朝は来る 1/2

 なんか……赤い。


 最初に抱いたのは、そんな漠然とした感想だった。


 瞑ったまぶたの裏が、やけに赤い。一瞬、朝が来たのかと思ったが、それにしてはどこか異様な色だった。


 目を開けて確認した方が早い。まどろみの中で、私はようやく目を開けた。


 部屋の中は静かだった。三時間前にベッドに潜り込んだ時と、ほぼ同じ状態。


 けれど、視界はゆらゆらと揺れていて、それでいて赤かった。


 異変を感じた。私は、のそりと体を起こした。


「ナルミ、く……」


 まずは彼を起こそうと、左隣のベッドを見た。


 しかし、その中身はもぬけの殻。人が飛び出た状態のまま、布団が口を開けている。


 次に、窓の方を見た。よくよく見ると、その〈赤〉は窓の方から射している。そして何より、窓際に人の気配を感じた。


 窓際に立っていたのはナルミくんだった。彼は、カーテンをほんの少しだけ開けて、熱心に窓の外を覗いている。


 そのこめかみに、珍しく冷や汗が流れていた。


 ようやく、私の五感すべてが目を覚ます。


 遠くで、人の叫び声のようなものが聞こえた。


「ナルミくん」


 彼に呼びかけながら、私は急いでベッドを出た。胸が、早鐘を打ち始める。


 嫌な予感がする時は、体からは大体この音がした。


「……襲撃されてる」


 私を見ることなく、ナルミくんはそう言った。


 「えっ」と、口からは驚いたような声が出たが、世は大海賊時代。私自身、異変を感じてから、そうではないかと察していた。


 ナルミくんが、勢いよくカーテンから離れる。その動きを目で追うと、彼はベッドサイドに置いた剣を掴んで、腰に携えた。


「ナルミくんっ」

「ドック、行ける?」

「えっ?」

「ドック。場所、分かる?」


 こんな時でも、彼の声に抑揚はない。切れ長の目も、いつものようにまっすぐに私を見つめてきた。


「分かる、けどっ」

「じきここにも海賊が来る」ナルミくんは、掛け時計を見上げた。「アンタは船に乗って、町出て。修理、夜明けには終わるって言ってた。多分もう直ってるから」


 早口でまくし立てるように言うと、ナルミくんは部屋の出入り口のドアへ大股で向かった。


 私は、慌てて彼の腕を掴んだ。


「私も一緒に行く……!」

「ダメ。町出てって」

「私一人で逃げるなんて……! そんなことできなっ」

「***!」


 ナルミくんに出会って初めて、彼の怒鳴り声を聞いた。


 私が息を飲んで立ちすくむと、ナルミくんはいつものように目元を柔らかく細めて言った。


「大丈夫。アイツら倒したら、その船奪ってすぐに追いかける」

「……」

「少しの間、別行動するだけ」

「……」

「トラファルガーさんに会うんでしょ?」

「……」

「ね?」


 にこっ、と笑って、ナルミくんは私の頭を撫でた。


 嘘が下手なところも、ローに似ていた。


 ナルミくんが、ドアノブに手をかける。


 すると彼は、何かを思い出したように「そういえば」と言って、振り向いた。


「……アンタの名前、初めて呼んだね」


 そう言って、ナルミくんは照れくさそうに笑った。


「っ、ナルミく」

「じゃあ……後でね、***」

「……! 待って……! ナルミくっ」


 勢いよく扉が開かれる。


 ナルミくんは足が速い。そのスピードを緩めることなく、彼は業火の中へと消えて行った。





 町の中心部に近いドックに辿り着くと、息を潜めて中を覗いた。


 ドックの中は気味が悪いくらいに静まり返っていて、船大工ですら一人も見当たらない。


 もしかしたら、町中を挙げて海賊と戦っているのかもしれない。


 ドックの中へ滑り込んだ。月明かりを頼りに、船を一隻一隻見上げる。


 見慣れた船が目に留まると、急いで船体に立て掛けられたままの梯子を登って行った。


 甲板によじ登ると、舵の方へと走る。


 この船の操作は、ナルミくんと交代でしてきた。私一人でも、十分に動かすことが出来る。


 舵を握った。船の準備は万全で、いつでも出航できる状態だ。


 息を大きく吸って、目を瞑った。


 高鳴っている心臓の音と、自分の息遣い。そして、辺りを取り囲む叫び声と轟音が、耳の奥に響いた。


 ──アンタ、本当はどうしたいの?


 すべての音が消えて、ナルミくんの声だけが耳に蘇る。


 私、本当は今、どうしたいの?


 自分の中の、自分に訊く。


『別にいいんじゃない? アンタの体なんだから、アンタの気持ちで動かして』


 ローと、仲間たち。そして、ナルミくんの顔が、まぶたの裏に浮かんだ。


 私は目を開けた。


 舵から、勢いよく手を離す。


 そしてそのまま、武器庫へ走った。




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