エピローグ

 瞑った目の裏が、痛いくらいに白くなった。


 不快感に眉をしかめて、ローの眉は自然と寄った。


「う、ん……」


 自分のその声で、ローは目を開けた。


 ぼんやりとした視界に映ったのは、木だった。薄汚い、こげ茶色の。


 見覚えがある。自分は何度も、この光景を見ている。居心地も悪くはない。


 自分の部屋だと分かるまで、そう時間はかからなかった。ローは、船長室のベッドの上に横たわっていた。


 むくり、身体を起こすと、窓を見た。太陽の陽が、攻撃的に自分に向かって降り注いでいる。先ほどまぶたに被さった白いものの正体は、どうやらこれらしい。


 しばらくローは、ベッドの上で放心した。なんだかずいぶん、眠った気がする。頭はすっきりと軽かったが、すぐには働かなかった。


 波の動きに合わせて、船が揺れる。玉になった陽の光が、壁でふわふわ踊っていて、ローは何かを断片的に思い出してきた。


 黄色い光。たくさんの。森の中で。誰か、誰かと。


 誰だ? あれは、誰だった。


「***……」

 ぽろりと、その名が口から落ちた。


 そうだ。


 ***と一緒だった気がする。


 ***と一緒だったはずなのに、一人だったような。


 そんな、不思議な感覚だった。


 ローはベッドから降りると、ぼんやりとしたまま、船長室を出た。





 甲板に続く廊下に、シャチがいた。


「船長! おはっ……あっ、おそよう……ん? あれ? 今何時だ?」


 首をひねったシャチに、ローは寝ぼけ眼のまま訊いた。


「シャチ、***はどこだ」

「***?」


 きょとっと、目を丸めてから、シャチは「ああ」と言った。甲板の方へ目配せして、続けた。


「***なら……ほら」


 そう言ってシャチは、人差し指で空中を指した。音を聴いてくれ、ということらしい。


 ローは、甲板へ目を向けて、耳をすませた。


 ヨーホー、ヨーホー。ザブン、ザブン。バサ、バサ。ヨーホー。


 胸をすくような音だ。


 誘われるように、ローは甲板へと歩き出した。


 その道すがら、船員たちが挨拶をしてくる。どうやら今は早朝らしい。めずらしく早起きなローの姿を見て、皆が目を丸くした。


 甲板に続く扉は開きっぱなしになっていた。天気が良い時は、決まってこうする。


 ローが文句を言えば、***は「だって天気が良いんだもん」と、うれしそうに言った。


 甲板に出ると、太陽が燦々と船上を照らしていた。白いシーツが、はたはたと潮風に踊らされている。


「ヨホホホー、ヨーホホッホー」


 歌声と潮風の動きがマッチして、まるでシーツが歌っているようだった。


 あまりにもバカバカしくて、平和ボケしていて、退屈で。


 ローはなぜか、子どものように泣き出したくなった。


 はためいているシーツを捲ると、こげ茶色の目が大きく見開いて自分を見た。


「ロ、ロー!」


 次に干すらしいシーツを握ったまま、***は驚いたようにそう呼んだ。


「おっ、おはっ、あっ、おそよ……あれっ? 今何時? まだ早くな、……わっ!」


 握られたシーツを引っ掴むと、ローは思いきり手前に引いた。


 すると***まで前のめりになって、ローの胸で鼻を打った。


 そのまま***を抱きとめて、抱きしめる。


 所々で「ひゅうっ」とからかうような口笛が鳴った。***の隣で洗濯物を干していたベポは、「きゃー」と言って両目を目で覆った。


「なっ、なっ……! ロー! ちょっ、ちょっとっ」

「おはよう」

「えっ?」

「……おはよう、***」


 耳元でそう言うと、***は押し黙った。小さな沈黙の後、「お、おはよう、ロー」とどぎまぎ言った。


「……」

「……」

「ロ、ロー? あのっ」

「おまえ」

「へっ?」

「何歌ってんだよ、いつも。洗濯物干してる時」

「う、歌? 洗濯物干してる時の?」


 なぜそんなことを訊くのかと、***は訝しげだった。


 そんなこと、ロー本人も分からない。


 ただ、なんとなく。無性に気になったのだ。


「何……ってわけじゃないんだけど」

「あァ」

「その日の天気とか気分で、自然と出てきた歌を」

「今日は?」

「え?」

「今日」

「今日、は……」


 ローの肩越しに、***は空を見上げた。


「て、 天気も良いし、気分も良いから……一番お気に入りの歌を……」

「……"ビンクスの酒"か」

「う、うん」

「他には?」

「ほ、他は、そうだな……あっ、じ、自分で作ったりするよ」

「おまえが? 歌を?」

「う、うん。……へへっ」

「ククッ、なんだそりゃ」

「……ローのテーマソングもあるんだよ」


 そう言うと、ローは声を上げて笑った。


 腕の中の***は、それを見て、ほっと息をついた。


「……」

「……」

「あ、あのー」

「あ?」

「も、もうそろそろ離し」

「動くな」

「はい」

「……」

「……」

「……」

「こ」

「あ?」

「あ、こ……怖い夢でも、見た?」

「……」


 怖い夢。


 どうだっただろうか。確かになんだか、妙な気持ちで目が覚めた。


 でも、今はそんなこと、どうでもいい。


「なんだか……おまえが暖かくて、ひどく落ち着く」


 腕に力を込めれば、***の身体がますます硬直した。


 はしっこに見えている船員たちの好奇の目も、ペンギンのあきれ顔も、もう無視することにした。


 今はもう、このぬくもりだけで。


「ロ、ロー、あっ、あの、み、みんな見てるからっ」

「いいだろ。今日はもう、ずっとイチャイチャしてようぜ」

「イっ……!」

「おら、さっさと洗濯物干せ」


 くるり、***の身体を裏返すと、ローは背後から***の腹あたりを抱いた。


 そのまま、***の首筋にカオを埋めると、頸動脈がどくどくどくと叫んで、ひどく安心して。


 ローはずっと、その音だけを聴いていた。


「ほっ、干しにくい……」

「んー」

「ロ、ロー? ちょっ、重いっ」

「……」

「えっ、ね、寝た?」

「……」

「も、もう。し、しょうがないなァ」

「……」


 にやけてやがんな、これ。


 ***の表情が容易に想像できて、ローは笑った。


「……ロー」

「……」

「あ、あの」

「……」

「……蛍、キレイだったね」


 約束、守ってくれて、ありがとう。


 ***は、丁寧にそう言った。


 その言葉と、***の生活の音を聞きながら、ローはとろとろと目を瞑った。


 一つの、黄色い小さな光が、二人の間をするりと抜けて、空へ消えた。


童話に彷徨う海賊たち


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