本心 2/2
「船長……! ベポ……! ***……!」
みんなが口々にそう叫んで、慌てて私たちの元へ駆け寄って来る。
ベポの巨体を支えていたローは、甲板に辿り着いた途端、ぐらりとその体勢を崩した。
「何があったんですか……! 三人してっ、こんな……!」
ペンギンさんやみんなの悲痛な叫びも無理はない。
私たちは、見るも無惨に三人三様、血まみれだった。
「船に戻る途中、山賊に……襲われた……」
体勢を戻しながら、ローが息も絶え絶えにそう伝えた。
停泊していた街での買い出しを終えて、船へ戻る途中、森を横切ったところで山賊に襲われた。
数十人対、三人。山賊の中には何人か手練れもいて、どんなに二人が強くても、圧倒的に不利だった。
「うわあああんっ……! 痛いよう……! キャプテン……!」
中途半端に意識を戻してしまったベポが、甲板でのたうち回りながら泣き叫んだ。
それもそのはず。ベポが一番、重傷だった。彼は、山賊の投げた手榴弾を、脇腹に食らっていた。内臓も損傷している。白いはずの毛皮は、見る影もなく赤黒かった。
「ぐっ……! ベポ……!」
自分も重傷なのに、ローはよろよろと立ち上がった。ローの肩と太腿は、痛々しくえぐれている。
「無理です……! あなたも重傷なのに……!」
ペンギンさんは、よろめいているローの体を支えながら、そう訴えた。
「おれ以外にっ、誰がいる……!」
「……!」
誰も、何も言えなかった。
一目で分かる。今のベポは、ローにしか治せない。
「***……! 少し待てるなっ?」
「……! 待てる……! 私は大丈夫……!」
実際、私の怪我なんて、二人に比べればただのかすり傷だ。山賊の振り下ろした剣の切っ先が、ほんの少し腕に当たっただけ。
守ってくれた。二人が。
たまらず溢れた涙が、甲板の木を濡らす。
悔しい。悔しい。
私、何も出来なかった。今だって、何も出来ない。
「シャチ……! ***の応急処置を頼む……!」
「……! アイアイ! キャプテンッ!」
「ペンギン……! 手術の介助を……!」
「はい……!」
二人に続いて、他の船員たちも後に続いた。シャチくんは、救急箱片手に私の元へ走って来て、震える手で処置をしてくれた。
「***……! よく頑張ったな……! ああ、こんなに切れちまって……」
「ははっ、私のなんて、大丈夫……! ローや、っ、ベポに比べたら……!」
「なァに、大丈夫だ。きっとそうだ。だって、船長が手術するんだから……!」
「っ、うんっ……!」
「船長だって、あんなんで死ぬタマじゃない。そうだろっ? っ、***……」
「っ、」
二人して、肩を震わせて泣きじゃくった。
早く、この状況が終わってほしい。早く、またみんなで笑い合いたい。早く、早く。
目の前に置かれた現実から、目を背けたい気持ちでいっぱいだった。
自分があまりにもちっぽけで、惨めで、情けなくて。そんな自分に、吐き気がした。
一時間経って、手術室が開いた。
出てきたローの姿を見て、私を含めた船員全員が、絶句する。
浅黒いはずのカオは真っ青で、大げさじゃなく、死体のようだった。パーカーとジーンズは血を吸いすぎて、見た目にも重みを増していると分かる。応急処置であろう止血も、もはや意味を成してはいない。
腕からは、輸血をしている管が繋がっている。だが、どう考えても、そんなものでは間に合ってはいなかった。
「ペポはもう……大丈夫だ……」
声を出すのもやっと。息が出来ているのが、不思議なくらいだ。
「船長……! っ、早く……! ご自分の処置を……!」
誰かがそう叫んでくれた。ペンギンさんの声だったかもしれない。みんなが、その声で我に返った。
「指示をくれ……! 船長……! みんなで治療の手伝いをっ」
ローが、おもむろに右手を伸ばした。その右手が、時折大きく痙攣する。出血が多量だからだ。
みんな、その右手の行く先に目を見張った。
右手は、私に向けて懸命に差し出されていた。
「来い……***……」
「……え?」
「おまえの……手当てをする……」
私を含めた、全員があぜんとした。何を言っているんだろうと、そう思ったはずだ。実際、私は心の底からそう思った。
私の怪我は、ただのかすり傷だ。応急処置で事足りている。
どう見たって、次に治療が必要なのは、ローの方だった。
「何……言ってるの。私のことは、後でいいから」
「ダメだ。おまえが先だ」
きっぱりとした物言いに、心臓が嫌な音で暴れ出す。
説得をしなければ。
ローが、死んでしまう。
「ロー、私の怪我は、大したことないから。だから」
「いいから。早く来い。おまえが……先だ……」
今ほど、ローの頑固さに苛立ちを感じたことはない。
私の体は、震え始めた。
「ロー、お願いだから。自分の治療を」
「血が……出ただろ……」
「ローほどじゃないっ。だから、っ、早く」
落ち着こうとすればするほど、体全体が戦慄く。
どうして、素直に言うことを聞いてくれないのか。自分が、死にそうだというのに。
「守るって、言っただろ……」
「……」
「命に代えても……守るって……」
「……」
「だから……おれは」
乾いた音が、船内に響く。私は、ローの頬を平手打ちした。
みんなが、あんぐりと口を開けている。
一番驚いていたのは、ローだった。
「背中になるって、言ったでしょ……?」
「……」
「今度は、自分が背中になるって……」
「……」
──あの時は、ただその背中を追いかけてりゃ良かったが……これからは違う。
──これからは、おれがその背中になる。
「ローがいなくなったら、っ、私たちは、どこへ進めばいいの……?」
「***……」
「ロー……あなたは、船長なんだよ……」
ローの血にまみれたパーカーを、すがるように掴んだ。
「もう、一人じゃないんだよ」
ローは、ゆっくりと、船員一人一人のカオを見渡した。
そして、自分の太腿の怪我を見ると、そのまま手術室の方へ踵を返した。
「ペンギン……輸血の量、増やしてくれ……とにかく、血が足りねェ……」
「……! はっ、はいっ」
「シャチ……ありったけのタオルとシーツを……それで止血を頼む」
「わっ、分かりました……! すぐに……!」
「目の良いヤツは、全員ついてきてくれ……血管を繋ぎてェが……今のおれは目が見えねェ」
「アイアイッ! キャプテン!」
その掛け声で、一人も余すことなく、全員がローの後に続いた。
「……***」
最後にローは、私を呼んだ。
涙目で見上げたローは、いつものように、意地悪そうに笑ってた。
「戻ったら……倍返しだからな。覚悟しとけよ……」
*
フィルムが切れたみたいに、ぶつりとそこで映像が終わった。
瞑っていた目を開けると、抱え込んでいる自分の膝が見える。
項垂れていた頭を上げた。辺りに目を凝らすと、鬱蒼とした木々が、視界を覆った。
そうだ。漁船でこの島に着いて……だけど、なんだか体が重くて……森の中で一休みしていたんだった。
いつのまにか、また眠ってしまっていたらしい。寝たり起きたりを何度か繰り返していたから、島に着いたのが今日だったのか昨日だったのか、もう分からなくなってしまった。
また、現実と夢の狭間にいた。ローや、みんなと別れてから、毎日。私はまるで、映画でも観ているみたいに、過去の夢を何度も見た。
頬が異様に冷たい。触れてみると、涙の跡があった。夢を見ながら、泣いていたらしい。
眼前に広がる森を見る。奥の奥まで木しか見えなくて、もしかして終わりがないんじゃないかと、そう思った。
私、どこに行くつもりなんだろう。
ぼんやりとした頭で、そんなことを考える。
今さら、故郷に帰る気も、気力もない。居場所なんて、どこにもないのに。一体、どこに行こうとしているのか。
心に、闇が巣食い始める。
ローたちと別れて、随分と時間が経った。もっと早くに、こんなふうに絶望していてもおかしくなかった。
今になって、どうして……。
──アンタ、海賊でしょ?
そうか。
ナルミくんがいてくれたから。
だから私、こんなふうに、孤独を感じずに済んだんだ。
だけどもはや、彼もいない。私はついに、本当に一人になった。
木々が歌い始めた。さあっ、と細かな音がして、足元には雨が落ちてきた。
生きていける気が、まるでしなかった。
せっかく、命を繋いでもらったというのに。
体と心の、どこを探しても。そんな気力は、一ミリも湧かなかった。
目を瞑った。
夢の中で眠りたい。そしてそのまま、眠り続けてしまいたい。
そうすれば、また、私は──。
まぶたの裏で、みんなが笑顔で迎えてくれた。
何分、何時間。そうしていたか分からない。
私の意識は、木の枝を踏むような、そんな音で、再び覚醒した。
うっすらと目を開ける。数十センチ先に、人の足が見えた。
何者なのか、何をされるのか。分からなかったが、もう恐怖も感じなかった。
「こんなことだろうと思った」
聞き慣れた、少し中性的な声がする。
じわじわと、釣り上げられるように、カオを上げる。
繊細な、糸のような髪を濡らして、ナルミくんがそこに立っていた。
「ねェ、一つだけ聞かせてくれない?」
いつもの、あの抑揚のない声で言う。
「アンタ……本当はどうしたいの?」
突然訊ねられて、何も言葉が出ない。
ナルミくんが、濡れた地面に片膝をつく。私のあごを、細い指で掬って、彼はもう一度言った。
「どうしたいんだよ、本当は」
「……」
「出会ってから今まで。アンタの本心、多分聞いたことないんだけど」
「……本心」
「あるはずだよ。ちゃんと、探してみな」
分からない。探し出せない。
いや。本当は、正確には──。
「知りたくない……」
「……」
「本心なんて……探したくない……」
「……」
「気付きたく……ないんです……」
だって、自覚したところで。
私にはそれが、許されない。
「あのさ」
「……」
「今ここには、アンタとおれしかいない」
「……」
「アンタの本心を聞いたって、困ったり蔑んだりするヤツ、いないんだよ」
ナルミくんは、私の両肩に手を置いた。
「大切にしてくれたんでしょ」
「……」
「アンタを想って、大切にしてくれた人たち、いたんじゃないの」
「……」
「そうやって、守られてきた人間が、自分で自分を苦しめて、どうすんの」
もう一度言うよ、と、彼は前置きして続けた。
「アンタ、本当に本当は、どうしたいの?」
「私……」
私は……
本当に、本当は……
『***ー! 一緒に釣りしよー!』
ベポ……。
『***っ! それおれの卵焼きだぞっ!』
シャチくん……。
『いい天気だな、***。洗濯物干すの、手伝おう』
ペンギンさん……。
『***、船長命令が聞けねェのか』
『サンドウィッチは食わねェっつったろ。***、米握れ』
『勝手に怪我なんて、すんじゃねェよ』
『***、
おれを信じて、黙ってついて来い』
「っ、ロー……」
堰を切ったように、涙があふれた。
ぼやけた視界の向こうで、ナルミくんが安堵したように目を細める。
ロー。みんな。
許されないかもしれないけど。
もう、いらないかもしれないけど。
私、本当の、本当は──
「っ、帰りたいっ……」
「……」
「みんなのところに、っ、帰りたいっ……」
「……」
「私、っ、私っ」
子どもみたいな、泣き声を上げて、言った。
「ローに……みんなにっ、会いたい……!」
気付いたら、ナルミくんの胸の中で泣いていた。
次第に遠ざかる意識の中で、優しい声が「大丈夫。おれが必ず、送り届ける」と。
大丈夫、大丈夫、と。何度も、そう言ってくれた。
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