幼なじみと40℃と私。-Izo-

「どっ……どうしたの!?」


 ある日の休日。約一ヵ月振りに幼なじみの元を訪ねてみれば、今にも死にそうな幼なじみに出迎えられた。


「帰れって言ってん――」


 しゃがれ声の後で苦しそうな咳が続く。絹のような黒髪が汗のにじんだ頬にはらはらと垂れる。めずらしく結んでもいない。


「だ、大丈夫? イゾウ」


 室内へ入って体を支えてやろうとすれば、強い力で押し戻される。


「バカ。入るな。移る」

「で、でも」

「寝てりゃ治る。ただの風邪だ」


 風邪。イゾウが。あのイゾウが。健康と旺盛な性欲しか取り柄のないイゾウが、風邪……!!


「おめェ今とてつもなく失礼なこと考えただろ」

「い、いやだって、風邪なんて今まで引いたことないじゃん……どうしたの?」


 イゾウは苦しげな表情で静かに首を振る。い、いったいなにが。


「昨日下半身丸出しで冷房に当たってたらこのザマだ……情けねェ……」

「ほんとにね」


 どうしようもない理由すぎて呆れ顔になる。だけど、イゾウのつらそうな咳を聞いていたら、叱りつける気持ちもヤキモチを妬く気持ちも失せた。


「とにかく寝なきゃ。熱は測ったの?」

「だから帰れって――」

「はいはい。お邪魔しますよーっと」

「――! おいっ」


 イゾウの細腕を押し退けて無理やり部屋に入る。いつも以上に抵抗する気力がないようで、イゾウはもう何も言わずにふらふらと黙ってついてきた。


「イゾウ、とにかく横にならなきゃ。熱は? 何度だった?」

「知らねェ」


 ベッドにぼふんとダイブしてイゾウが答える。


「ええ? は、測ってないの?」

「ねェもん」

「え?」

「体温計」


 思わず唖然とする。が、今までちゃんとした(?)風邪なんて引いたことがなかったのだ。当然といえば当然。


 とりあえず看病に必要な物がなさすぎる。私はバッグを持ち直すとイゾウへ振り向いた。


「イゾウ。私買い物行ってくるから。何か食べたい物ある?」

「……お」

「お? おかゆ?」

「女……」

「……」


 おとなしく寝ててね、と言い残して家を出た。



 近くの薬局でパックごはんやアイス枕、スポーツ飲料、風邪薬、そして体温計を買って家に戻る。先ほどは目を向ける余裕もなかったが、相変わらずの汚部屋だ。こんなところで寝ていたら治るものも治らない。


「あとで掃除もしなきゃ……イゾウ、ただいま。大丈夫?」


 ベッドに横たわっているイゾウは先ほどよりつらそうに見えた。針のように尖った眉と眉の間に皺が寄っている。呼吸もひどく乱れていた。


 掛布団がきちんと掛かっていなかったので、イゾウに声をかけながら脱力した体をずりずりと移動する。触れた体が随分と熱く、ドキドキする暇もない。


「イ、イゾウ。ちょっと熱測らせて」


 イゾウはTシャツと、下はスウェットを履いていた。腋に体温計を挟もうとTシャツに触れると、すでに湿っぽかった。随分汗を掻いている。後で着替えを手伝わなければ。


 鬱陶しそうに体を捩るイゾウの腋になんとか体温計を差し込む。すぐにピピ、と音がして取り上げると、私は表示された温度に唖然とした。


 四十度。表示はぴったり四十度と出ていた。


 え、嘘でしょ。四十度? 初めて見た。え、四十度?


 途端に心臓がドキドキする。軽口も叩いてるし、せいぜい三十八度くらいかと思っていたら。まさかの四十度。私は改めてイゾウに目を向けた。


 いつもは透き通るように白いイゾウの肌は、内側から絵具を垂らしたように真っ赤だった。目の下だけがひどい隈で真っ黒になっている。いつもは綺麗に紅がのっている薄い唇は真っ青で、苦しそうな呻き声まで聞こえている。


「イゾウ、病院行こ?」

「う……やだ」

「だめだよ、四十度もあるよ」

「なんだ、そんなもんか。大したことねェ……」

「四十度は大したことあるの!」


 どうしよう。全っ然言うこと聞いてくれない。なんでこの人こう頑固なの。心配と不安が相俟って苛々する。救急車呼んだほうがいいかな。いやでも風邪で? 呼んでいいんだろうか。せめてお医者さんに――。


「あ! そうだ! マルコさん!」


 そうだ。そうだった。イゾウにはマルコさんがいた。マルコさんは優秀なお医者さんだ。忙しいとは思うけれど、せめて応急処置だけでも聞ければ……。


 汚部屋に埋まったバッグを持ち上げてスマホを取り出す。マルコさんの電話番号を表示させていざ通話をタップしようとしたとき、ひゅっと白い手が伸びてきた。がしっと手首を掴まれて、ひっと声が出る。


「なっ、なにっ」

「おめェ……なんでマルコの連絡先知ってんだ……」


 真っ赤な額に真っ青な血管を浮き上がらせてイゾウが言う。


「あ、ああ。この前一緒にイゾウの誕生日プレゼント選んだときに交換して――」

「なんだそれ。いっやらしい」

「は……はァっ?」

「陰でこそこそ連絡先交換しやがって」

「べっ、べつにこそこそなんてっ」

「あーいやらしいやらし!」


 ぷいっとそっぽを向いて再びベッドに横たわる。なんか元気に見えるんだけど。この体温計壊れてるんだろうか。


 イゾウがこちらに背を向けている隙にマルコさんにショートメールを送る。返信はすぐにあって『風邪薬飲ませてベッドに転がしといてくれ。仕事終わったら行く』とあった。


 大丈夫なのかな。まあマルコさんが言うなら大丈夫か。後で来てくれるみたいだし。言う通りにすべく、風邪薬と水、そして飲み込めるタイプのゼリーを持っていく。


「イゾウ。とりあえず胃に何か入れて、薬飲もう?」


 小刻みに肩を揺さぶる。しばらくそれを無視していたイゾウは、うっすらと目を開けて横目で私を睨みつけた。


「な、なに」

「――なら飲んでやってもいい」

「え? なんて?」


 冒頭が聞こえなかった。耳を寄せてもう一度訊く。


「なに? なんて言ったの?」

「……マルコの連絡先消すんなら飲んでやってもいい」

「……」


 私は唖然とした。な、なんで?


 さすがに拒否しようと口を開きかけたが、四十度の表示が脳裏によみがえる。押し問答をしている余裕はない。私はスマホを取り出すと、マルコさんの連絡先を削除した。救急要請は出したし、連絡先はまた交換すればいい。今はイゾウの駄々こねに付き合うしかなさそうだ。


「ほら、これでいい?」


 私がスマホの画面を見せると、イゾウは横目でちらと確認してから「ふん」と言ってゼリーをふんだくった。行儀悪く横になったままちうちうと吸う。な、なんなのもう。


 ため息を押し殺して、錠剤を二粒取り出す。


「ほら。イゾウ。薬」

「……苦くない?」

「苦くない苦くない」


 子どもをあやすように言う。イゾウが嫌々こちらを向いたので、半開きの口に薬を突っ込んだ。


「う、変な味する」

「ええ? 錠剤の薬に味なんてないでしょ」

「ある。おれの舌はおまえと違って繊細なんだ」

「ねェほんとに具合悪いの?」


 熱があっても減らず口を叩くイゾウに腹立たしさを感じながらも安心する。これがなかったらイゾウじゃないもんね。


 肩を支えながら上体を少しだけ起こす。ペットボトルの口を押し付ければ、イゾウは素直に首を傾けた。細い首に突出している喉仏がこくんと上下する。苦しそうに寄った眉も半開きの口も目も滴っている汗も紅く染まった頬も、いつもに増してすべてが艶っぽい。私には刺激が強すぎる。


「はい。もうねんねねんね」

「おめェ……治ったら覚えてろよ」


 睨みつける目に力がない。そのままうとうととまぶたが落ちてきて、イゾウはようやく眠りについた。



 イゾウが眠っている間に部屋の片付けを済ませて、パックごはんでおかゆを作っておく。鍋がなかったらどうしようと思ったけれど新品の物が戸棚にしまってあってほっとした。ちなみに炊飯器は無い。


 スマホの時計を見ると、部屋の掃除を始めた時間から三時間が経過していた。そういえばTシャツが濡れてたんだった。熱も測り直したいし、一旦起こしてもいいかな。


 ベッドサイドに行ってイゾウの寝顔を覗くと、先ほどよりは顔色が良く見えた。だけど、眉間に寄った皺と苦しそうな呼吸はそのまま。イゾウといえど四十度の熱はそうそう下がらないらしい。


 数秒イゾウの寝顔に見惚れてしまい、はっとする。咳払いをしてからイゾウを揺り起こせば、いつもは尖っている目がとろんと開いた。


「イゾウ? 体調どう?」

「……」

「ごめんね、起こして。一旦着替えてもう一回熱を――」

「なんで」

「え?」


 新しく持ってきたTシャツと体温計に向けていた目をイゾウへ向ける。イゾウのカオを見て、私はどきりとした。眉が切なく寄って、目が今にも泣き出しそうに潤んでいる。私の手首を掴む力がどこか弱々しく遠慮がちで、何かに怯えているようだった。


 イゾウの名前を呼ぼうと口を開きかけたところで、イゾウのカオが肩口に埋まる。すんと匂いを嗅ぐと、安堵したように私の――私の向こうにいる誰かの肩に手を回した。


「なんで全然来ないんだよ……」

「……」

「毎日来てよ……毎日会いたいんだ……」

「……」

「他の男なんか見ないで……」

「……」

「好きなんだよ……どうしようもねェ……」


 聞いたことのない、縋りつくような声。そのまま呆然としていたら、耳元ですうすうと寝息が聞こえた。イゾウがずるずるとベッドに倒れ込む。


 私は泣いていた。痛くて。イゾウの気持ちが痛くて、泣いていた。


 ごめんね。ごめんね、イゾウ。


 ほんとは好きな人に看病してほしかったよね。私じゃだめだよね。


 ごめんね。ごめん。


 好きになって、ごめんね。


 絹のような黒髪を撫でる。撫で続けていたら、イゾウの口元が満たされたように緩んだ。


 せめて夢の中では優しい幻をみてほしい。イゾウの願いを叶えてあげてほしい。どうしてイゾウの恋は叶わないんだろう。叶うといいな。イゾウの幸せが私の幸せだから。


 どうか、イゾウがこの世界中の誰よりも幸せになりますように。そう願いながらイゾウの額に額を寄せた。



「――い。……おい」

「……う、ん」

「起きろ」

「……うーん」

「今度はおめェが風邪引くぞ」


 揺り起こしてくる手が煩わしくて、虫のように払いのける。


 夢の中で、ムッとしたイゾウがぺちぺち私の頬を叩く。


 おい。起きろって。

 ……イゾウ、治った?

 あァ。もう全然――って、おい。寝るなって。

 ……よかったね。

 ……あァ。

 ……。

 ……おい。

 ……。

 なァ。

 ……。

 ほんとに寝てる?

 ……。


 額に柔らかな感触。その後で、愛おしそうに抱きしめられる幻覚を見る。


 ありがとう。ごめんな。おれなんかの面倒いつまでもみさせて。いつまでも離してやれなくて、ごめん。ずっと一緒にいて。曖昧なままでいいから。どこにも行かないで。他の男好きになってもいいから。つらすぎて死にそうだけど。いつまでもどうしようもない幼なじみでいさせて。ずっとずっと、一緒にいて。本当のおれを知られて、愛想尽かされるのが怖いんだ。離れられるのがすごく怖い。愛してるよ。ほんとごめん。


 夢の中で、誰かが私のまぶたに触れる。私は泣いているのかもしれない。どうして泣いているのか、自分でもわからない。ただただ、ひどく胸が痛かった。


「イゾウ……ずっと……一緒に、いようね……」


 夢の中で、イゾウが幸せそうに笑った気がした。


幼なじみと40℃と私。


 なんでイゾウが元気で、こっちが風邪引いてんだよい。

 ああ、もう。だから帰れって言っただろ。なァマルコ、こいつ死なねェよな? な!?

 うう、イ、イゾウ……助けて……。

 ああ、かわいそうに……。代わってやりてェ……。

 ……おまえらほんとなんなんだよい。


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