別れの予感

 ナルミくんと暮らし始めて、一ヶ月が過ぎた頃だった。


「あ、ねェ。ちょっと、花屋寄っていい?」


 食料品や日用品の買い出し中、ナルミくんがお花屋さんを指差して言った。


「もちろんいいですけど……」


 お花を買うなんて珍しい。


 不思議に思いながら、私はナルミくんの背中を追った。


「いらっしゃいませ!」


 店外に展示された綺麗な鉢植えに見とれて、思わず私の足が止まる。


 店内からは、一足先にお店に入ったナルミくんへ向けられたであろう、明るく元気な挨拶が聞こえてきた。


 感じの良い店員さんだ。お花もすごく丁寧に育てられているし。


 店内の様子も気になって、私も続いて中へ入った。


 ナルミくんは、あごに手を当てながら、ショーケースの中をじっと見ている。


 隣でそれを見守っていた店員さんが、今度は私に向かって「いらっしゃいませ」とほほえんでくれた。


「ねェ。こっちとこっち、どっちがいいと思う?」


 店員さんの挨拶で、私が来たことに気付いたのだろう。ナルミくんは、薄紫のお花とピンクのお花を交互に指差して、そう訊いてきた。


「どちらもステキですね。どこかに飾るんですか?」

「ううん。結構前に、うちに住みついてた野良猫がいたんだけど、死んじゃったんだよね」

「あ……そうだったんですか……」

「寿命っぽかったから、仕方ないんだけど。裏庭に石立ててるでしょ?」

「あ、はい」

「あれ、その子の墓なんだ。だから、そこに」


 そう言ってナルミくんは、再び花を見比べてうなり始めた。


「どんな子だったんですか? 男の子とか、女の子とか」

「性別はよく分かんなかったんだけど。なんか……色っぽい感じ」

「ええ? 猫なのに?」

「うん。大人びた感じあったんだよね。目とか、すっと切れ長で。アーモンドアイっていうのかな」

「アーモンドアイ……」脳裏に、ルピのカオが浮かぶ。「……薄紫の方がいいかも」


 ルピと一緒に、下着を見に行った時のことを思い出した。その時彼女は確か、こんな色の下着を好んで買っていた。


「そう? ……じゃあ、これ」


 私を一瞥してから、ナルミくんは店員さんへ向けて言った。


「あ、は、はい……」


 歯切れ悪く、店員さんはそう受け答えた。


 さっきまで、あんなに元気に挨拶をしていたのに。不思議に思って、私は彼女の顔色を窺った。


 彼女は、今にも泣き出しそうなカオをしていた。一瞬、猫の話に悲しんだか、あるいはナルミくんの優しさに感動したのか、そのどちらかだと思った。


 しかし、それは違った。彼女をまじまじと観察して、私はそれを察した。


 彼女は、包装を待つナルミくんの横顔を盗み見ていた。彼を視界に映すたびに、その頬はみるみるうちに赤みを増す。


 そして彼女は、私をも見た。火花が散るように目が合うと、彼女は慌てた様子でその目を逸らした。


 好きなんだ。ナルミくんのことが。


 そうピーンときて、私ははたと気が付いた。


 好きな男性が、他の女性と買い物に来たのだ。しかも、「裏庭」の話までして。家に行ったこともあるという、立派な情報だ。そりゃあ、泣きたくもなるだろう。


 私は心の中で焦った。恋人同士ではないと釈明をしたいが、そうしたところでナルミくんが怪訝に思う。下手したら、彼女の気持ちがナルミくんにバレるかもしれない。


 だけど、誤解されたままも良くない。そうは分かっているけれど、考えれば考えるほど、名案はまったく浮かばなかった。


「お待たせしました……」


 彼女が、涙声で言う。お花を渡そうとしている白い手は、小さく震えていた。


「いつもありがとうございます。……行こ」


 そんなことを知る由もなく、ナルミくんは朗らかに笑って私にそう言った。


「……はい」


 為すすべなく、私はこそこそと彼のあとに続いた。


「そうだ。今日の夕飯、あれ作ってよ。さつまいもの味噌汁」


 店を出る直前、ナルミくんが満面の笑みでそうトドメを刺した。


 私はもう、彼女の方を振り向けなかった。





「え? 恋人?」


 さつまいもを口に運ぶ手を止めて、ナルミくんは上目遣いで私を見た。


 よくよく見ると、本当に整ったカオだ。毛穴も全然ないし、目鼻口のパーツのバランスも美しい。男顔というよりは、どちらかというと中性的で、もしかしたら幼少期は女の子と間違えられた経験もあるかもしれない。


 ローとはまた、違ったタイプの、いわゆる〈イケメン〉なのだろう。


「は、はい。そういえば、いるのかなァって」

「いないよ。今は」

「そっ、そうですか」


 良かった……!


 私は密かに胸を撫で下ろした。


 安堵した理由は二つあって、一つはもちろん、さっきの花屋の店員さんのこと。


 そしてもう一つは、もし恋人がいたとして。その場合、他の女性(つまり私)が、一つ屋根の下でこのままお世話になるわけにはいかないと思ったからだ。


 ナルミくんは、冷たいように見えて、実はかなり面倒見が良い。それでいて、お人好しだ。困った人を放っておけない、典型的なタイプ。


 恋人の有無に関わらず、彼は困っている人がいたら、おそらく放ってはおかないだろう。


 だが、その反面、面倒くさがり屋な部分もある。私が目を覚ましたあの日、彼は私の存在を面倒に思って「早く出て行け」と言った。


 だけどおそらく、実際に出て行かれたら、なんだかやっぱり気になって、重い腰を上げて探しに来てくれていたに違いない。


 面倒くさがりの、面倒見の良い人。


 瞳の濃さだけではなく、少し天邪鬼なところも、ローに似ていた。


「アンタは?」

「……はい?」

「アンタはいないの? 恋人」


 予想外の質問返しに、私は慌てて首を振った。


「いっ、いませんいません。そんなの」

「そうなの? 海賊って、恋する暇もないわけ?」

「そんなことは、ない。と思いますけど……」


 脳裏に、ローとルピのツーショットが浮かぶ。


 それに、ペンギンさんやシャチくんだって、停泊した街で女性と歩いているのを、実は何度か見かけたことがある。


 私とベポくらいかもしれない。まともに恋愛らしい恋愛をしていないのは。


「アンタ、モテそう」

「えっ? 残念。ハズレです」

「そうなの? 魚捌けるのにね」


 ……そこ?


「ナルミくんこそ、モテそう」

「うん。おれ、なんでかモテる」

「やっぱり」

「好きですって、よく言われる。だから、恋人すぐ出来るんだ」

「えっ? 好きですって言われたら、付き合うんですか?」

「ううん……そうかも。わりと」


 だって、うれしいじゃん。好かれたら。と、付け加えてから、ナルミくんはようやくさつまいもを食べた。


「……そういえば、今日行った花屋の店員さん、かわいらしかったですね」


 仲を取り持とうなんて慣れないことをするもんだから、つい声が裏返ってしまった。


「ああ、あの子。感じいいよね。いつも元気良くて」


 そう言ったナルミくんの表情を見ていると、反応は上々のようだ。気持ちのこもった接客が功を奏して、良い印象が残っている。


「お花、今度いつ買いに行きますか?」

「花? そうだな。今日買ったばっかりだし……一週間後くらい?」

「……」


 なるほど。


 ある目論見を企てると、私はナルミくんが不在の時を見計らって、一人花屋を訪れた。





 その一週間後。


 食料品の買い出しから戻ったナルミくんの手には、買い物袋と小さな花束が握られていた。


「……あっ、お花屋さん、行ったんですね」


 わざとらしく、そう口にする。


 ナルミくんの口から〈そのこと〉を話してくれるだろうかと心配だったが、意外にも彼は、すぐにそのことに触れた。


「うん。……店員さんいたじゃん。あの元気な」

「あ、ああ。はい。……それが?」


 平静さを装って、私は彼に訊ねた。


 ナルミくんは照れくさそうに視線を泳がせてから、言った。


「告白されたんだよね。今日」

「へ、へェ! それで?」

「……付き合うことになりました」


 報告だからか、彼はなぜか頭を下げて敬語でそう言った。


 私は心の中で、強くガッツポーズをした。


「おめでとうございます!」

「別に、めでたくなんてないけど」

「またまたァ。照れちゃって! 今日は特別に、お魚三匹焼きますねっ」

「……いいよ。二匹で」


 いつものクールな横顔が、心なしか浮かれている。ついには鼻歌まで流れ出して、私は密かにカオをにやけさせた。


 良かった。うまくいって。


 お魚を捌いている手元に、視線が落ちる。


 そういえば、あの頃のナルミくん、お魚も捌けなかったんだっけ。


 姿を変えていくお魚を見つめながら、ふと感慨深くなる。


 ……お別れだな。ナルミくんとも。


 彼の大好物であるさつまいもをお味噌汁の鍋に投入しながら、密かにそんなふうに決意した。


別れの予感


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