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 人は、どんな人間であっても、必ず心の中に、闇を抱えて生きている。


 心の奥底で、それが暴れださないように、なだめすかしながら、ひっそりと、飼い慣らしているのだ。


 闇が、今か今かと、首輪を引きちぎろうとしているとも知らずに――。





 小雨の降りしきる、石造りの街。この街に停泊してから、そろそろ三日目、といったところだった。


 凛とした佇まいに不相応な、治安の悪い街だ。そのため、いつもなら一つの街に長く滞在して拠点を構える赤髪海賊団も、必要物資を揃え次第、出航する予定となっている。


「***! こっちは終わったぞ!」


 雨をしのげる木陰で一休みしていたところ、本日の同行者だったトッドくんが、手を振りながら小走りしてきた。


「ありがとう。私も終わったよ」


 言いながら、本日の戦利品を、袋ごと持ち上げてみせる。


「調味料系はほぼ終わりだな」

「そうだね。――今日はもう、戻ろうか」


 強くなってきた雨足を一瞥してから、私はそう提案した。


 割り振られた買い物リストの品は、この三日間でほぼ買い揃えている。残りは、停泊最終日である明日の午前中でも、十分に間に合うはずだ。


 トッドくんもそれに同意して、私たちは港に停めてある船へ急いだ。


「ん? ……あれ」


 しばらく走ったところで、トッドくんがぴたりと足を止めた。そして、ある方向へ、目を釘付けにしている。


「? トッドくん? どうし――」


 トッドくんの視線の先を辿った光景に、私は息を飲んだ。


 そこには、柄の悪い大男が二人。


 そして――ラナちゃんがいた。


「――! ラナちゃっ」

「待て! ***!」


 トッドくんが、私の腕を強く引いて、元の位置へ引き戻す。そして、怪訝そうに眉をしかめて、続けた。


「なんか……様子おかしくねェか?」

「……え?」


 そう言われて、改めてその光景へ視線を走らせる。


 すると、トッドくんの言わんとしていることが、私にも理解できた。


 絡まれている、と思っていたラナちゃんのカオに、笑みが浮かんでいたからだ。


「知り合い……とかかな?」

「まさか……」


 ラナちゃんに、あんな柄の悪い知り合いがいるはずない。そう思って言ってはみたものの、ラナちゃんの弾むような笑顔に、自信がなくなってくる。


 すると、大男の一人が、ラナちゃんの細い肩に、手を回した。


 そして、あろうことか、ラナちゃんも、彼の腰にしがみつくように、手を回したのだ。


 私もトッドくんも、あっけに取られる。


 三人が、近くの建物へ向かうのを見て、私はようやく我に返った。


「トッドくん! 急いで副船長、呼んできて!」


 指示を出しながら、私は駆け出していた。


「バカ……! おれが行くって……! おまえが副船長をっ」

「新人が、生意気言うんじゃないの!」


 キッと睨んでそう叫べば、トッドくんはぐっと息をつまらせた。


「……すぐ戻る!」


 トッドくんが港の方へ走り出したのを見届けてから、私はラナちゃんの元へ走った。


 三人は、今にも建物の中へ入ってしまいそうだ。


 走るスピードを上げる。


 建物の扉が閉まる寸前で、私はラナちゃんの腕を掴んで、建物の外へ引っ張り出した。


「――! ***さん!」


 ラナちゃんが、驚いたようなカオで私を見る。


 続いて、大男たちも出てきたので、私はとっさに、ラナちゃんの前に立ちはだかった。


「ああん? なんだァ? お嬢ちゃん」


 先ほど、ラナちゃんの肩を組んだ男が、私を見下ろしてそう言った。


「……この方に、何か用ですか」


 控えめに男を睨みあげながら、私はそう訊ねた。


「用? ああ、用ならあるさ。今から三人で、"お楽しみ"ってやつだ」


 大男二人が、互いにカオを見合わせながら、下卑たように笑う。そして、私にカオを近付けて、続けた。


「それとも――"四人"でお楽しみ、にするかい? お嬢ちゃん」

「……」


 私は、小さく息を吐いてから、着ていた長袖をまくり上げた。


 そして、大男たちに、二の腕――正確には、二の腕に小さく彫ってある、赤髪海賊団の刺青を見せつけた。


 "こういう時"のためだけに使えと、入団から三年たった頃、お頭に言いつけられて、彫ったものだ。


 大男たちは、とたんにカオを青ざめさせた。


「そっ……! それはっ……! "赤髪海賊団"の……!」


 袖を元に戻して、私は大男たちへ向き直って、言った。


「私とこの方は……赤髪海賊団の一員です」

「――! ひいっ……!」

「この方が、もし何か……無礼をしたなら謝ります。そして、ここはおとなしく……引いて頂けないでしょうか」


 お願いします、と言いながら、私は深々と頭を下げた。


 副船長が来る前に、なんとか私だけで、事を収めたかった。


「なっ、なんだってんだよ……! そっちから誘ってきたから、ノっただけじゃねェか……!」

「……え?」


 男が吐き捨てていった言葉に、私があぜんとしている間に、大男たちはそそくさと立ち去っていった。


 誘った……? そっちから誘ったって……。


 私は、おそるおそる、ラナちゃんを見た。


 ラナちゃんは、深く首をもたげていて、その表情は窺い知れない。


「ラ、ラナちゃん……今の――」


 言葉を続ける前に、遠くから「おおいっ」と、私たちを呼ぶ声がした。


 見ると、葉巻をくわえたまま走ってくる副船長と、手を振りながら走ってくるトッドくんがいた。


 二人が到着する前に、ラナちゃんがぱっとカオを上げる。


 その笑顔は、もういつものラナちゃんだった。


「***さん! ありがとうございました!」

「……」

「突然絡まれて、びっくりしちゃった」

「……そ、そっか。なんにもなくて、よかったね」


 ラナちゃんは、にっこりと笑ってお辞儀をすると、副船長とトッドくんを待たずに、港の方へ足を進めた。


 ラナちゃんとすれ違ったトッドくんが、おろおろとしながら、彼女の背中を見送る。


 副船長は、険しく眉を寄せたまま、ふうっ、と、紫煙を吐いた。


「***。怪我はねェか」

「はっ、はいっ。でも、あの……刺青を、見せてしまいました……」

「……かまわん。そういう時のための、それだ」


 副船長は、ラナちゃんが行った方向へ目を向けてから、私とトッドくんを呼びつけた。


「***、トッド。……今見たことは、誰にも言うな。……頭にもだ」


 私とトッドくんは、カオを見合わせてから、同時に「はい」と答えた。


 私たちの不安げな表情を見て、副船長は、ふっ、と口の端を上げる。


「心配するな。頭には、おれから報告をする――という意味だ」

「……! は、はいっ」


 私の安堵したカオを見て、副船長は笑った。そして、曇天を見上げて、言った。


「――荒れそうだな」


 私とトッドくんも、つられて空を見上げた。


 不安を煽る空色だった。


 結局船は、翌日早朝には、街を発ったのだった。


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