告白
「エースくんって、ほかに好きな人いるよね?」
ほんの一分前まで繋がっていた相手にそんなことを訊かれて、エースはきょとんとした。どうしてわかったのか、なぜこのタイミングで、など、様々な疑問が脳裏をよぎったが、その中でもエースは一番気にかかったことを訊き返した。
「ほかに……ってなんだよ。おれ、おまえのこと好きだなんて言ったか?」
言いながら、あ、最低なセリフ、と思う。けれど、最低なセリフだと思うだけで、最低なことを言ったとは思わない。なぜなら、そう言った彼女自身、ほかに好きな男がいると言っていたからだ。
彼女はさめざめと泣きだした。
「ほんとに、私にほかに好きな人がいると思った? そんなわけないじゃん。エースくんが最近、遊びの子としか寝ないって噂で聞いたから、そう言っただけで。私の態度とか、言葉とか、そういうところで、ほんとは気づいてたんでしょ?」
「……え」
ほんとにわかんなかった。
エースは滝のような汗をかいた。おのれの鈍感さに、心底辟易する。
エースは頭をかくと、すっかり熱が冷めたコンドームをごみ箱に捨てた。そして、ベッドの上に正座して、彼女に向かって頭を下げた。
「わるい。正直、おまえの気持ち、ぜんぜん気づかなかった。確かにおれ、ほかに好きな女がいる。それなのに抱いちまって、ほんと悪かった」
そう素直に告げると、彼女はわっと泣きだした。震わせた唇で、つらつらと恨み言を言い連ねる。
寄りかかってきた彼女をなだめながら、エースは小さく息をついた。
*
「どっちもどっちだねい」
角切りされたパイナップルを口にほうりながら、マルコはあきれたように言った。
共食い、とか頭の中で失敬なことを考えながら、ため息をつく。
「まァ、おっしゃる通りで」
「何度も言ってるけどな、おまえにゃ遊びの女見極めるなんてできねェよい。まんま、相手の言葉受け取っちまうからな」
「そうは言ってもよォ、こっちだって嘘つかれちゃたまんねェよ」
そう愚痴っぽく言うと、マルコは普段から眠そうな目をさらに細めて眉を顰めた。
「自分のこと棚に上げて、よく言うよい」
「はァ? なんだよ。おれがいつ嘘なんか」
「一番嘘ついちゃいけねェ相手についてんだろ」
***のカオが浮かぶ。エースは、マルコから視線を逸らした。
「いつまでもこんなこと続けられるなんて、おまえも思ってねェんだろい?」
「そりゃあ、まァ……」
「なら、いい加減とっととケリつけろよい。これ以上被害者出さないためにもな」
被害者、とは、嘘をついてまで自分に好かれたいと願う女たちのことだろう。女との距離感を測り違えない男は、やはり女に優しい。
昨日の彼女の泣き顔を思い出す。エースは大きく息を吐きだした。
「フラれたら慰めろよ」
「おれが結婚してやろうか?」
「……それはいい」
ははっ、とめずらしく声を上げて、マルコは笑った。
*
ある時期から、恋人をつくることをやめた。最後につき合った女が、一途でいい子だったからだ。
将来有望なイケメン大学生。どこをどう切り取ってそう思うのかは知らないが、近づいてくる女たちは基本打算的だった。そういう女が嫌いなわけではなかったし、そのタイプの女は大抵美しい。そして、一様に気持ちが長続きしない。
どうせ、こちらも本気にはなれない。需要と供給が合致して、エースはそういう女たちとつき合ってきた。もちろん、自分と話をするだけで頬を赤らめるような女は避けて。
最後につき合った女も、打算的だった。――ようにみえた。だからつき合ったのだけれど、日に日にどうも違うようだと感じる。エースは包丁を持ち出される覚悟で、腹を割って話した。本当はずっと好きな女がいる、だから別れてほしい、と。
すると、彼女は一言「知っていた」とつぶやいた。そして、夢から醒めたような虚ろな表情で、涙を流して去っていった。
あのときの胸の痛みがよみがえってきて、エースはかぶりを振った。おれが胸を痛めてどうする。そんな資格、おれにはない。
それからというもの「遊びでもいいか」と前置きをしてから、寝るようにしていた。それなのに、このざまだ。どうやら世の女性たちは、恋心を巧みに隠すのがじょうずらしい。自分には到底太刀打ちできない。
潮時かもな……。そう思いながら、目の前のアパートを見上げる。ほぼ無意識に、***の家まで足を運んでいた。
腕時計を見ると、まだ十八時。残業をしていれば、あと一時間は帰ってこないだろう。
どこかで時間を潰そう。そう考えて、後ろへ振り返ったときだった。
***が、あぜんとして突っ立っていた。表情には、驚愕がうかんでいる。
「あ……。よォ」
「だっ、台本にないっ」
「は? 台本?」
***ははっとしたように我に返って、わざとらしい咳ばらいをした。
「ど、どうしたの? 急に訪ねてくるなんて……」
「あー……。ちょっと、その」
「うん」
「……話、みたいなのがあって」
「話、みたいなの? 私に?」
エースが頷くと、***は目を瞬かせてから、わかった、と言った。
***が歩き出したのに続いて、部屋に入る。
「エース。ご飯食べた? お腹すいてない?」
部屋に入るなり、***はそう訊ねてきた。***はよく、エースの空腹具合を確認する。
「食ってない。……けど、今はいいや」
「……えっ?」
「なんだよ」
「た、食べてないのに、食べないの?」
「あァ」
***が絶句する。確かに、いつも人の数倍食べる自分がそう答えたら驚くだろうけど、そんなこの世の終わりみたいなカオしなくても。
「ええっと……じゃ、じゃあ、とりあえずお茶淹れるね」
「あァ、わるい」
「いやいやそんな。ぜんぜん」
あきらかに気を遣いはじめた***に、エースはこめかみをかく。
まずい。あの態度、なんか勘違いしてんな。
案の定、お茶を淹れる***の横顔には、緊迫がにじんでいる。きっと、あまりよくない報せだろうと考えているのだろう。
熟考した結果、エースは核心に迫りやすいよう、まずはこう訊ねた。
「おまえ……今好きな男いんの?」
「ぶっ……!」
***が、飲んでいた水を盛大に吹く。口元を拭って、焦ったように訊き返してきた。
「なっ、なに急にっ。なんでっ?」
「いや、べつに。なんとなく」
***はなにかを言おうと口を開いたけれど、すぐに真一文字に閉口した。そして、なにやら自分の中で葛藤をはじめる。もしかしたら、合コンやら婚活やらを散々邪魔されてきたから、どう答えれば邪魔されにくくなるのか、作戦を練っているのかもしれない。
「どうしよう……。台本を書き換えるか? でも、せっかくナミに添削してもらったのに……」
「……おまえ、さっきからなにその台本って」
***はエースを見た。そして、感情の読み取りにくい複雑な表情をしてから、なにかを決意したようにまっすぐな目でエースを見返した。
「いる」
「……え?」
「好きな人。今、いる」
「……」
「……」
「……へェ」
一瞬放心してしまったが、エースの口からは無意識に気のない返事がでた。
***が、お茶淹れを再開する。なぜか、沈黙が重く感じた。
誰? って。訊いたほうがよかっただろうか。でも、訊いたところできっと、自分の知らない男だ。***とのあいだに、共通の知り合いなんて数えるほどしかいない。
***の横顔をみつめる。不思議と、心の中は落ち着いていた。きっと、***がどう答えようと、自分のすべきことは一つだからだろう。
どうしてこんなに、***のことが好きなのか。いい女なんて、山ほどいるのに。どうしてこんなに、自分は***じゃなきゃだめなんだろう。
エースは立ち上がった。そして、お茶を淹れる***のところへ進む。
エースが近づいてきたことに***が気づくのとエースが***を抱きしめるのは、ほぼ同時だった。
腕の中で、***が息をのむ。小さな体を抱き寄せながら、エースは***の言葉を待った。
「……エース」
「ん?」
「なにかあった?」
「……」
「なにかあったんでしょ? どうしたの?」
体を少し離して、***のカオを見下ろす。***は、エースの予想通り、心配そうなカオをしていた。
それを見て、自然と苦笑いがもれる。***は、自分にこんなふうに抱きしめられても、ドキドキなんてしない。いつだって、子どもを心配する母親のような反応をする。
だけど、たぶん、そういうところが好きなんだ。***のそういう、優しいところが。家族なんかじゃないのに、本当の家族のように自分と向き合ってくれる。そういうお人好しなところが、なんだかオヤジに似ていた。
「なんでも言ってよ。私たち、四捨五入すると家族でしょ?」
「くくっ、四捨五入って……」
「ほら、笑ってないで。私、なんでもするから」
覚悟を決めたような、力強い瞳をみつめ返す。
***は、エースの母親になろうとしている。小さいときから、ずっとそうだ。だから、そんな***の気持ちを無碍にするようで、言えなかった。恋をしているなんて、本当の気持ちは。
「ほんとに?」
「うん」
「なんでも?」
「うん」
「……じゃあ」
余計なことを考えてしまう前に、エースは言った。
「おれを好きになれよ」
腕の中で、***がきょとんとする。その、なにも感じていないような表情が憎たらしくなって、エースは続けた。
「なんでもするんだろ? じゃあ、おれを好きになってよ。ほかの男のことなんて綺麗さっぱり忘れて、今からおれのことだけ考えて。合コンももう行っちゃだめだし、婚活も必要ない。おれの家族になりたいなら、母親じゃなくて奥さんになって」
***は、いまだに放心している。魂を抜かれたみたいに、表情が真っ白だ。
「おれ、ほんとは***のこと、好きなんだ」
そう告げると、***はぽかんと口を開けた。ようやく表情に色が戻る。やっと、自分が今目の前の男に愛を告白されたのだと気づいたようだった。
「……それは」
「うん」
「台本に、ない」
「……は? えっ、ちょっ、おいっ……! ***っ?」
***は、エースの腕の中で、白目をむいて気絶した。
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