プロポーズ大作戦

「時代は婚活だよ。ナミ」


 一番星を見上げながら口にすれば、ナミはキレイに整えられた眉をひそめて「は?」と言った。右手に持ったガリガリ君ソーダ味のせいで、唇がなまめかしく濡れている。


「だからね、時代は婚活なの。ナミ」

「お願い。残業終わりに疲れる話しないで」

「合コンってやっぱりその場のノリじゃない? 確かに彼女とか求めて来てる人も多いかもしれないけど、結婚を真剣に考えてる人がその中にどれほどいるかなと思ったわけ」

「……何があったの?」

「……となりの席の田中くん。結婚するって。婚活パーティーで知り合った子と」

「田中って、……ああ、あの入社二年目の?」

「枯れ果てた私のっ、唯一のオアシスだったのにいいい!」


 ただでさえ疲れ切ったカオを更に辟易させて、ナミは泣きわめく私を見た。頭まで抱えていよいよ面倒くさそうだ。


「あっそ。じゃあアンタも行ってくれば」

「そうする。さっきね、さっそく会員登録したの」

「……その行動力、少し違う方向に向けてくれない」

「そういうわけで、さっそく本屋で婚活の情報収集してくるね」


 分かれ道で軽快に手を挙げて言えば、ナミはあきれたように首を左右に振った。だけど「危ないことはしちゃダメよ。なんかあったら言いなさい」とナミらしいセリフを口にしてから去っていく。ナミのような女性をイイ女って言うんだろうなと、改めて実感した。


 心優しい友人に心配をかけてはならない。きちんと下調べをしてから挑むため、私は勇み足で本屋へ向かった。





「はァ! つっかれたー!」


 リビングダイニングのテーブルに買い物袋を二つどっさりと置いて、心の底から吐き出した。無論、本を何冊も買ったわけではない。(なに? 私ならやりかねないって?)


 久しぶりに買った加工される前の食材と対峙して、無意識にため息が漏れる。だけどすぐに慌てて首を振った。口の奥からは「ダメダメ。婚活のため。婚活のため」と呪いの呪文のように言葉が出てきた。


 結婚という一大イベントは、私が考えていたより遥かに現実的で厳しいものだった。男性は当然のように財力で判断されるし、女性は美しさと家庭的な面で判断される。要するに、男も女も結婚に不向きなスペックであれば見向きもされないのだ。ましてや女性にも最低限の年収を求める婚活パーティーもあると知れば、せめて基本の家事一般はできる必要がある。


「そりゃそうだよねェ。生活していくんだもん。愛だけじゃダメだよね」


 誰にでもなく呟くと、気力だけで立ち上がって食材をテーブルに広げていった。明日は休みだ。思う存分花嫁修業をしようと意気込んで、私はタンスの奥底からしわくちゃになった哀れなエプロンを取り出した。


ー…‥


 レンズを料理に向けると、いろんなアングルから何枚も撮影してメールに添付した。「花嫁修業、第一弾!」という本文と共に、今頃美容パックでもしながらストレッチしているであろう友人へ送信する。


 返信はすぐあった。「お疲れ様。彩りがイマイチ」という手厳しい本文と共に、美味しそうなお酒に添えられたオトナ女子っぽいおしゃれなお料理の写真が添付されていた。ナミはなんだかんだ言っても女子力が高い。「精進します」と返信してスマホを置いた。


「どれどれ、では。……いっただっきまーす!」


 発泡酒片手に、さっそく私は料理を食べ始めた。ナミのあれに比べたら華やかさには欠けるが、味はまあまあ悪くなかった。


 「奥さんになるのも大変なんだな」ひとりでにそんな声がもれる。奥さんになれたらいいけど、このまま十年後も一人でご飯食べてたらどうしよう。


 勝手にぞっとして身震いをすれば、突然部屋にチャイムが鳴り響いた。今度は肩がひょっと跳ね上がる。掛け時計を見れば、時刻は午後十一時。私は恐る恐る玄関へ向かった。


「***ー? 寝てっか?」


 廊下の真ん中まで行った辺りで、聞き慣れた声がした。訪問者の正体が判明してほっと息をつけば、私はカギと玄関ドアを開けた。


「おお。起きてた」

「どうしたの、エース。こんな時間に」


 訪ねてきたエースの目元は少し赤かった。外気の匂いと混じってアルコールの匂いがする。どうやら飲み会の帰りらしい。


「今日サッチの店で飲んでたんだよ。そしたら、美味い酒あるって言うから」

「えっ、もらってきたの?」


 エースの右手に握られた一升瓶を見て、思わず目がきらめく。「飲むか?」と聞かれたのですかさず「飲む」と答えた。エースは私に瓶を手渡すと、目をあっちこっち泳がせた。


「あー……じゃあな」

「あれ? 帰るの?」

「あ?」

「てっきり一緒に飲むんだと」

「……いや。こんな時間に家に上がるのも、その。アレだし」


 ごにょごにょと言い訳でもするように言ったエースに、私の眉は中心に寄った。


「なに今更。私だって行ってるじゃん」

「……おまえは勝手に上がってくんだろ」

「なにさー。いいじゃん。幼なじみなんだから」


 エースは黙り込んだ。なんだよ。私の家には入れないってか。悪かったね。どうせイケメン大学生の興味をそそる色っぽい部屋じゃないよ。


 「まァ別に。無理にとは」と言いかけたところで、突然エースが鼻の穴をひくひくと動かした。そして、不思議そうなカオをした。


「なんか、メシの匂いがする」

「……犬か」

「珍しいな。おまえがちゃんとしたメシ食ってんの」

「作ったの」

「……は?」

「だから、作ったの。ご飯」

「はァ? ***が? ウソだろ?」


 驚愕したような幼なじみのカオに、自ずと得意気に口元がゆるむ。しめしめ。驚いてる驚いてる。


「ほんとだってば。食べてく? どうせもう空腹でしょ?」


 その言葉の後に、図ったようにエースのお腹が鳴った。「酒飲まされてよ。メシあんま食ってなくて」と、かわいらしいカオでかわいらしい言い訳をした。


「ほら、私一人じゃ食べきれないし。どうぞ」

「……じゃあ」


 警戒心剥き出しで、エースは玄関に足を踏み入れた。なんだ。食べられそうとか思ってんのかな。失敬な。そこまで節操なくないよ。多分。


 おずおずと入ってきたエースも、テーブルに並んだ料理を見たら目の色を変えた。「おお」とか言ってヨダレをじゅるりと垂らしている。かわいい。


「……ほんとにおまえが作ったのか?」

「しつこい」

「なんでまた急に」

「……べつに。これと言って何かあるわけじゃないよ」


 エースは訝し気な目を向けて来たが、「ご飯あげないよ」と言ったらころっと態度を変えた。「さすが社会人だな」とか見え透いたお世辞まで言う始末だ。エースってご飯で簡単に釣れるんじゃなかろうか。心配。この子の将来。


 いらぬ余計な心配をしている間に、エースは勝手に箸を持ち出してご飯を食べ始めた。黙々と食べているので、当然のことながら味の感想が気になる。「どう?」と聞く前に、エースが口を開いた。


「すげェ」

「へ?」

「美味い」

「……ほんと?」


 それには答えずに、再びエースは黙々と食べ始めた。あっちこっちと箸を伸ばしては、咀嚼しながら口に運ぶ。私はといえば自分が食べるのも忘れて、そんなエースを穴が空くほど見つめた。


「……おいしい?」

「おう」

「……美味いか」

「おう」

「……そっか」

「おう」


 口の端にミートソースを付けて、掃除機のように食べ物を吸い込んでいく。バカだ。バカみたいだ。子ども。私は小さく笑った。


 結婚したら、こんな気持ちになるのだろうか。美味しい美味しいとご飯を食べてくれる旦那さんのとなりで、私はこんな幸せを


「あああああっ!」

「なっ、なんだよっ!」


 突然の私の発狂に、ご飯に夢中になっていたエースもさすがにカオをこちらへ向けた。「なんだよ」ともう一度聞かれたので、「なんでもない」と答えた。エースは不信なカオをしていた。


 なに考えてるんだ私は。エースを見ながら旦那さんとか。違う違う。そうじゃ。そうじゃない。エースの向こう側に未来の旦那さんを重ねただけだから。間違ってもエースとけけけ、結婚とか。おおお、思ってないから。


 額の汗を拭いながら「ふう。危ない」と呟けば「なんなんだよおまえ」とミートソースまみれの男にあきれられた。なんかイラついたので、私はティッシュを取ってエースの口元を拭いた。子どもめ。


「……で?」

「は?」

「なに企んでんだよ」

「た、企むって。なにが」

「あのな、おまえがおれに隠し事なんてできると思ってんのか? どうせ男でも呼んで手料理ごちそうしてやろうとか、そういう魂胆だろ」


 当たらずとも遠からず。私は頬を引きつらせた。濃いめのまつ毛と眉に圧倒されて一瞬怯んだが、舐められてはいけない。向こうは大学生で、こっちは社会人なのだ。


 そして悟られてはいけない。じゃないと私の婚活パーティーでステキな旦那さんうっはうは計画が台無しに。


「……一人で生きてくための準備だよ」

「は?」

「だーかーらー! これから先、彼氏なんて出来そうにないでしょ? 幼なじみの心無い妨害のせいでさ」

「おう」

「否定しようよ」

「それで自炊出来るようにってか」

「そゆこと」

「ほんとは?」

「は?」

「白状するなら今のうちだぞ。おれは嘘がキライだ。嘘つきもな」

「……チッ、しつこいな」

「おい。今舌打ちしただろ」

「……ほんとだってば」


 エースはそれ以上何も言わずに黙った。正確には、目で訴えてきた。嘘はつくなと。今の私を絵で描いたら、恐らく滝のように冷や汗が垂れているだろう。


 やがてエースは「わかった」と言った。してやったり顔で頭を上げた私は、エースの左手に握られた物に息を飲んだ。


「じゃあこれはもういらねェな」

「あああっ! 私の婚活本!」


 エースの身体に突進するように手を伸ばせば、エースはそれをひょいと交わした。蔑むような黒い目に、私は思わず生唾を飲んだ。こっわ。


「最近大人しくしてるかと思えば、今度は婚活だァ?」

「返して! お願いエース返して! それがないと私っ」

「昨日今日料理始めたヤツが結婚なんか出来るかっ! 結婚ナメんじゃねェ!」

「なっ、なにを偉そうにっ! 自分だってしたことないくせに!」

「おれはおまえよりいい嫁になれる自信がある!」

「否定できない!」

「しろ!」


 ぜーはーぜーはーと二人して肩で息をしながら睨み合っていた。先に動いたのはエースの方だった。婚活本片手に脱力したように頭を項垂れると「ああ、もう」と苛立った声を漏らした。


「な、なに」

「結婚っておまえ……もうふざけんなよ」

「ふ、ふざけてないよ。普通考えるでしょ。このご時世」


 エースは何も答えない。頭をもたげた体勢のまま微動だにしなかった。婚活なんて突拍子もないことを言い出した幼なじみをどうしてやろうかとか、目論んでいるのかもしれない。


 これはマズイ。マズイこととなった。
エースの邪魔が入る前に、なんとか手を打たねば。


 無言の攻防戦を繰り広げていると、エースの口から「二年」と聞こえた。聞こえた気がした程度だったので「は?」と言えば、エースはようやくカオを上げた。お酒で潤んだ瞳が真剣で、思わず息が止まった。


「二年。二年だけ、ちょっと待っててよ」

「は、はァ? ……なんで」

「なんでって、まァ。それは」


 長いまつげの奥で目の玉があっちこっち遊ぶ。うまい言葉を探しているようだった。なるほど。言いくるめようということらしい。だけどなに。二年って。


「ああっ、もう! うるせェな! とにかく二年待っとけ!」

「だからなんで!」

「それまで余計な動きすんなよ! じゃないとおまえの考えも及ばないような妨害するからな!」

「なにそれこわい! 理不尽! 自分勝手!」

「……フン、なんとでも言え」


 ヤケクソ気味に吐き捨てると、エースは再びテーブルの前に胡座をかいてご飯を食べ始めた。私はこれ見よがしに大きくため息をつくと、ようやくご飯を食べ始めた。


「ああ、おいしい。私天才」

「自分で言うな」

「絶対いいお嫁さんになれるな。私」

「自分で言うな」

「なんで二年? 微妙に長いんだけど」

「……」

「ねェ。……ちょっと?」

「……二年経ったら」

「うん」


 唐揚げを口に運ぼうとしてやめた。エースが一点を見つめたまま動かなくなったからだ。葛藤。エースの両肩にそんな文字が見えた気がした。


 「二年経ったら、おれはオヤジの会社に入る」と、エースは言った。言ってから、箸を春巻きに伸ばした。それを見て、「揚げ物率が高かったな」なんて、まったく関係ないことが頭をよぎる。


 なんだかこのメニュー、エースの好きな物ばかりだったかもしれない。


「……聞いてんのか」

「あ、ああ。うん。聞いてる。……で?」

「あ?」

「それと私の婚活と、一体なんの関係が」


 言いながら、私も春巻きに手を伸ばした。エースは黙っていた。ぱりぱりと、二人の口からお揃いの音だけがしている。


「働いたら、おれも社会人だ」

「そりゃそうだね」

「肉も持ってこられる」

「は? 肉?」

「カネ」

「ああ、稼げるってことね」

「そしたら」

「うん」

「……そしたら」


 春巻きが、エースの喉をごくんと通過した。私も同じタイミングで飲み込んだ。それからなぜか、エースと私は見つめ合ってしまった。


「だから……そしたら」


プロポーズ大作戦


……カネにモノ言わせておまえの婚活妨害してやる。


ええっ! なにそれヒドイ! 待たない! 二年なんて絶対待たないっ!


(……はァ、もう)


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