我、意を決す

「僕と、結婚を前提にお付き合いして下さい」


 目の前の男性にそう言われた瞬間、私の脳内で天使が二人、教会の鐘を鳴らした。リンゴーン、リンゴーンと鳴るあれである。


 婚活を始めて半年。雨にも負けず、風にも負けず、雪にも、幼なじみの妨害にも負けず頑張ってきた成果が、ようやく……ようやく実ったのである!


 婚活なんて、始めちゃえばあっというまに彼氏できるでしょう。結婚まですぐでしょう。なんてタカをくくっていた半年前。私は、痛いくらいに現実というものを知った。


 まず、メッセージのやり取りまではいっても、そこから会う約束を取り付けるのが難しい。さらには、会ったとしても、双方同じように好意を抱けるとは限らない。


 両思いになるって、ほんと奇跡なんだな……と、着慣れないワンピースを木枯らしになびかせて帰路につくこと数知れず。


 ついに、ついに……!


 いいなと思っていた男性から、交際を申し込まれました……!(しかも結婚前提付き)


 私は心の中だけでガッツポーズをした。今なら昇龍拳打てそう。このガッツポーズで。


 もちろん、断る理由なんてない。私は勢いよく頭を下げて、彼の愛の告白に答えた。


「ごめんなさい……」





「何やってんだろ……私……」


 テーブルの上で、私はアメーバのごとくうなだれた。


 目の前のナミは、あきれた表情を繕いもせず「まったくね」とため息混じりに言った。


「心の中では言ってたんだよ……『もちろんっ。喜んでっ』って……なのにっ、なのにいいい!」


 テーブルに突っ伏したまま、私は頭をかきむしった。


 ナミが、「人んちで発狂すんのやめてくれない」と冷ややかに言う。ごもっとも。


「あああ、もうダメだよね。今から取り消しとか無理だよね。失礼極まりないよねそんなの」


 ナミが「当たり前でしょ」と、大きなため息をついた。その指先では、ボルドーのマニキュアが綺麗に塗られている。ナミは、料理も上手で手先も器用だ。私がやったら絶対はみ出す。


「どうして断っちゃったんだろ。そんなつもりなかったのに……」


 アメーバ状態のまま、独り言のように呟く。


 するとナミが、


「そりゃあ、好きじゃないからでしょう」


 と言って、ボルドー色の指先に、ふうっと息を吹きかけた。


「そりゃあ……好きかどうかって訊かれたら、まだよく分からないけど……でも」言っているうちに、唇がいじけた子供のように尖ってくる。「いいなっては思ってるわけだから……付き合ってもよかったのに……」


 なのに、どうしてあんなことを口走ってしまったんだ。私の口よ。もしかして、エースに遠隔操作でもされていたのか。


 じゃなかったら、あんな裏腹なこと――。


「その相手がどうこうっていうよりも、アンタが他の男を好きだからでしょ」


 左手への作業を終えて、ナミは右手に取り掛かっている。


 私は「なっ」ともらしてから、握りこぶしと共にナミの方へ身を乗り出した。


「だからっ。エースのことは好きじゃないってっ」

「誰もエースのことだなんて言ってませんけどォ」

「ぐっ……!」


 ナミの小憎たらしい横顔をにらむ。横顔もおそろしく美しいので、私は圧倒されて唇を噛みしめた。


「アンタねェ、何を意固地になってんのか知らないけど、いい加減素直になりなさいよ」

「……別に、意固地になんか」

「そうやって、本当の気持ちに蓋したまま誰かと向き合おうなんて、無理なのよ? 自分でも分かってるでしょ?」

「……」

「そんなことしたって、結局いろんな人を傷付ける。今回告白してくれた人だってそうじゃない。アンタのために、貴重なお金と時間、割いてくれたんじゃないの?」

「……」

「そんな人を、アンタの意気地なしのせいで、傷付けていいってわけ?」

「……」


 ナミの言う通りすぎて、ぐうの音も出ない。


 黙り込んでいると、ナミが「それに」と続けた。


「そんなことをして一番傷付くのは、他の誰でもない。アンタなのよ」


 ボルドーで装飾された指が、私のカオに伸びてくる。


 ナミは、私の左右の頬を、むぎゅっと指でつまんだ。そして、


「アンタが傷付くところ、私は見たくないのよ」


 と、付け足した。


 唇がタコのように突き出たマヌケなカオのまま、私は潤んだ目をナミへ向けた。


「ニャミ……」

「ちゃんと自分の気持ちに向き合って、片思い終わらせてから、婚活頑張りなさい。その時は、私も心から応援してあげる」


 私の頬から指を離して、ナミはかわいらしくウィンクをした。





 片思いを終わらせる、かあ……。


 ナミの家からの帰り道、夜空を見上げながら、ぼんやりと物思いに耽った。


 物心ついた時から、私はエースのことが好きだ。心の中の吐露だ。それは認めよう。


 最初は、近所に住むそばかすのかわいい男の子、くらいに思っていた。


 けれど、面倒見が良くて、責任感が人一倍強くて、よく食べてよく寝て、好奇心旺盛で、血の気が多くて……後半は長所なのかなんなのかよくわかんないけど。


 笑ったカオが、太陽みたいに眩しい子だなって、いつも思ってた。


 けれど、そう思っているのも、エースに恋心を抱くのも、いつだって私だけじゃなかった。


 エースの周りには、男も女も関係なく、いつも人が集まってきた。まるで磁石のように、人を惹きつける。不思議な魅力を持っていた。いや、今も持っている。


 エースのことを好きな人は、たくさんいる。けれど、エースの幼なじみは、私一人だけ。


 特別でいたかった。どんな間柄でもいいから。


 本当は恋人とか、そんなんがよかったけど。エースが好きになるのは、いつも私とは正反対の女の子だったから。


 幼なじみの椅子しか、私には残されていなかったのだ。


『そんなことしたって、結局いろんな人を傷付ける。今回告白してくれた人だってそうじゃない。アンタのために、貴重な時間とお金、割いてくれたんじゃないの? そんな人を、アンタの意気地なしのせいで、傷付けていいってわけ?』


 ナミの言葉が耳に蘇る。


 私は、メッセージアプリを開いた。そして、今日告白してくれた男性とのやりとりを見返した。


 誠実な、いい人だった。好きになれるような気がした。けれど、なれなかった。


 ナミの言う通り、相手がどうこうではなくて、すべては自分次第なのだ。


 スマートフォンをバッグにしまうと、私はその場に立ち尽くした。


 結婚は、いつかしたい。


 エースを好きになったように、また誰かを好きになりたい。結婚するなら、本当に好きになった人としたい。


「終わらせなきゃ……」


 無意識のうちに、そう口からこぼれた。


 終わらせなくては。すべて。長きに渡る片思いも、弱くて身勝手な自分も。


 私の本当の婚活は、そこから始まるのではないだろうか。


「よーし……やるぞ……やってやるぞ……!」


 温かい家庭の明かりが織りなす住宅街で、私は声高らかにそう叫んだのであった。


我、を決す


 ナミ! エースに告白するまでの流れを台本に書き起こしてみたから、見てみてくれないっ?


 ……はいはい。


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