01

「わー、素敵…」


そんな小さな呟きが聞こえてきたのは、昼下がりの甲板。


船長である自分がこんな時間まで眠りこけていたところで、咎めるものなど誰もいない。


唯一、そんな自分を責めたてるように照りつけてくる日の光がうっとうしくて、ローは忌々しげにそれを睨みつけた。


歩み寄っていく自分の存在に未だ気付いていないその声の主は、なにやら熱心に手の中を覗いている。


なんとなくそれが気に食わなくて、ローは眉をしかめたまま素早い動きでそれを取り上げた。


「あっ、」

「…あァ?絵本?」


小さな声をひとつ漏らして、勢いよく上げられたカオ。


まんまるく開かれたこげ茶の瞳と目が合った。


「ロ、ロー…!おはっ、おそよう!」

「気付くのが遅ェ。」

「えっ、ご、ごめんね。」

「…なんだこれ。」


ローが***の手元にそれを戻すと、***はヘラリと笑ってうれしそうに答えた。


「あ、こ、これね、この前停泊した町で買ってきたの。表紙の絵がかわいいなと思って。」

「…ガキか。」

「今日初めてお話読んでみたんだけど、ストーリーがすっごく素敵で思わずうっとりしちゃった。」


そう言って、***は頬を少し赤らめながらパラパラとそのページを送る。


「それであんな気味悪ィカオしてたのか。」

「え、き、気味悪かった?」

「あァ。どんな話だよ。」


となりに座ったローがそう問うと、***は本の1ページ目を開いてローに見せた。


「あ、あのね、これがお姫様なんだけど、ある日なんやかんやで悪い人に殺されちゃって、」

「…おまえ読み聞かせの才能ゼロだな。」

「みんなでお姫様の死を哀しんでるところに、白馬に乗った王子様が現れて!」

「…………………。」

「それでね、王子様がお姫様を見て『ああ、なんて美しい姫なんだ!どうか目を覚ましておくれ!』って言って、お姫様にキスするの!」

「…………………。」

「そしたらなんと!お姫様が目を覚ましたではありませんか!」

「…………………。」

「そして二人は幸せに暮らしましたとさ。っていうすっごくロマンチックな、…あ、あれ?ロー?」


なぜかカオを蒼ざめているローを***が不安げに窺うと、ローは首をボリボリと掻き始めた。


「甘ったるくて虫酸が走った。」

「そ、そんな、」

「だいたいな、キスのひとつで死人が生き返ったら医者いらねェんだよ。」

「そ、それはまァたしかに…で、でも童話だしね。」


ローは、***の手に収められたままの本のページに興味なさげに手を伸ばす。


***の身体が、ピクリと小さく揺れた。


「『王子』ってのはどうしてこうバカげた格好してやがるんだ。」

「…………………。」

「こんなんに憧れるヤツの気が知れね、」

「…………………。」

「…………………。」

「…………………。」

「……………オイ。」

「はっ、はいっ…!!」

「カオ真っ赤だぞおまえ。熱でもあんのか。」

「なっ、ないないないない!!大丈夫!!」

「?」


訝しげに眉を寄せたローに、***は噴き出してきた汗を拭いながらぎこちなく笑った。


「で、でも、女の子はやっぱり憧れるよ。白馬に乗った王子様。」

「…この全身タイツの変態にか。」

「あ、そ、そうじゃなくてね、なんかこう、突然素敵な男性が颯爽と現れてさ、ひ、一目惚れなんてされちゃってさ、」

「…………………。」

「悪人をヒョイヒョイ倒して、こう、サッと白馬に乗せてさらってくれちゃったりしたらもう、」

「おまえもか。」

「…へ?」

「おまえもどこぞの馬の骨にさらってほしいとか思ってんのか。」


苛立ちをあらわに口の端を上げるローに、先程までの熱弁はどこへやら、***はあわあわと慌て始めた。


「えっ、いっ、いやっ、べっ、べつにそういう意味じゃあ…!」

「そうだよなァ、おれは海賊だしなァ。たしかに悪モンだよなァ。」

「や、やだな、私にとってローはもうヒーローそのものです、」

「万が一そんなヤツが現れたとしても、おれがおまえの目の前でそいつを八つ裂きにして海王類に喰わせてやる。」

「そっ、そんな血生臭いことこの本の前で言わないでっ、」


ひっ、と小さく声を上げて怯えたような表情をした***を一瞥して、ローはスクッと立ち上がった。


「あっ、ロ、ロー!もうすぐで町に着くんだよね?」

「あァ。」

「や、約束覚えてるよね?町に着いたら、」

「わかってる。夜だろ?」

「…!う、うん…!」

「なんだよ、見せたいモンって。」

「へへー、まだ内緒!」

「…そうかよ。」


カオを思いきり緩ませて笑った***に釣られてローも口の端を上げると、そのままキッチンへ向かった。


―…‥


「あっ、船長ー!おそようございまーす!」


キッチンに着くと、シャチがサンドイッチを口いっぱい頬張りながら笑顔で手を振った。


「…パンしかねェのかよ。」

「船長には***が作ったおにぎりがありますよ。」


そう言った張本人もおにぎりを咀嚼しながら、ローへその皿を差し出した。


「…誰がおれのモンを食っていいと言った、ペンギン。」

「***です。」

「…チッ。」


あからさまに舌打ちをして、ローは自分の定位置に座った。


「船長!町に着いたらさっそく娼館に行きましょうよ!おれの情報によるとー、今向かってる町は美人がいっぱいだって、」

「夜はダメだ。」

「えー!なんでですか!」

「***と先約がある。」

「なんだよ***ー、おれたちの船長を…仕方ないっすねー、じゃあ二日目にでも、」

「夜は毎日ダメだ。」

「ええっ!!なんでですかなんでですかっ!!」

「シャチ、うるさい。」


ペンギンがシャチの頭を叩いてそう一蹴すると、シャチは大げさにのたうち回る。


「知らねェよ、***に聞け。町に着いたら毎日夜九時、必ず付き合えってうるせェんだよ。」


ローがそう告げると、シャチは唇をタコのように尖らせてローを恨めしげに睨んだ。


「ヒドイっす、船長…いつもいつも******って…」

「あァ?んなことねェだろ。」

「この前だって、おれはハンバーグが食いたいって言ったのに***が『オムライスもいいなー』って言ったらオムライスになったし、」

「…………………。」

「その前の日はおれと***が同時にこけたら船長***の手当てしかしないし、」

「…………………。」

「あっ、その前の前の日は、」

「はァ、…わかった、もういい。」


それ以上は言ってくれるなという意をこめて大きく溜め息をつけば、シャチの目がキラリと光る。


「……………一日目だけな。」

「ほんとですかっ!!きゃっほーい!!じゃあおれ***に言って、」

「余計なことすんな。おれが言うからいい。」


最後の一口を口に放ると、ローは席を立ってキッチンを出た。


さて、どう機嫌をとるか。


拗ねると面倒だからな、アイツは。


そう思いながらも、いじけた***のカオを思い浮かべて一人ほくそ笑みながら、ローは再び***の元へ足を進めた。


―…‥


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