船出の時

「わ、あ……! すごい……!」


 港に面した、この町にふさわしい、ささやかな広さのドック。


 そこに停まった、このドックにふさわしくない大きさの船を見上げて、私は感嘆の声を上げた。


 これもデジャヴ。そう。ローと、初めての航海の日。彼が用意した船を目の当たりにした時と、まったく同じ高揚感だった。


「別にすごくないよ。アンタたちの船より小さいでしょ」


 細い線で描いたような切れ長の目を船へ向けて、ナルミくんが言う。


 この、少し冷めたような返しも、あの時のローそっくりだ。


「どうしたの? この船……」


 彼が船を所有しているという話は、聞いたことがない。


 ナルミくんは、この町を拠点にはしているものの、暇さえあれば他の島や街へも出かけて行くと、以前話してくれた。


 けれど、そういう時は、旅行者の船に乗せてもらうか、漁船に近くまで送ってもらうと言っていた。


「おれの職業忘れた?」

「職業?」

「奪ったんだよ、海賊から」

「えっ」

「アンタを連れ帰って、二日目くらいだったかな?」


 彼特有のなんてことない声色で、とんでもないことを言う。


 確かに。よくよく見れば、船は真新しいものではなかった。所々に修繕の跡があり、そのうちの一つは、砲撃を受けた名残なのか、船体の大部分が色味の異なる材木で賄われていた。


 そうだ。忘れてた。この人、海賊狩りだった。


 今の今まで気付かなかったが、ナルミくんの腕や手、頬には、かさぶたがついている。おそらく、この船を手に入れた時に傷つけられた名残だろう。


 ……私って、本当。自分のことばっかり。


「ナルミくん、あの」

「謝るのナシね」

「え?」

「アンタの謝罪、もう聞き飽きた」


 そう言いながら彼は、船の方へ歩き出した。そして、いつかのローのように、船に繋がった縄を解き始めた。


「……ありがとう」

「……」

「は、言ってもいいよね?」

「……まァ、それくらいなら」


 なめらかな髪の間から見える耳が赤い。お礼を言われるのが苦手なところも、やっぱりローに似ていた。


「用意いい? 行くよ」

「はいっ」


 声を張って返事をすると、ナルミくんの手を借りることなく、久々の揺れる床に足を踏み入れた。





「とりあえずは、一旦この先の島に行く」


 出航してから約十分後。ナルミくんは、左腕に着けたログポースを見ながらそう言った。


 頼りなげな指針が、細い手首の上でゆらゆらと揺れる。


「私たちと同じ目的地のログポース、ナルミくんも持ってたんだね」

「昔、旅行者の人に貰ったんだ。なんでもその人たち、途中でエターナルポース手に入れたから、不要になったって」

「なるほど……」

「ラッキーだったね。……さて」


 指針から目を離して、ナルミくんは私を見た。


「彼らの航路の推察。始めようか」


 その言葉を皮切りに、ナルミくんは甲板の床に少し大きめの海図を広げた。そして、胸ポケットから、赤の鉛筆を取り出した。


「まず、アンタたちが別れたのが……ここ」


 そう言って、米粒くらいの大きさで書かれた島に丸をつける。


 世界から見れば、この程度の大きさだったのか。私たちの別れの根源は。


「で、おれがアンタを拾ったのが、この辺」


 その米粒から、ぐいんと離れたところに、ナルミくんはバツ印をつける。


「海図で見ると、本当に随分流されたんだね。私……」


 ハートの海賊団の船が全速力で進んだとしても、おそらく二週間。そこまで行くのに、その程度の時間は要するだろう距離だった。


「あの時期、海すごく荒れてたんだよ。海流のスピードもめちゃくちゃだったし。でも、そのおかげで海王類も割とおとなしくしてた。アンタが食われてなかった要因の一つ」

「そ、そうだったんだ……。ほんと、運が良いのか悪いのか……」

「よく生きてたよね、ほんと。大きな怪我もなく。ここでアンタの運、使いきったかもね」

「えっ」

「それから、ハートの海賊団が、懸賞金上がる事件起こしたのが……ここ」


 そう言って今度は、あの新聞に載っていた箇所と同じ位置に、ハートマークをつけた。


「目的地は一緒だから、普通ならこのログポースを辿って行けば、彼らの航路を追いかける形になるけど……」


 赤いペンの先が、ハートマークの上を二回跳ねる。


「ログポースがこの島を指すのは、もう無理」

「も、もう無理? どうして?」


 答えを言う前に、ナルミくんはハートマークの中を塗り潰した。


「なくなったんだよ。この島」

「えっ」

「その騒動で。相当壮絶な戦いだったんだろうね」


 私は、そのハートマークを見つめた。


 みんな、大丈夫だったかな……。怪我とか……。


「心配しなくても大丈夫でしょ。手配書、誰一人欠けてなかったみたいだし」

「……! そ、そうだよね」


 ナルミくんって、どうして私の考えてることが分かるんだろうか。


「本当はログポースの指し示す通り、順当に島を渡って行くのがいいんだろうけど。途中の島はないし、それが原因ですごく遠回りになる可能性もある。遠回りになれば追いつくのは難しいし、何より時間の無駄」

「な、なるほど……」

「なるべく早く追いつくには、彼らの航路を先回りするくらいの気持ちでないと」

「た、確かに」

「だからやっぱり、推理必要。そこで……」


 言いながら彼がバッグから取り出したのは、ローたちの手配書だった。そして、その中の一枚を引き抜いて、私の方へ見せてみせた。


「ここ見て」

「?」


 それは、シャチくんの手配書だった。ナルミくんが「ここ」と言って指し示したのは、シャチくんの遥か後方に映る、塔のようなものだった。


「変わった形してるでしょ」

「ほんとだ……個性的なデザインだね」

「おれ、この塔がどこにあるか知ってるんだ」

「えっ。そうなの?」

「それがあるのが、この町」


 ナルミくんが、海図のある箇所に、塔のイラストを描く。


「この手配書、金額が上がってるから、多分最近撮られた写真だと思うんだ。最新の」

「うん。それは間違いないと思う。私も見たことない写真だし、それに」私は、ルピの手配書を手に持った。「この子、最近船に乗った子なの」


 ふうん、と、大して興味もなさそうにルピの写真を一瞥してから、ナルミくんは腕を組んだ。


「そうなるとやっぱり、これが撮られたのは、例の事件の後。つまり、彼らがいた、もっとも最近の場所ってことになる。もう移動してるだろうけど」

「じゃあ……」海図の上の、塔のイラストに指を置いた。「とりあえず、ログポースは一旦無視して、ここに向かう。それからは、ログポースを辿って行けばいいんだね?」


 ローたちが持っているのはエターナルポースだけど、おそらくログポースと似たような航路で行くはずだ。だって、それが最短なのだから。


 ナルミくんは黙り込んだ。組んだ腕をそのままに、ゆっくりと目を瞑った。


「ここからは、心の推理」

「こ、心の推理?」

「そう」


 ナルミくんは、目を開いた。そして、右手の人差し指で、左腕に着けたログポースをつついた。


「この町まで行くと、次にログポースが指し示すのは、多分この辺なんだ」鉛筆の赤い先で、ある場所を指した。「……けど」


 少し言い淀んでから、ナルミくんは続けた。


「おれは、彼らはそっちには行かないと思う」

「な、なんで?」

「多分……こっち」


 そう言って彼は、ログポースが指し示すであろう箇所とは真逆の箇所を指差した。


「確かにローたちは、目的地のエターナルポースを持ってるし、寄り道してもさほど支障はないけど……どうしてこんなところに?」


 そう問うと、ナルミくんはまっすぐに私を見た。


「アンタは、もう吹っ切れてるだろうって、昨日そう言ったけど……おれは少し、違うと思う」

「……え?」

「もし、おれが彼らだったら」


 ナルミくんは、私から少し視線を逸らした。


「やっぱり、あきらめきれないと思うよ。アンタのこと」

「……」

「前には確かに、進んでると思う。進まなきゃいけないからね」

「……」

「でも。せめて、亡骸だけでも……この冷たい海から引き上げて、弔ってやりたいって」

「……」

「苦楽を共にした仲間たちなら……そう思うんじゃないかな」

「……」


 実際に見たわけじゃないし、本当にそうかも分からない。


 けれどなぜか、みんなが懸命に私のことを探している様子が、頭に浮かぶ。


 涙が出そうになるが、今は泣いている場合ではない。


「そうだとしたら……だからって、どうしてここなの?」


 やっとの思いでそう口を開くと、ナルミくんは一番最初につけた丸印を指差した。


「海流だよ。もし、アンタが死体になってたとして。死体がこの一帯で彷徨ってたら、海流に乗ってそれが流れてくるのは、この辺りなんだ」


 その〈海流〉を表すように、ナルミくんは鉛筆を波の形に滑らせた。


「おれで考えつくんだ。おそらく、アンタんとこの船長なら、すぐにその考えに辿り着く」

「……」

「ま、幸いアンタは死体にはならなかったから。どうやったって見つからないわけだけど」


 そう言いながら、ナルミくんは床に広げた海図を畳んだ。


「どっちでもいいよ。おれは」

「え?」

「航路。順当な方でも、推理の方でも」

「……」

「所詮、ただの推測だし。アンタの方が、彼らのこと、よく分かるでしょ」

「……」

「普通なら、三日くらい探して見つからなかったらあきらめそうだけど……見てよ。この執念深そうなカオ」


 そう言いながら、ナルミくんはローの手配書を、とんとん、と人差し指で叩いた。


「……ナルミくんの、推理通りで行ってみたい」


 ローの手配書を見つめながら、私は告げた。


「……いいの?」

「うん。そう言われたら、なんだかそんな気がするし。それに」

「それに?」


 ローと似た瞳の色を見つめながら、言った。


「今の私よりも……ナルミくんの方が。ローの気持ち、分かってる気がする」


 会ったこともないのに、不思議。


 人の気持ちに寄り添って物事を考えるって、きっとこういうことなんだろうな。


「男の気持ち分かってるとか言われても、うれしくないけどね」

「ははっ、そうだね」

「女の子の気持ちは……分からないのにね……」

「えっ。いやっ、そういう意味で言ったわけじゃあ……! えっ? ちょっ……ナルミくんっ? ごめんって!」


 かくして私たちは、早く彼らに追いつけるよう、少しイレギュラーな方法で、ハートの海賊団の航路へ続いた。


船出の時


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