04
「あれっ、キャプテンおはよー。今日は早起きだね、…って、わあ!キャプテン!目の下がいつもより真っ黒だよ!どうしたの?」
「…………………***は。」
朝から騒ぎ立てるベポをジトリと睨み上げると、ローはそれには答えずそう問い掛けた。
「***ならキッチンで朝食の準備してるよ?」
「…そうか。」
それを聞き出すと、ローはフラフラの足取りでキッチンへと歩き出す。
…………………眠れなかった。
言い知れぬ不穏な何かが胸をざわつかせて、ローは一睡もできなかった。
『取り越し苦労』。
そうは思ってみても、ローの中の本能が大きく警鐘を鳴らしているのだ。
キッチンに辿り着くと、ローは真っ先に***を探した。
すると、厨房で忙しなく動き回っている小さな身体。
「***。」
そう声を掛けると、ピタリと動きを止めて勢いよく振り向いた。
「えっ、ロ、ロー?どうしたの?今日は早起きだね、…って、わっ…!ロ、ロー…!目の下がっ、」
「真っ黒なんだろ。ベポに聞いたからもういい。」
小さく溜め息をつきながらそう言うと、***は不安げに眉を寄せる。
「ね、眠れなかったの?大丈夫?何か心配ごと?」
「…なんでもねェよ。」
「ほ、ほんとに?ほんとにほんとに大丈、」
「しつけェよ、バカ。…コーヒー。」
「はっ、はいっ!」
その一言で、***は再びわたわたと厨房へ戻って行った。
せっせとコーヒーメーカーをセットする***を、ローは注意深く見つめる。
……………いつもの***、だな…
普段の***と、特に変わった様子はない。
やはり取り越し苦労なのか…?
いや、しかし…
昨夜と同じくぐるぐると思考を巡らせていると、カタリととなりの椅子が鳴いた。
「おはようございます、船長。どうしたんですか今日は。ずいぶんと早起、…ど、どうしたんですか、その、」
「もういい。いちいち聞くな。めんどくせェ。」
ペンギンが目を丸くしたのを見て、ローはあからさまに面倒くさそうに溜め息をついた。
「なにか問題でも?」
「…………………。」
「?…船、」
「おっ、おまたせしました!コーヒーです!」
ペンギンが呼びかけようとしたのと同時に、カチャンと小さく音を立ててカップが置かれた。
「あっ、おはようございます!ペンギンさん!」
「おはよう、***。」
「ペンギンさんもコーヒー召し上がりますか?」
「あァ、頼む。」
「はい!」
ふんわり微笑んで去って行こうとする***に、ローは「おい、」とそれを引きとめた。
「えっ、あっ、もっ、もしかしてコーヒーまずかった?」
「今日は何時に出掛ける。」
「…え?」
「夜だよ。行きてェとこにもよんだろ。何時に出りゃおまえの行きてェとこに間に合うんだ。」
「…………………。」
そう問うと、***はなぜか困ったように眉を寄せた。
「あ、あれ、わ、私、……………どっか行きたいなんて言ったっけ?」
***のその言葉に、ローは全身の動きをピタリと止めて***を見上げた。
「…………………なに…?」
「わわっ、おっ、怒んないでっ、いっ、今思い出すから…!ええっと、」
え、あれ、なんだっけ、と、あわあわと手を動かしながら必死に思い出そうとする***。
ローは、そんな***の様子を見て、ジトリと手に汗を掻いた。
……………やはり、何かが起こっている。
***の身に、何かが。
「行きたいところ、ローと約束…ええっとたしか、」
「…………………パジャマ。」
「…へ?」
ローの口から出たかわいらしい名詞に、***はぽかんと口を呆けた。
「おまえこの前、パジャマにワイン溢したとかで一着ダメにしただろ。」
「え、あ、うっ、うん…」
「買ってやるって言ったら一緒に選んでとか抜かしたのおまえじゃねェか。」
「えっ、あっ、あれっ、そうだっけ…」
「あァ。」
「そ、そっかそっか、ご、ごめんね、忘れちゃってた…」
ローの告げた嘘の約束に、***は首を傾げながらもそう小さく詫びた。
「七時には出掛けるぞ。飯も外で食う。いいな?」
「…!うっ、うん…!あっ、ありがとう!ロー!」
うれしそうにカオを綻ばせながら、***は弾む足取りで厨房へと走っていく。
「***との約束ってそれですか?パジャマ買うだけなら一日だけでも、」
「ペンギン、」
***を見つめたままのローは、低めの声で言った。
「***から目を離すな。」
「え…?」
「アイツ、何か様子がおかしい。」
「***が…?」
そう聞き返すと、ペンギンも視線で***を追う。
いつもの***と、なにも変わったようには見えない。
見えない、が…
「…わかりました。」
信じて着いてきた男が、そう言うのだ。
きっと、何かあったに違いない。
……………それに、
ペンギンは、未だ***を目で追っているローを見た。
こんなに不安げな船長は初めて見る…
ただならぬその空気に、ペンギンは今から起こりうるであろう『何か』に備えて、一人固く拳を握った。
―…‥
コンコンッ…
『ロー?いる?開けていい?』
約束の夜七時。
船長室で本を読み耽っていると、ドアの向こうから控えめに呼び掛けられた。
「…あァ。」
小さくそう応えると、ローはソファ横にあるテーブルの上に本を置いた。
同時に、船長室のドアが小さく開かれる。
「あ、お、遅くなっちゃってごめんね。」
「おれを待たせるなんて、いい根性してんな。」
「あ、ご、ごめんね、なんか、その…」
「?」
口ごもった***に眉を寄せて首を傾げれば、***は頬をピンクに染めて言った。
「ロ、ローと二人で町歩くなんて久しぶりだから、うれしくて準備に時間かかっちゃった。」
「…………………。」
「あ、ははっ、なーんて、…あっ、なっ、なんの本読んでたの?」
照れをごまかすように室内に目を泳がせると、***は一冊の本へ手を伸ばした。
「わ、また難しそうな本読んでたんだね。…なになに、『脳医学からみる記憶喪、』」
「もういいから行くぞ。」
「えっ、わっ…!ロー…!ちょっ、ちょっと…!」
本に伸ばされた手を強引に掴むと、ローはそのまま船長室を出た。
「ロっ、ロー…!あのっ、ちょっと…!」
「なんだよ、うるせェな。」
「てっ、手っ…!はなっ、離して…」
「あァ?」
そう言われて視線を落とすと、しっかりと繋がれた二人の手。
***のカオは、真っ赤だった。
「…こんくれェでなんつーカオしてんだよ。」
「うっ、ご、ごめん…」
真っ赤なカオのまま恥ずかしそうに俯く***に、ローは小さく笑う。
「指でも絡めてやろうか。」
「んなっ…!!なっ、なに言ってっ、」
熟れたトマトのようにますますカオを真っ赤にして、***がカオを上げたときだった。
「あれー…?キャプテンと***、どこか行くの…?」
目をゴシゴシと擦りながら、ベポが現れた。
どうやら今まで眠っていたらしい。
「あァ、今から町に出てくる。夜飯も外で食ってくるからいらねェ。」
「そっかァ、わかった。いいなー、***。船長とどこ行くの?……………***?」
小さく小首を傾げたベポを見て、ローは初めて***のほうに目をやった。
すると、
ベポを見たまま、驚愕したように固まった***。
「おい、なんだよそのカ、」
「ロ、ロー…」
心なしかカオを蒼くした***が、ベポから目を離さぬまま小声で言った。
「あ、……………あの白くま、なに?」
「……………は?」
「どっ、どうしてくまなのにしゃべってるの?なんで船にいるの?え、え、どういうこと?」
「…………………。」
***のその信じがたい言葉に、ローとベポは思わずカオを見合わせた。
「や、……………やだなァ、***!なんのジョーダン?」
あははっ、と、乾いた笑いを漏らしながらベポがそう言ってはみても、***は未だ困惑したまま。
「……………***、おまえベポをいじめて楽しいか。」
「…!ロ、ロー、なに言って、」
「一緒に見張り番したりするくれェ仲良いのに、ケンカでもしたのか?仲間に対してずいぶんじゃねェか。なァ、ベポ。」
ローがまくし立てるようにそう言うと、***は何かを思い出そうと一点を見つめながらそれを復唱した。
「仲良し…仲間…ベポ…」
「…………………。」
……………思い出せ。
頼む、
『思い出して』くれ。
ローが、コクリとひとつ、喉を鳴らした、その時、
「……………ベポ…!!」
辿った糸が一本繋がったのか、***は閃いたようにパッとカオを上げた。
「そうだ、そうだよ…!!ベポだよ…!!」
***のその様子を見て、ローは内心、安堵の息をついた。
「なんだよ***ー、びっくりしたよー!おれ嫌われたのかと思っちゃった!」
「そっ、そんなわけないよ…!あれ、私どうして…」
自分のことが信じられないというように、***はおでこに手のひらを当てて床を見つめた。
その眼球はひどくさまよっていて、あからさまな動揺が表情に広がっている。
「……………***、行くぞ。」
「え、あ、う、うん…」
その思考を断ち切るかのように強く***の手を引くと、ベポの「おみやげよろしくねー!」という呑気な声を連れて船を出た。[ 54/68 ][*prev] [next#]
[mokuji]
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