恋はいつでもハリケーン 1/2
光のような速さで向かってくる切っ先を交わそうと、私は後ろへ飛んだ。けれど、疲労で棒のようになった足がもつれて、上体が大きくよろめく。情けない呻き声を上げながら、私は甲板に倒れ込んだ。
なんとか体勢を立て直そうと起き上がったところで、首元に切っ先が当てられる。逆光でシルエットになったローが、冷めたカオで私を見下ろしていた。
「これで今日、おまえは三百八十六回死んだ」
まったく息切れをしていない涼やかな声で言うと、ローは私の首から刀を下ろした。
「何度言えば分かる。見聞色の覇気もねェんだ。目で敵の動きを読め」
少し離れたところで見学しているシャチくんが、隣にいるベポに向かって「船長の動きを読めなんて、無茶言うよな」と苦笑いをしている。
歯を食いしばると、私はよろよろと立ち上がった。私用にと与えてもらった愛刀を握り締め直して、ローを見つめ返して叫んだ。
「もう一回お願いします……!」
*
「つっかれたー!」
雪崩れ込むようにして食堂の椅子に腰掛ける。
コックと一緒に昼食の準備をしてくれていたらしいペンギンさんが、キンキンに冷えたお水とおにぎりを私の前に置いてくれた。
「わっ、美味しそう! ありがとうございます、ペンギンさん!」
「一気にかき込むなよ。噎せるぞ」
皿に乗ったおにぎりのうち一個を手に取って、ローがそう言う。
私は大きく頷いてから、いただきますをしておにぎりにかぶりついた。
「美味しー! 塩分が染み渡る……」
「ははっ、思い切り動いた後の飯はうまいだろう」
「はいっ」
「午後からは応急処置の実技だぞ。体力残っているか?」
私の向かい側に座ったローの隣に腰掛けて、ペンギンさんが心配そうにそう訊ねてきた。
私は大きく首を縦に振った。
「もちろんですっ。あ、ほらここっ、ちょうど怪我してますし――」
「ダメだ」
私の言葉を遮って、ローの鋭い声色が飛んでくる。
「おまえの怪我はおれが治す」
「えっ、で、でも」
「でももへったくれもねェ。下手な治療して、跡が残ったらどうする」
「そ、それはそれで、海賊っぽくてカッコイイ――」
すべてを言い切る前に、ローがギロリと私を睨んだ。
私は肩をすくませると、「は、はい。お願いします」と素直に頭を下げた。
「なんだかんだ言って甘いんすからー、船長は」
シャチくんのその呆れ声に、ローはおにぎりを咀嚼しながらそっぽを向いた。
その時、視界の端で誰かが立ち上がるのが見えた。つられて見ると、ルピがサンドイッチとスムージーを手に食堂の出口へ向かうところだった。
「……ちょっと、あのっ……おにぎりもらっていきますっ」
おにぎりを一個、むんずと掴んで皿に乗せると、不可思議そうにした三人とベポを残して、私も食堂を出た。
*
すぐに後を追ったはずなのに、脚の長さが違うからか、ルピの姿を見失った。廊下ですれ違う船員たちに行方を訊ねながら、甲板へ向かう。
潜水艦であるこの船の甲板は、さほど広くもない。それでも、ルピの姿は見つけられなかった。それじゃあ、と、もう一段階小高いところにある甲板を見上げる。
長いブロンドの髪が、潮風に吹かれてなびいているのが見えた。
大きく深呼吸をする。意を決すると、そこへ上がる階段を登った。
登り切ったのと同時に、ルピがこちらへ振り向いた。手元のサンドイッチには、どうやらまだ手をつけていないようだ。
「あ……あの」
「……」
「……一緒に、いいかな?」
「……」
ルピは力なく笑った。そして、小さな声で「どうぞ」とだけ言った。
お言葉に甘えて、ルピの隣に腰掛ける。きちんと話さなければと、ずっとずっと思っていたのに、いざそのチャンスが訪れると、どう切り出していいかわからない。
けれど、他の話題になってしまったら、またタイミングを逃してしまうかもしれない。ルピが気を遣って口を開く前にと、私は浅く息を吸い込んだ。
「あっ、あの日は、その……」
「……」
「……本当に、ごめんなさい」
「……」
「ルピには、ほんと……辛い思いをさせてしまって」
「……」
「あの時の私の気持ち、一番分かってくれるのルピだけだったから……だから、ルピしかいないと思って」
「……」
「私を置いて、舵をきる役目を押し付けてしまった」
「……」
「ずっと、そのことを謝りたかったの」姿勢を正して、座り直す。「本当に……本当に、ごめんっ」
ルピに向かって頭を下げる。ルピは、ピクリとも動かず、何も答えない。
ほんの少しの沈黙の後、ふっと笑った声が聞こえた。
おそるおそるカオを上げると、ルピが目を細めて私を見ていた。
「せっかく邪魔者を葬れたと思ったのに……残念」
そんなことを嘯いてから、再び視線を海へと戻す。
私も、口元を少し緩めてから、海の方へ向き直した。
「私、ずっと……ルピみたいになりたかった」
「……」
「自立してて、自分のことも……大切な人たちのことも守れる、強い女性に」
「……」
「急いで追いつきたかった。だけど……無理だよね、いきなりそんなの」
「……無理よ。経験値が違うもの」
「うん。だから私――」水平線を、まっすぐに見つめた。「まずは、自分の身を守れるように頑張ってみる」
ルピが、私の横顔を窺うような気配がした。
「いつも、みんなが守ってくれてたから」
「……」
「私が、自分で自分を守れるようになれば、みんなの負担も減ると思うんだ」
「……」
「誰かと自分を比べたりしないで、自分に出来ることを、少しずつ増やしていく」
「……」
「だから、私――」
ルピのアーモンドアイをまっすぐに見つめ返して、断言した。
「船は、下りない」
「……」
「これからはずっと、みんなの……ローのそばにいる」
「……」
「着いていけるように、必死でしがみついてみせる」
「……」
「だから、その――」
「好きになさい」
つっけんどんな言葉とは裏腹に、ルピは穏やかな表情を海に見せていた。
もしかしたら、あの日――船を下りなさいと私に言った、あの日。本当は、私にこういう答えを出してほしかったのかもしれない。ルピの満足げな横顔を見ていたら、なんだかそんな気がした。
「そんな覚悟があるのに、またあんなことしたら……今度は意地でも助けるわよ」
私とルピは、目を合わせてから小さく笑いあった。ルピは立ち上がると、サンドイッチをくいと持ち上げて言った。
「戻りましょう。みんなで食べた方が、やっぱり美味しいわ」
「……うんっ」
晴れやかな気持ちで、私はルピと一緒に食堂へと戻った。
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