おまけ・同居人とお花見と私。-Ace-

 私は、桜が好きだ。


 繊細で、儚くて、心許ないのに、その樹木からは、たくましささえ感じる。見ているだけで、励まされているような。そんな気持ちになる。


 だから私は、桜が好きだ。


 春風が運んでくる桜の香りを目一杯吸い込んで、私は呟いた。


「ああ、桜もちのいい匂い……」

「おい、そこの色気より食い気。さっさと酒買って来い」


 その一声で、私は一気に喧騒の中へ引き戻された。見ると、友人が千円札を二枚、差し出しながら、眉をしかめている。


「えっ、もうお酒ないの?」

「とっくにねェよ。おまえがじゃんけんで負けてから、何分たったと思ってんだ」


 桜の木の傍らに敷かれたブルーシートの上を見れば、空き缶たちが用済みとばかりに転がっていた。それを取り囲むようにして、学生たちが真っ赤なカオで笑い声を上げている。


 もっとも、お花見シーズン真っ盛りなこの公園では、周囲も同じような状況なので、特別目立っているというわけではない。


「ごめんごめん。何本くらい買って来たら良い?」

「そうだなァ、このペースだったら……十本、いや、十五本か?」

「えっ、その本数、私一人でっ?」

「だって、じゃんけんで負けたの、おまえだろ」

「そ、そうだけど……」


 ごにょごにょと不平を口にしたら、友人は「仕方ねェなァ」のカオを作った。


「おれも一緒に行ってやるよ」

「やったー! ありがとう!」


 こうして、喧騒に背を向けた私たちは、公園の近くにあるコンビニへ向かった。


 コンビニへ向かいながら、私は公園を見回した。


 ……エースくんも、この公園にいたりして。


 三日前の、同居人との会話を思い出しながら、そんなことを心の中で呟く。


 『おれ、今度の土曜日、いねェから』と言うエースくんに、『私も』と返した。『大学のサークル仲間とお花見なんだ』と続けば、エースくんが、『おれも』と返してきたのだ。


 ここの公園、エースくんの大学範囲からは少し離れてるし……いないよね。


 そんなふうに思って、少しがっかりとした気持ちになる。


 友人とのお花見も楽しいけれど、好きな人とお花見とか……やっぱり、憧れるな。


 エースくんと、二人でお花見とか、したいな……。


 そんな無謀なことを願っていたら、いつのまにかコンビニに到着していた。


 さすが、お花見客で賑わっている公園の近くということもあって、コンビニの中は混雑していた。


 大人から、私たちのような学生まで――カオを真っ赤にした人たちが、主にお菓子やお酒を品定めしている。コンビニの店員さんが、忙しそうに商品を補充していた。


「酒だけでいいよな」


 そう言って、私の友人は脇目も振らず、お酒のある冷蔵庫へ向かった。


 私もそれに続いて、棚の角を曲がる。


 冷蔵庫のまん前にいた人物を見て、私は思わず「あっ」と声を上げてしまった。


「エースくんっ?」


 その名を呼ぶと、エースくんは、ひょいっと私の方を見た。そして、私のカオを見ると、みるみるうちに目をまるくした。


「おまえ……こんなところで何して――」


 そこで言葉を途切れさせると、エースくんは、私の隣にいる友人に目を向けた。


 そして、無表情になって、私と友人を、目で何度も往復する。


 よくよく見ると、エースくんも友人といたようだ。彼の隣には、リーゼントを頭に乗せた、みたいな男性がいて、その人の腕には、モデルさんのような女の子の腕が絡みついていた。


 すると、エースくんの隣からも、ひょいと、女の子の小さなカオが現れた。


「エース、知り合いか?」


 リーゼントの友人が、エースくんに向かってそう訊ねている。


 しかし、エースくんは、まるで魂を抜かれたかのように真っ白のまま、私と友人を見ていた。


「ふうん……」


 しばらくすると、エースくんがそう唸った。唸ったかと思うと、太い黒眉をぎゅっとしかめて、形のいい綺麗な唇を、への字に折り曲げた。


「へえええええええ!」


 コンビニに響き渡る声量で、エースくんはそう言った。


 その、とても不機嫌そうな表情と声に、私は思わず「へっ?」と、あっけに取られる。


 エースくんは、ぷいっと身を翻すと、ずかずかとレジの方へ足を進めた。


 エースくんの隣にいた女の子が、慌てたようにそのあとを追う。


 ぽかんとしている私と友人に、リーゼントの男性が「なんか、悪かったね」と、申し訳なさそうに笑ってから、去っていった。


「もしかして、彼氏か?」


 友人がそう訊いてきたので、私は慌ててそれを否定した。


「ちっ、違うよっ。まさかっ」

「けど、なんか怒ってたぞ」

「……ね」

「なんかわかんねェけど、誤解してたみたいだから、解いとけよ」


 そう言ってから、友人は買い物カゴへお酒を入れていった。


 コンビニの入店音が鳴ったので、出入り口の方へ振り返る。


 ちょうど、エースくんとその友人たちが、コンビニを出て行くところだった。


 その横顔が、一層険しくなっていて、私はますます不安になってしまった。





 公園に戻ってから、私はさりげなくエースくんを探した。あのコンビニでお酒を買っていたということは、エースくんもこの公園でお花見をしているに違いない。


 けれど、この公園はとても広く、ましてや今日は花見客で賑わっているため、どこにいるかも分からない人一人探すのは、至難の業だ。


「疲れた……ちょっと休憩……」


 二十分ほどたってから、私は近くにあったベンチに、へたへたと腰をおろした。


 春とはいっても、桜も満開になるほどの気温だ。日中は、それなりに日差しもきつい。


 ちょうど、桜の幹が日傘替わりになって、日よけになっている。木漏れ陽だけが、私の身体を照らしていた。


『なんか怒ってたぞ』


 先ほどの、友人の言葉を思い出す。


 そう。怒ってた。怒ってたよね、エースくん。なんか、怒ってたし――いじけてた。


 満開の桜の木の下で、私は難しく眉を寄せて、腕組みをした。そして、目を瞑って、考える。


 なんで? なんで怒らせた? あの一瞬で。


 まさか……私が男の子と一緒にいたから? ――いや、まさかね。エースくんと付き合ってるわけでもないし、ましてやいい感じになってるふうでもない。


 だからまさか、ヤキモチなわけは――


 すると突然、ベンチが大きく揺れた。どさっ、と、誰かが座るような音もした。


 その衝撃に驚いて、目を開いて隣を見る。


 エースくんが、腕組みをして座っていた。


「エっ、エースくん……!」

「……」


 そう呼びかけても、エースくんはこちらを振り向かない。相変わらず、唇をへの字に折り曲げて、眉をしかめるばかりだ。


「エ、エースくん……?」

「……」

「あ、あのう」

「今日、男もいたんだな」


 ようやくエースくんは、こちらを見た。


 鼻に皺が寄っていて、せっかくのかわいいそばかすが、くしゃっとなっている。


「あ、ああ……あの、ええっと」

「今日、男もいたんだな!」

「きっ、聞こえてる! 聞こえてるから……」

「……」


 再びエースくんは、ぷいっとカオを背けた。目は据わっていて、下唇は突き出している。


 こ、これは……


 もしかして、もしかしなくても……


「エースくん、もしかして――ヤキモチ妬いてるの?」


 恐る恐る、顔色を窺いながらそう訊ねると、エースくんは不可思議そうなカオをした。


「今、餅の話なんてしてねェだろ」

「い、いや。食べ物の方のお餅じゃなくてね? ヤキモチっていうのは、その」

「男と昼から酒飲むなんて、いっやらしい女!」

「……! なっ」


 さすがの私も、かっちんときた。鼻を膨らませながら、エースくんに反論する。


「そっ、そっちだってっ、女の子と一緒にいたじゃんっ」

「おれはいいんだよっ。おれはっ」

「なっ、なにそれ! 自分勝手!」

「どっちがだよっ! 男友だちなんて、いないって言ってたくせに!」

「い、いないとは言ってない! 少ないって言っただけでっ」

「少ないのといないのは一緒だろ!」

「いっ、一緒なわけな――」


 突然、強い風が吹いて、桜の花びらが一斉に舞う。


 ――まるで、エースくんと私の言い合いを、止めるかのように。


 その目論見通り、私とエースくんは、一面ピンクになった光景に見惚れた。周囲でも、感嘆の声が上がっている。


「綺麗……」


 思わずそう呟くと、エースくんも、「そうだな」と言って、ようやく目元と口元を緩めた。


 そういえば今、私――


 エースくんと二人で、お花見してる。


「これ……今のおれみたいだ」


 桜の雨に降られながら、エースくんがふいにそう言った。


「え? どういうこと?」

「……この色」

「い、色?」


 エースくんの大きな手のひらに、花びらが乗る。


 それを見つめながら、エースくんは言った。


「今のおれの、心の色」

「こ、心の色?」

「ああ」


 手のひらに乗った花びらを見ながら、エースくんの言葉を咀嚼する。


 ううん……


 どういうこと?


「こ、心の色がピンクなんて、かわいいね」

「……」

「それって、なんだか――」


 恋の色みたい。


 そう言いかけて、止まる。


 じわり、じわりと、エースくんを見上げた。


 エースくんも、私を見ていた。


「……おれ」

「……」

「おれ、おまえが他の男と一緒にいるとこ見んの――いやだ」


 エースくんがそう言い切ったところで、遠くからエースくんを呼ぶ女の子の声がした。先ほど、コンビニで一緒にいた子だ。


 放心した私を一人、置き去りにして、エースくんは去っていった。――他の女の子のところへ。


 ……なにそれ。


 なんだ、それ。なんて、勝手な。


 頬を両手で抑えると、燃やされたみたいに熱い。桜色、なんてかわいい色は、とうに超えていそうだ。


 今日、どんなカオして、家に帰ろう――。


 エースくんの広い背中が、桜吹雪に紛れて、見えなくなった。


同居人とお花見と私。


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