09

「……あ」


 お風呂上がり。髪をドライヤーで乾かしていたら、色素の薄くなった毛を見つけた。


 ドライヤーを止めて、鏡を見ながら毛を掻き分ける。その一本をなんとか掴むと、思いきり引っ張った。


 痛みもなく、プツッと抜けた。


「……白髪」


 白髪。白髪だ。しかも、割としっかりとした。早くないか。もう少し後かなって思ってたのに。


 思いの外、ショックが大きい。ドライヤーを片付けると、私は落胆と共に女風呂を出た。


「この船に乗って、7年だもんなァ。そりゃあ、歳も取るか」


 船員もまばらになった廊下を歩きながら、そんなことを呟く。


 その途中、副船長とすれ違ったので、夜の挨拶を交わした。視線が自然と、副船長の髪にいく。副船長も、ずいぶんと白髪が増えた。


「男の人の白髪ってカッコいいけど、女の人の白髪って一気に老けるよなァ。やっぱり染めるしか……ん?」


 水を飲むために、お風呂上がりに必ず寄るキッチン。


 普段、コックさんが数人いることはあるが、他の船員がいることはあまりない。(ちなみに酒蔵にはこの時間たくさん船員がいる)


 しかしこの日は、めずらしい人物の姿があった。


「ラナちゃん? 何してるの?」


 ラナちゃんは、キッチン棚の中を探っていたようだった。上から三段目。その奥には、お頭が密かに隠し持っているお酒がしまわれている。


 声をかけると、ラナちゃんは驚いたように肩を跳ね上げた。そして私を見ると、イタズラが見つかった子供のように舌を出した。


「見つかっちゃったァ。でも、***さんで良かった」


 そう言ったラナちゃんの右手には、例のお頭お気に入りの酒瓶が握られていた。


「それ……お頭に頼まれたの?」

「ううん、シャンクスはもう寝てる」

「え?」

「これ、一緒に飲みません?」

「……ええっ?」


 私の返事を聞く前に、ラナちゃんは近くにあった椅子を引いて座った。テーブルに酒瓶を置くと、さっそく開けようとしている。


「だ、ダメだよ。ラナちゃん。怒られちゃうよ」


 私は慌ててその動きを止めた。


「これ、そんなに高いお酒なんですか?」

「いや、そういうことじゃなくて」


 そう否定すると、ラナちゃんは小首を傾げた。


「ラナちゃん、お酒飲めないでしょう? 飲めないのに飲んだりしたら、お頭心配するし、怒ると思うよ?」


 以前こんなことがあった。お頭が目を離した隙に、ラナちゃんがジュースと間違えてお酒を一気飲みした。


 度数の高いお酒だったので、ラナちゃんはその場で卒倒。船医室に運ばれる騒ぎとなった。


「あの時みたいに無理な飲み方はしませんから」


 ラナちゃんもあの出来事を思い出していたようで、恥ずかしそうに笑って言った。


「付き合ってくれませんか? ***さん」

「でも……」

「***さんとこんなふうにゆっくり話せるの、初めてじゃないですか」

「……」


 その一言が決め手になって、私はラナちゃんの真ん前に腰をかけた。


 ラナちゃんは、満足気にほほえんで見せた。


 確かに。ラナちゃんがレッドフォース号に来て、約1年。意外にも、唯一の女同士でありながらゆっくりと話す機会がなかった。私はいつも船内を動き回ってるし、ラナちゃんは大抵お頭と一緒だからだ。


 酒瓶のフタを開けると、ラナちゃんはグラスになみなみとお酒を注ごうとした。


 それを慌てて制止すると、私は氷とお水を持って来て、割ったお酒をラナちゃんへ差し出した。


「いただきまーす」


 きちんと手を合わせてから、グラスに口をつける。舌先でちょびっとお酒を舐めると、ラナちゃんは舌を出して渋いカオをした。


「マズい」

「ははっ、あんまり美味しくないよね。私も昔は苦手だった」


 最近になって、ようやく美味しさが分かるようになってきた。これも、歳を食った証なのだろうか。


「カッコいいな、***さん。こんな苦いお酒を飲めて」

「え? そ、そうかな」

「うん。羨ましいです」


 思わず、自分のグラスの中身を見た。大してお酒に強いわけではないが、お風呂上がりだったから喉が渇いていた。すでに半分近くがない。


 羨ましいのか、これが。


 私は、ラナちゃんを盗み見た。ラナちゃんは、グラスの中の氷を指で弄んでいる。


 ささくれなんてない、細くて長い指。氷を見つめる瞳はビー玉のように透き通っていて、それを守るまつ毛は必要以上に毛量が多い。日焼け止めなんて塗ってるところ、見たことがないのに、肌は陶器のように白くてなめらかだ。


 ハチミツ色の髪の毛を、一本一本見つめる。もちろん、白髪なんてない。


「私はラナちゃんの方が羨ましいよ」


 そう素直に口にすると、ラナちゃんは心底不思議そうなカオをした。


「私のことが? どうして?」

「どうしてって……だって、ラナちゃんかわいいし。性格も女の子らしいし」


 "お頭の恋人だし"


 もちろん、これは言えない。


 本当に羨ましい。どんなことよりも。


「"かわいい"かァ。私、かわいいよりキレイって言われてみたいです」

「そうなの? どうして?」

「だって……なんか大人な感じがするから」

「ははっ、ラナちゃんは早く大人になりたいの?」


 訊いてから、後悔した。ラナちゃんがそう思う理由なんて、一つしかないからだ。


 "その人"の話題は、どちらかといえば避けたかったのに。


「だって、シャンクスが鼻の下を伸ばす女って、大体いつも私より年上なんですもん」


 ラナちゃんは、唇を尖らせて面白くなさそうなカオを作った。


「ははっ、鼻の下を伸ばすって」

「伸ばしてますよォ。情けないカオして。でれェって」

「ラナちゃんと一緒にいる時のお頭の方が、でれェっとしてる気がするけどなァ」


 お酒を口に運びながら、そう呟く。思い浮かべたお頭は、目尻を下げて柔らかな目でラナちゃんを見つめていた。


「……子供を見る目ですよ」


 そう言ったラナちゃんの声のトーンが低くて、うまく聞き取れなかった。私は「え?」と聞き返した。


「子供とか、犬とか猫とか。そういうものを見ても、シャンクスって愛しそうなカオするでしょう?」

「それは……」

「私、本当のシャンクスって、もっと違うと思うんです」

「……本当のお頭?」


 ラナちゃんは、深く頷いた。


「あの人は、そんなに品の良い男じゃない」

「……」

「それこそ……"獣"みたいな」

「……」

「本当の愛し方は、もっと雑で、子供みたいにまっすぐで、鬱陶しくて」

「……」

「情熱的なんじゃないかなって」

「……」

「そう思うの」


 ラナちゃんはお酒を多く口に含んだ。もっとも、もうすでに氷が大半溶けていて、ほとんど中身は水だろう。


 "本当の愛し方"って……。


 それじゃあまるで、お頭がラナちゃんを本当は愛してないみたいに聴こえるけど……。


 ラナちゃんの話しぶりに、どう反応して良いか分からない。途中から相槌を打つことも忘れていたことに気がついて、私は慌てて口を開いた。


「そ……そっかァ」

「……」

「ラナちゃん、よく見てるね」

「……」

「恋人目線で見ると、そうなのかなァ」

「……」

「あ、ほら。私は船長としてのお頭しか知らないから」

「……」

「そんな話、もちろんしたことないし」

「……」

「そもそも私、そんなにお頭とは」

「この前、シャンクスと何かありました?」


 私の呑気な声を、ラナちゃんは鋭い声で遮った。


 少なからず驚いてラナちゃんを見返せば、ラナちゃんはまっすぐに私を見つめていた。


 その、糾弾するような目を見て、おそらくあの日のことを言っているのだと察した。


 そして、今日に限ってなぜ、ラナちゃんがキッチンにいたのか。本当の目的はこれだったからだ。


 私がお風呂上がりにキッチンに寄るのは、ほぼ日課。誰もいないタイミングで問い質したかったのだと、そう解釈をした。


「こ、この前? この前って?」


 やましい事なんて何もないのに、思わずたじろいでしまう。


 なんとなく、一旦誤魔化してしまった。


「この前。停泊した時。シャンクスと***さん、帰って来なかったでしょう」


 やっぱり、と、心の中で呟いた。


 この前停泊した街で、思いがけずお頭と私は同じ宿に泊まった。


 本当に、ただ泊まっただけ。もちろん何もなかった。そんなことは当然のことで、わざわざ謝ったり弁解するのも却っておかしい。だから、特に私からはラナちゃんに何も言わなかった。


「何って……何もないよ?」

「……」

「あるわけがない」

「……」

「お頭に聞かなかった?」


 ラナちゃんは、小さく首を縦に振った。


「シャンクスにも同じこと言われた」

「そうでしょう? だって、あるわけがないもん」

「……」

「だって、お頭と私は、ただの仲間同士なわけだし」

「……」

「男の人と泊まってるのと変わらないんだよ。お頭にとっては」

「……」

「何よりお頭は、ラナちゃんの恋人で」

「……」

「お頭は、ラナちゃんのことを」


 好きなんだから。と、続けようとして、言葉が止まった。


 覗いたラナちゃんの目が、今まで見たことのない目だったから。


 なんというか……"無"みたいな。


 まるで、海の底みたいに真っ暗で、思わず寒気がした。


 すると、ラナちゃんは、ぱっとカオを上げた。いつもの、かわいい笑顔だった。


「そうですよね。ごめんなさい、変なこと言って」

「あ……ううん。私も、嫌な思いさせてしまって」

「でも、仕方ない状況だったんですもんね。それもシャンクスに聞いてたのに。私ったら、すぐヤキモチ妬いちゃって」


 こういうところが子供っぽいんですよね。


 そう付け足しながら、ラナちゃんは席を立った。


「付き合って頂いて、ありがとうございます」

「あ、ううん。こちらこそ」

「じゃあ……おやすみなさい」


 そう言ってラナちゃんは、そそくさとキッチンのドアに向かった。そして、振り向くことなくキッチンをあとにした。


 さっきのラナちゃんの目が、まるでメデューサの魔力みたいに効いて。


 しばらくの間、私はそこを動けないでいた。


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