狼少年の、罪と罰

「エースくんに言いたいことがあります」

「……」


 ある日の夕方、突然ノックもなしに訪れた***が、仁王立ちしてそう言った。


 はい、なんですか。


「この間エース、おうちに女の子連れてきたでしょ」

「……」


 心当たりがありすぎて、どのことを言ってるのか分からない。


 っていうか、なんで連れて来たの知ってんだ。


「忍び込んだときに、うふんあはんな声が聞こえたからです」

「……! ごほっ」


 思わず、口に含んでいたコーラを噴き出してしまった。


「ちょ、汚い!」

「んなっ、んなっ、いっ、いつだよそれ!」

「おとといの夕方」

「……」


 やってた。確かにやってたわ。


「ルフィの教育上よくない」

「……ルフィはあの日友だちんち泊まりに行くって言ってたんだよ」

「万が一億が一帰ってきちゃってたらどうするの! ルフィのことだからきっと、あのキラキラした目で『なんだ? 組手か? おれも混ぜてくれ!』なーんてことになりかねないでしょうが!」

「……」


 ありえそうで怖い。


「……以後気を付けます」

「よろしい」


 そのエースの一言に満足したのか、***は偉そうに、うむ、と頷いた。


 そうか、聞いちまったのか。


 どう思ったかな、***。


 少しは、嫉妬とか……


「エースがどこで何しようと口出すアレはないんだけどさ。ルフィのことは心配なわけよ。おばちゃん」

「……」


 んなわけ、ねェか。


 おれがどこで何しようと、構わないんだってさ。


 そうかよそうかよ。バーカバーカ。


 このあいだ、二人の空気が微妙に幼なじみから抜け出せた気がしたのは、どうやら気のせいだったらしい。


「よし、言いたいことは以上! んじゃ、ちょっくら私は出掛けてきまー」

「待て」


 出て行こうとした***の頭を、エースの大きな手が鷲掴みにする。


「なっ、なっ、なっ、なにっ」

「……」


 動揺している***の、頭のてっぺんから足の先までじろりと見つめた。


 うん、かわいい。


 このワンピース、すげェ似合ってる。


 ……じゃなくて。


「おまえ、合コン行く気だろ」

「ぎくり。ちっ、ちっ、ちっ、違う違う! お友だちとお食事会っ」

「何がお食事会だよ。ぎくりって言っちまってんじゃねェか、バカ」


 やっぱり。***が合コンの時ってすぐ分かる。


 男に媚びるようなパステルカラーのワンピースに、くるくるのヘアスタイル、少し厚めの化粧。


 全っ然、似合ってない。


 いや、嘘。


 似合ってるけど、他の男のために着飾った***なんて、かわいいなんて思いたくない。


 それにおれは、頭ぼさぼさでスッピンでくたびれたパジャマ姿の***のが好きだ。


 絶対行かせない。


「今日うちで飯食ってけよ」

「……」

「ルフィももうじき帰ってくる」

「……」

「……今日うちハンバーグだぞ」


 その一言に一瞬目が煌めいたが、***はすぐに仏頂面に戻った。


「今日はいいや」

「……」


 ***に気付かれないように、ぎゅっと拳を握る。


 いやだ、いやだ。行かせたくない。


「……じつは、おれ今日ちょっと具合悪い」

「……え?」


 ***が、目をまるくしてエースを見上げた。


「ほ、ほんとに?」

「あァ、熱ある。少しだけど。身体もダルい」

「……」


 ***のカオが、少しずつ青ざめていく。


「なんで早く言わないの、だから寝てたの?」


 ***は持っていたバッグを床に置いて、エースの手首を掴むとベッドへと連れて行った。


 ベッドの縁にエースを座らせると、***はエースにおでこをくっつける。


 ***の熱の計り方。こんなんでわかるのかよっていつも思うけど、言わない。


 ***の身体に、ほんの少しでも触れられる数少ないチャンスだから。


 ああ、キスしてェ。


「ほんとだ、どうしよう。少し熱い」


 ***の唇に見惚れていると、その唇が呟くようにそう言った。


 ***が触れてることで興奮しただけなんだけど。どうやら思惑どおりになったらしい。


 ***は、綺麗にセットされたふわふわの髪を、かわいげのないヘアゴムで結ぶ。


 それのせいで、少しカールが取れてしまった。


 ***の頭に、きっともう合コンはない。


「ご飯どうする? ハンバーグよりお粥とかの方がいいんじゃない?」

「あー……そうだな」


 くそ、おれのハンバーグ……!


 確かに惜しいが、***が合コン行かなくなったんだから、安いもんだ。


「じゃあキッチン借りるね?」

「おォ、悪いな」


 そう言うと、***はふわりと笑ってキッチンに向かった。


 しばらくしてからルフィが帰ってきて、下のキッチンが騒がしくなる。


 ルフィと***の声が交互に聞こえてきて、エースは心地好さを感じた。


 いいなァ、この感じ。


 毎日、***が家にいてくれたらいいのに。


 そしたら、女なんて連れ込まないのに。


 でも、それじゃあ我慢できなくなるか。


 ううん……。


 そんなことを考えていたら、かちゃりとドアが開いた。


「エース、大丈夫?」


 お粥を片手に、***はエースのいるベッドに腰掛ける。


「おー、ありがとう」

「いいえー」


 ***は、スプーンでお粥を掬うと、ふうふうと息を掛けた。


 お粥になりたいとか思ったおれは、変態かもしれない。


「エース、あーん」

「じ、自分で食える」

「いいから」


 咎めるように眉を寄せたその表情に圧されて、エースはおずおずと口を開ける。


「おいしい?」

「……あァ」

「そっか、よかった」


 そう答えて、***は安心したように笑った。


 かわいいな、もう。


 ***のこと、独り占めしてるみてェ。


 すげェ最高。


「よし、完食!」

「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした。さ、寝た寝た!」


 そう言って、***はエースの身体をゆっくりとベッドに沈める。


 その状況に、むらっときた。


「寒くない? エース」

「ん? あー……少し」


 具合悪いって言ってる奴って、よく寒がってる気がする。


 そう思い、エースはとっさにそう口にした。


「そっか。……よし! ちょっと待っててね」


 すると***は、小走りでどこかへ向かう。


 キッチンでおれの分のハンバーグまで平らげているであろうルフィに何かを告げたあと、玄関の開く音がした。


 ……なんだ? 帰っちまったのか?


 でも待っててねって言ってたし……。


 十分ほど経ったところで、下からまた***の声が聞こえてきた。どうやら戻ってきたらしい。


 再び姿を現した***を見て、エースは愕然とする。


「……なんでパジャマ?」


 厚かった化粧もすっかり落として、くたびれたパジャマを着た***がそこにいた。


「添い寝してあげる!」

「……は」


 はァっ?


「熱ある時って、身体暖めていっぱい汗かいた方がいいんだよ」

「いやいやいやいやっ……! だっ、大丈夫だっ」


 大パニック。身体がもうすでに熱い。


 ダラダラと汗をかきながら、エースはなんとか***の添い寝を丁重に断ろうとした。


 添い寝なんてされたら、絶対我慢できねェ! 襲っちまう自信が120%ある!


「ふっ、布団いっぱい掛けるから!」

「それじゃあ重くなって苦しくて眠れなくなっちゃうよ」


 おまえと一緒に寝る方がおれは眠れない!


「とにかく大丈夫だ! おれは一人で寝る! 絶っっっ対にっ、一人で寝る!」


 ぜーはーぜーはーと息を切らしながら、エースは叫ぶようにそう言った。


「……」

「……***? どうした?」


 俯くようにして何も言わなくなってしまった***に、エースは眉を寄せておそるおそる尋ねる。


「エース、無理しすぎ」

「……へ?」

「いっつも一人で頑張っちゃうから、身体壊したりするんじゃん。頑丈なくせに」

「……」

「私には、甘えてよ」

「……」

「……幼なじみなんだから」

「……」


 エースは大きく息を吐くと、覚悟を決めた。


「ほら」


 そう短く言って、布団をめくり、スペースを空ける。


 それを見て、***はうれしそうに笑うと、ベッドへと足を進めた。


 ***がベッドに足を掛けると、ギシリとスプリングが音を立てる。


 やばい。エロい。


 ***は、エースより少し高い位置で横になると、エースの身体を引き寄せた。


「エース、もっとこっち」

「は、はい」


 それに導かれるようにして***に寄ると、エースのカオは***の首筋にすっぽりとはまる。


 やばい、どうしよう、どうしよう。


 心臓、速くなってきた。身体中あちィ。


 しかも、これだけで正直もう勃ちそう。


 マズイ、マズイ。


 ほんとに、どうし、


「大丈夫だよ、エース」


 突然、そんな声が聞こえてきて、エースはぴたりと思考を止めた。


 エースの髪を、***が柔らかくなでる。


「すぐ、よくなるからね」

「……」

「よくなるまで、ずっとそばにいるから」

「……」

「一人にしないからね」

「……母ちゃんか、おまえは」

「……へへっ」


 エースは、幼い頃に母を亡くしている。


 そのこともあって、***はこんなときのエースを、たまらなく心配するのだ。


「おやすみ、エース」

「……あァ、おやすみ」


 その何分後かに、小さな寝息が聞こえてきた。


 エースは、大きくため息をつく。


 さて、大変なことになった。


 やたら滅多に、嘘なんてつくもんじゃない。


 これから長い夜が始まるな……。


 エースは、***の温もりを感じなから、人知れず気合いを入れた。


狼少年の、罪と罰


 おはよう、エース! 具合どう?


 ……あァ、だいぶいい。


 ほんと? ならよかった!


(よく耐えた……! 自分に拍手……!)


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