろ?」
「全員、告白されて付き合った」
「やっ、やなやつー!」
「? なんで?」
「じゃあ……付き合ってから好きになるタイプか」
最後のセリフはペンギンさんが言った。
するとナルミくんは、珍しく眉間に皺を寄せて唸り始めた。
「好きに……ううん……あれって、"好き"だったのかな? そりゃあ、嬉しいなって気持ちはあったけど……」
そこで言葉を切ると、ナルミくんはなぜかまっすぐに私を見据えた。
「"恋"って、どういうの?」
「……へっ?」
「どういう気持ちになったら、それは"恋"なの?」
「いっ、いやっ……! な、なんで私にっ」
「……」
ナルミくんの、少年のような無垢な瞳に捕まって、うまく誤魔化せそうにない。すると、みんなまで黙り込んで私を見つめてくるもんだから、私は小さく咳払いをした。
「そ、そうだな……恋、っていうのは……」
無意識に、ローの方を見てしまう。
目が合ったローは、私の視線に、訝しそうに眉を寄せた。
私は、慌てて目を逸らすと、「恋っていうのは」と続けた。
「なんていうか……一緒にいられるだけで幸せ、っていうか」
「……」
「自分のことより大切に思えちゃう……っていうか」
「……」
「……突然、突拍子もなく、無性に触りたくなったり」
「……」
「他の女の子に嫉妬したり、笑ってくれるだけで嬉しくなったり」
「……」
「なんていうか……自分が自分でいられなくなっちゃうような」
「……」
「そういう、割と厄介な――」
刺すような視線に誘われて、チラリとそちらを見る。
ローが、頬杖をつきながら、ジィッと、穴が空くくらいに、私を見つめていた。
しっ、しまった……! つい本当のことをペラペラと……!
私は慌てて笑顔を取り繕った。
「まっ、まァ、ほらっ、小説とか、童話の受け売りなんだけどねっ。あはははっ」
「なんだよー、そういうことかよ。随分具体的だから、てっきり恋でもしてんのかと」
「なっ、なに言ってるのシャチくん……! まさか! 恋なんてもうっ、全然全然!」
「***は、冒険に恋してるんだもんねー」
「そっ、そうそう! さっすがベポ! カッコイイこと言うー!」
食堂内がいつものテンションに戻る。
あぶなっ……本当にあぶなっ……! 助かったー!
ほっと胸をなでおろしていると、視界に、何かを考え込むような険しいカオをしたナルミくんが映った。
「ナ、ナルミくん? どうかした?」
「……***、おれ――」
そう呟いてから、ナルミくんはまるで難題を解き明かした名探偵のような表情で私を見た。
「その感情……最近、なったことある」
「……へっ?」
「なったっていうか、なってるっていうか……現在進行形なんだけど」
「そっ、そうなのっ?」
「そっか……そうだったんだ……ずっと、これなんだろうって思ってたけど……そっか……そういうことか……」
独り言のように呟きながら、ナルミくんは歩き出した――まっすぐ、私の方へ。
「へェ……? 相手次第じゃあ、今後のおまえの運命が決まるぜ」
ローが、不穏な声で不穏なことを言う。私はハラハラと、ナルミくんとローを交互に見た。
「***……おれ……」
「いやっ、あのっ……ナっ、ナルミくん、ちょっと落ち着い――」
「どうしよう。ごめん。もう……止められないかも」
「あのっ、だからっ……その話はあとでゆっくりっ」
「おれ……おれっ――」
私の目の前に来たナルミくんは、潤んだ瞳で私を見つめてきた。そして、鉛筆で描いたみたいな細い腕を伸ばして、そっと手を握った。
私の――ではなく、
私の後ろにいた、ローの手を。
え、な、は? へ? と、私を含めた船員全員が、口の中だけで発音する。
ナルミくんは、いつもは真っ白な頬を紅潮させて、言った。
「おれ……おれ、ローさんに、恋してるかもしれない」
ローが、あっけに取られたように口をぽかんと開ける。
……えっ、
えええええええええええええっ!
本日二度目の叫びが、船を突き抜けた。
恋はいつでもハリケーン
そっ、そんな……! なんでいつもこんなことにっ……!
あなたって、ほんっとに余計なことしかしないのね……。
? シャチ、ペンギンがなんか震えてるよ。
……。(ペンギンが笑い死にしてる……)[ 33/68 ][*prev] [next#]
[mokuji]
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