04

「よォ、***! おはよ!」

「あ、トッドくん。おはよう」


 ある朝、コックさんと一緒に朝食の準備をしていると、最近入団した新人の男の子がひょっこりと現れた。


「もうすぐで街に着くって聞いたか?」

「うん、聞いたよ」

「おまえなんでそんなにテンション低いんだよ!」

「え? 低くはないけど……」

「おれなんかもう楽しみで楽しみで!」

「そっか。初めての停泊だもんね」

「あァ!」


 トッドくんはそう元気よく答えると、白い歯を見せてうれしそうに笑う。


 そのカオが、中性的で少し幼い。


 トッドくんはとても気さくで、歳も近いからか、人見知りの私でもすぐに仲良くなれた。


 飾りっ気のない性格が、どことなくお頭と似ている。ような気がする。


「楽しみだなァ! まずはやっぱり飯と酒だろ! 船では味わえねェ食いもんとかいっぱいあるんだろうなァ! それから夜はー……むふふふっ」

「トッドくん、新人さんはほとんど一日中買い出しだよ」

「んなっ! うっ、うそだろっ? ……そんなァ」


 よほど落胆したのか、トッドくんは絶望という言葉と共に、その場に深く項垂れた。


「あははっ、私も次の島では買い出し組だから、一緒に行こう?」

「しかもおまえと一緒かよ……。せっかく素敵なお姉様たちとイロイロ楽しもうと思ってたのに」

「ざーんねーんでしたー」


 そんなふうにふざけあいながら、止まっていた手を再び動かそうとした、その時。


「……あ」


 いつもの"あれ"を感じて、私はすかさず辺りを見回す。


「? どうしたんだよ」

「……ううん、なんでもない」

「?」


 うーん。


 ……ま、いっか。


 無理矢理そう自己完結すると、再び野菜を刻んでいた手を動かし始めた。





「おおっ! でっけェ街だな! すげェ賑わってる!」

「買い出しにはもってこいだね」

「おまえ、それを言うなよ……」


 大の大人たちが、お酒片手にはしゃぎながら地に足をつける。


 そんな楽しげな様子を横目に、私たちはさっそく買い出しに出掛けた。


「くっそー、いいよなァ、みんな。今頃すっげェ楽しんでるんだろうなァ」

「あっ、お塩が安い!」

「副船長も女遊びとかすんのかな?」

「これ買っちゃおうかな」


 まったく噛み合っていない会話を繰り広げながら、私たちの両手は目的の品でいっぱいになっていく。


 あーあ、とあきらめたように天を仰ぎながら、トッドくんは大きな声で言った。


「お頭は今頃ラナちゃんとラブラブデートだよなァ、いいよなァ」


 ぴくっ。その一言に、思わず耳が反応してしまう。


「なァ、あの二人って付き合い長いの?」

「へ? さ、さァ。よくわかんない」

「うそみたいにかわいいよなァ、ラナちゃん! おれ初めて会ったとき卒倒しそうだったもん」

「私はしたよ」

「マジでっ? やっぱり」

「嘘だけど」

「……」


 わざとらしく頬を膨らませて、私を睨むトッドくん。そんなかわいいカオで睨まれても、正直全然怖くない。


「四皇・赤髪のシャンクスが最後に選んだ女だもんなァ!」

「……」

「やっぱりあれぐらいじゃないと……あっ、***! ピーマンも買い出しリストに入ってなかったか?」


 そう嬉々として叫びながら、トッドくんは八百屋さんへと走り出した。


 切り替えの早いトッドくんは、もう買い出しを楽しんでいるらしい。


「……うん、そうだね」


 ぽつり、呟くようにそう口にすると、その元気な後ろ姿に続く。


「……あ。」


 その時、再び"それ"を感じて、私はキョロキョロと辺りを見回した。


 うーん。


 街中でも感じるのは久しぶりだな。


 どうしたもんか……。


「***! ピーマンあったぞ! 早く早く!」

「あ、ごめん! 今行く!」


 その声にせっつかれて、私も八百屋さんへと駆け出していった。





「あー、づがれだー……」

「お疲れさま!」


 買い出しを終えて船に戻ると、すぐさま船番組の夕飯作りに取り掛かる。


 二人で下準備を進めていると、綿菓子のような柔らかい声がキッチンに届いた。


「***さん!」

「あれっ、ラナちゃん」

「ラっ、ラっ、ラっ、ラナさん……!」


 石のように身体を固めて、トッドくんは不自然なくらいに姿勢を正した。


「どうしたの? ラナちゃん。街には行かなかっ」


 近付いてきたラナちゃんの姿を見て、思わず言葉を失う。


 う、わ。……すごい。


 ラナちゃんの身体には、見ようとしなくても目につく位置に、たくさんの紅い跡が散らばっていた。


 ……これ。お頭が……


 思わず情事中の二人を想像してしまって、私は深く俯いた。


「あっ、えっと、どっ、どうしたんすか? キッチンになにか?」


 黙り込んだ私を見かねて、すかさずトッドくんがラナちゃんにそう問い掛ける。


 そのカオは首まで真っ赤で、おそらく考えてることは私と一緒なんだろうと思った。


「ちょっと喉が渇いちゃって……何かありますか?」

「あっ、あァ! ありますよ! なァ? ***!」

「えっ、あっ、うっ、うん! ジュースでいい? ラナちゃん」

「はい」


 ジュースに喜ぶ幼いカオと、身体中についたキスマークが、なんともアンバランス。


 私が冷蔵庫から取り出したジュースを、ラナちゃんは細くてキレイな手で受け取る。


「ありがとう、***さん」


 そうお礼を言って、ふんわりとしたワンピースを翻しながら、ラナちゃんは去っていった。


「……」

「……」

「……働こうか」

「……そうだな」


 放心していた気持ちを無理矢理立て直して、私たちは夕飯作りを再開する。


「いやー、それにしても驚きだな」

「ん? なにが?」


 そう答えながら、上の棚にしまってある小麦粉を取ろうと、台に上がった。


「あーんなかわいらしい妖精のようなラナちゃんが、セックスしてんだぜ! しかも、あのお頭と!」

「そ、そうだね」


 小麦粉が意外と奥の方にあって苦戦する。


 とっ、届かない……


「カオだけじゃなく、スタイルもいいよなァ、ラナちゃん! ウエスト細いし、おっぱいもおっきいし……」

「こらこら、お頭の恋人だよ」


 怒られちゃうよ、覇気でやられちゃうよ。


 若い子はほんと怖いもの知らずだな。


 そして誰ですか小麦粉をこんな奥にしまったのは。


「お頭もいい身体してるもんなァ! 経験も豊富だろうし、テクも一流なんだろうなァ!」

「もう、なに言ってるの」

「ぜってェそうだって! きっとモノも相当なモンを」

「……!わっ」


 バランスを崩して、私の身体はよろりとよろめいた。


「おっ、と……!」


 後ろに倒れそうになったところを、トッドくんの逞しい腕に支えられる。


「あっぶねェな!」

「びっくりしたァ。ありがとう、トッドくん」

「せっかく下ごしらえした食材が落ちたらどうすんだよ」

「え、そっち?」


 大した高さじゃなくてよかった。


「おまえさては」

「へ?」

「お頭の裸を想像して動揺したんだろ!」

「はっ、はァっ? ちっ、ちがっ」

「いいっていいって、気にすんなよ! 男のおれだって憧れるんだ。モテねェ女のおまえがムラムラすんのもしょうがねェよ!」

「むっ、ムラムラって……」


 なんだろう。お頭を好きな手前、強く否定できない。


「それにしても、ほんとおまえってどんくせ」

「……! わっ」

「なっ、なんだよ! いきなり」


 突然、今日一番の強い存在感を放った"それ"を感じて、私はキョロキョロとキッチンを見回した。


「おまえなんなんだよ、それ。今日ずっとそんなんやってねェか? 周りになんかあんのかよ」


 そう言いながら、トッドくんも一緒になって辺りを見回す。


「あ、あのね、じつは……」


 私は周りを窺いながら、声を潜めてトッドくんに耳打ちした。


「私、たまにすごく感じるの」

「感じる? 何を」

「……視線」

「はァ? 視線?」


 怪訝そうに眉を寄せて、トッドくんは素っ頓狂な声を上げる。


「船にいるときも、停泊してる街とかでも、突き刺さるくらいの。なんていうか、まとわりつくような……」

「おまっ……! もっ、もしかして、それって……ゆ」

「言わないで! 違うから! 絶対違うから! 幽霊とか信じないから!」

「自分で言ってんじゃねェか」


 やだやだ! 口に出したら怖くなっちゃう! 一人で眠れなくなる!


「これ以上怖がらせたら、一緒に寝てもらうからね」

「やめてくれ。おまえじゃ何にも楽しくない」

「……」


 ひどい。どうせラナちゃんみたいにかわいくないですよ、私は。


 そんな卑屈なことを考えながら、さっき会ったラナちゃんの姿を思い出す。


 あれが、私の好きなひとの、好きな人かァ。


 例えばラナちゃんに、怖くて眠れない夜があったとしても。


 ラナちゃんのすぐ隣には、お頭がいるんだよね。


 ……いいなァ。


 二人の愛を見せつけられるたびに、息もできないくらい、胸が苦しくなる。


 こんなこと、いつまで続くんだろう。


 いっそのこと、「あなたが好き」と、泣き叫べたらいいのに。


 だけど、


『***、いつもありがとう。おまえがおれの船にいてくれて、本当に良かった』


 あの美しい赤と、優しく細められた瞳から、私はどうしても、離れられない。


 きっと私は、あの人が求め続けてくれる限り、この苦しみから逃げ出すことはしないんだろうな。


「一生独り身決定だなァ」

「あん? なんか言ったかァ?」


 のんきな声を出したトッドくんに、「なんでもないよ」と答えると、私は振り切るように身体を動かした。


 愛しい、愛しい人。


 あなたの今日は、どんな一日でしたか?


視線常習犯


 ああっ! トッドのやつ! 今***を抱きしめやがった! くっそ……許さん、あの若造……!


 なにやってんだ、アンタは……。


 ベン! ちょうどいいところに! 船長室から双眼鏡持ってきてくれ! ここからじゃよく見えん……!


 ……邪魔だ、頭。どいてくれ。


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