09
「***、」
キッチンの前まで辿り着くと、ローは***にそう呼び掛けた。
「?なに?」
「…昨日、何人かクルーを増やした。」
「え?」
「仲間が増えたんだ。」
そう言うと、ローは***の頭の上に刺青だらけの手を乗せる。
「仲良くやれよ。」
「わっ、わかった…!」
「紹介はそれぞれ会ったときにしてやる。いいな。」
「…あ、あのさ、ロー、」
「あァ?」
***はしばらく俯いていたかと思うと、思い切ったようにカオを上げてローを見た。
「そ、そのなかに、その、…女の子っている?」
ぼそぼそと呟くように小さな声でそう問われると、ローは首を傾げた。
「?いや?」
「…!そっ、そっか…!ならいいんだ!あははははっ…」
「?」
訝しげに眉を寄せたローに気付かないフリをして、***はキッチンの戸を開けた。
「おはようございます!」
***が元気よくそう挨拶すると、キッチンにいた全員の目が***へ向けられた。
「おっ、おはよう!」
「は、早いなー!今日も!」
「あれっ、船長もいたんすか!」
「船長が早起きだ!今日は台風が来るぞ!」
いつもの通りにそう軽口を叩いてみても、その笑顔はどこかギクシャクしている。
だれを覚えていて、だれを忘れているのか。
***の反応を見なければ、ローにもだれにも分からないからだ。
「みんなも今日早いね?こんな時間にキッチンにいるなんて。」
特にいつもと変わった様子もなく、そこにいる全員に対してそう話した***に、ようやく皆の表情にいつもの笑みが浮かんだ。
どうやら、ここにいるクルーのことは全員、覚えているようだ。
「いやー、昨日はよ***!この島でだれが一番イイ女とヤれるかっていう賭けをだな!」
「バカおまえ!***の前で下世話なこと言うんじゃねェよ!」
「船長にバラされるぞ!」
「お、おい見ろ…あの船長のカオ…」
「”ROOM”…」
「ぎゃあああああっ…!!」
そんな日常のやり取りを見て、***はいつものように声を上げて笑った。
船長を疑っているわけではない。
だが、皆信じきることができずにいた。
この***が、病気だなんて。
今回ばかりは、船長の診断が外れてほしい。
だれもが、そう思っていた。
「うーっす。」
キッチンの扉から気怠そうな声を出して現れたのは、シャチだった。
すると、***の存在に気が付いたシャチが、ギクリと足を止める。
いつもだったら***をからかいながら話し掛けるシャチも、今日ばかりはそうはいかない。
どぎまぎと目を泳がせたシャチを、***はジィッと見つめている。
ローを含め、そこにいる全員が固唾を呑んで***の様子を伺った。
すると、
***はにっこりと笑って、シャチへと走り寄って行く。
そんな***の様子に、シャチが安堵したように頬を緩めた、
その時、
「はじめまして!」
「…え、」
「あっ、あのっ、私、***といいます。ロー、あ、いやっ、船長から話は聞いてます!」
「…………………。」
「これから、一緒に航海して行くんですよね?」
「…………………。」
「わからないことがあったら、なんでも聞いてくださいね!」
そう言って、***はシャチに向かって手を差し出した。
新たな仲間を迎えるとき、***は必ずその相手と握手をする。
そんな、見なれた光景だった。
だれもが言葉を失っているなか、シャチは数秒俯いたのち、勢いよくカオを上げた。
「…おう!おれはシャチってんだ!よろしくな!」
泣き笑いのようなシャチのそのカオと、突きつけられた現実を直視することができず、全員が床に視線を下げる。
「シャチさん、ですね!」
「『さん』なんてやめてくれよ。呼ばれなれねェからさ。」
「そ、そうなんですか?ええっと、じゃあ、…シャチくん!」
「…おう、それでいい。」
いつものようにそう呼ばれて、シャチは寂しげに笑った。
「…***、」
「…!はっ、はい!」
「飯。早く作れ。」
「あっ、うっ、うん!わかった!」
ローにそう言われて、***はシャチに軽く会釈をしてから慌てて厨房のほうへと走って行った。
「…シャチ、」
「…はい。」
肩をおとしているシャチにだれもが声を掛けられずにいたが、ローはそんなシャチを見て小さく口の端を上げた。
「演技がうまいじゃねェか。」
「…は、」
「俳優にでもなれんじゃねェか。」
「…………………。」
「まァ、もっともおまえじゃあAV男優が関の山だけどな。」
いつものように皮肉めいてそう言ったローに、カオを緩ませたのはシャチだけではなかった。
「ぎゃははっ!シャチがAV男優だとよ!」
「船長!コイツには無理ですぜィ。」
「なんせシャチは早漏だからな!」
「ぎゃはははははっ…!!」
「黙って聞いてりゃおまえら!!失礼だぞコラ!!」
重苦しかった空気に、いつもの喧騒が戻る。
ローは、シャチの頭に手を乗せると、至極穏やかな声で言った。
「助かった、シャチ。」
「…!」
「ありがとよ。」
「せ、船長…」
うるりと涙腺が崩壊しそうになって、シャチは慌てて目を拭う。
「船長がおれに礼を言うなんて、きっともう一生ないですね!」
「あァ、今のが最初で最後だ。」
「ええっ!そんな!」
わざとらしくシャチがおどけてみせたところで、めずらしく大きなあくびをしながらペンギンが現れた。
すると、なにかを探るようにして、ペンギンは皆のカオをぐるりと見回す。
それがシャチのところで止まると、シャチはゆっくりと首を横に振った。
「…そうか。この分だと、ベポのこともおそらくは…」
「あァ、だろうな。」
ローはそう相槌を打つと、厨房にいる***を見つめた。
これ以上、進行しなきゃいいがな…
しかし、ローと皆の願いも空しく、事態は悪化の一途を辿っていくこととなる。[ 59/68 ][*prev] [next#]
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