幼なじみと秋の空と私。-Izo-
ある日の休日。私は、部屋を隅から隅まで掃除していた。
平日は疲れ切っていて、なかなか細かなところまでは着手できない。だからこうやって、天気のいい休日には、窓を開け放って一週間分の埃を一掃するのだ。
お昼頃にはあらかた終わって、私は窓を閉めようと、窓へ向かった。
季節は秋。暦の上では、もう十月初旬。あと二ヶ月で今年も終わるだなんて、少し信じられない。
「今年も、何も進展なかったなー……」
秋の空に向かって、そうぼやく。外では、もう金木犀の香りが遠ざかっていて、もう間も無く冬が来ることを告げている。
女心と秋の空、なんて言うけど……
私、ずっとイゾウのことばっかり、好きだなァ。
イゾウのカオを思い浮かべて、思わずクローゼットの方を見る。
今までは、何かに理由をつけてイゾウの家に押しかけていたけど。最近ではネタも尽きて、なかなか会いに行く理由も探せなかった。
だからこそ私は、十月を心待ちにしていたのだ。
窓を閉めると、ぐっと背伸びをして、体の関節を伸ばした。久しぶりに体を動かしたからか、骨からはミシミシと音が鳴った。
でも、いいダイエットにはなったかも。なんとしてでも、あと十日そこいらで、二キロ減に成功しなければ!
そんな決意を、握り拳に込めていたら、ピンポンッ、と、軽快に玄関のチャイムが鳴った。
とっさに「はあい」と答える。
……荷物が届く予定、あったかな?
念のため、シャチハタを片手に玄関ドアまで走る。
覗き窓を覗くと、その向こう側にいた人物に、思わず目の玉をひん剥いた。
シャチハタを靴箱の上に放り投げて、慌てて鍵を開ける。
その途端、思いっきりドアを開け放たれた。
「よォ。邪魔するぜ」
「イっ、イゾウっ? ちょっ……!」
突然の来訪者は、なんとイゾウだった。挨拶もそこそこに、ズカズカと部屋の中へ足を進める。
ちなみに言うと、イゾウは靴の脱ぎ方も雑である。さすが汚部屋の住人。私は、イゾウの背中と、イゾウが脱ぎ散らかした靴を交互に見て、結局靴を揃えてから、イゾウのあとを追った。
「へェ。綺麗に片付いてんじゃねェか」
そう言いながら、イゾウは一人掛け用のソファに座って、長い脚を組んだ。
「どっ、どうしたの? イゾウが急に、私の家に来るなんて……」
我が家のソファで、王様のように踏ん反り返っているイゾウにそう訊ねれば、イゾウは綺麗に整えられた細眉を、針のように尖らせた。
「あん? おれに突然来られて、何か困ることでもあんのかい」
「えっ、ええっ? いっ、いやっ。そ、そんなことは……ないけど……」
「じゃあいいじゃねェか。まっ、構わずくつろぎな」
そう言ってイゾウは、シッシッと払うように、右手を軽く振った。
いや、ここ私の家。
「あ、な、なんか飲む? 今、冷たいのしかないけど……」
「あァ、そうだな。もてなせ。もてなしてみろ、おれを」
「は、はい」
そう答えてから、私は冷蔵庫へ急いだ。
なんだか様子がおかしい。突然訪ねてくるあたり、すでにおかしいんだけど。いつもに増して、ツン度が高い気が……
……でも。
にんまり。口元が、素直にだらしなくなる。
まさか、会えるなんて思ってなかったから、うれしい。うれしすぎる。踊り出したい。
突然訪ねてきた理由も気になるところだけど、きっと単なる暇つぶしか、気まぐれか。まァ、そんなところだろう。とにかく、お茶でも飲みながら、ゆっくり話を――
「――! ぎゃあっ」
冷蔵庫を開けて、中を覗いていたら、すぐ後ろに人の気配がした。したので振り向いたら、数センチ先に、イゾウの綺麗なカオがあったので、私はかわいさの欠片もない悲鳴をあげた。
「ちょっ、ちょっ、ちょっ……! ちっ、近いっ……! なにっ」
「食材、揃ってんな」
「へっ? あ、あァ、まァ……今日の午前中に、買いに行ったばかりだし」
「随分、量が多いじゃねェか」
「そ、そう?」
「ほんとに一人分かァ?」
イゾウが、訝しげに眉をひそめる。
しまった。もしかして、三キロ太ったこと、悟られたか?
「べ、べつにいいでしょっ」
食いしん坊だと思われたかも、なんて、なんだか恥ずかしくなって、私はお茶を手にすると、慌てて冷蔵庫の扉を閉めた。
イゾウの眉間の皺が、ますます深くなっていく。そして、ツンっとカオをそむけて、イゾウは一足先にキッチンを出た。
な、なんなの……。
私は、コップにお茶を注いでから、部屋へ戻った。
すると今度は、イゾウが私のベッドの上で寝そべっていた。ベッドからはみ出た右足の内ももが、惜しげもなくあらわになっている。
「ベ、ベッドに乗るの、やめてよ」
お茶をテーブルに置きながら、私はイゾウをやんわりたしなめた。
ベッドって、なんだか恥ずかしい。それに、イゾウの香りがつきそうで、妙な気持ちでドキドキする。
イゾウが、ベッドの上で身をよじって、うつ伏せになる。そして、私の枕を抱きかかえると、薄ら笑いで言った。
「なんだ? おれの匂いがベッドにつくと、困ることでもあんのかい」
私は思わずむせた。
えっ? 心の声もれてたっ?
「にっ、匂……! べっ、べつにそんなことっ」
「そうだよなァ。いざっていう時、ベッドから他の男の匂いがしたら、都合が悪ィよなァ」
「……へ?」
「なァ。そろそろ隠し立てすんのは、やめにしようぜ」
イゾウは、ゆらりと起き上がった。そして、ベッドの縁に腰掛けて、白い脚を組む。めくれ上がった着物の裾から見える太ももが、女性のそれより美しかった。
いや。今、そんなことはどうでもよくて。いや、目は釘付けだけど。
「か、隠し立てって……なんのこと?」
きょとん、とした表情を、そのままイゾウへ向けた。
イゾウが、前のめりになって、尋問スタイルになる。その拍子に、イゾウの着物の襟がはだけた。
「素直に白状すれば、まァ、許さんことも、ある」
「ゆ、許さんことも、ある? 結局許さないってこと?」
「おら、さっさと吐いちまいな」
「だっ、だからっ、一体なんのこと?」
しどろもどろに答えながらも、私の意識は、イゾウの胸元へ向かう。
さっきから、見えそうで見えない。おっぱいはないんだから、べつにこんなにどぎまぎすることはないんだけど。
なんだか少しだけ、女性の胸元に翻弄される男性の気持ちが、分かってしまった。
そんな私のいやらしい視線にも気付かずに、イゾウは脚を組み替えながら言った。
「じゃあ、質問を変える。――おめェ、一週間前の夜、何してた」
「い、一週間前の夜?」
そう問われて、私は、テレビの横に置いてある、卓上カレンダーに目をやった。
一週間前の、夜――。
ぎくり、と、私の表情が固まる。
イゾウの眉が、ぴくっ、と、目ざとく痙攣した。
「なっ、何も? 夜、買い物に出たくらい、だけど」
嘘はついていない。嘘は。いや、実は、それがすべてではないけれど。
でも、なんとか誤魔化したい。まだ知られたくない。
しかし、そんな私の願いも虚しく、イゾウはついに、額に青筋を立て始めた。
「おめェの嘘が、おれに通用すると思ってんのか? あァ?」
「もっ、もしかしてっ、そのっ……聞いちゃった?」
「聞いてねェよ。見ただけだ」
「み、見た? 見たって、何を……」
そう訊ねると、イゾウは今日一番の不機嫌なカオをした。
「決まってんだろ。おめェとマルコが、一緒にいるところをだよ」
「えっ」
私は内心、冷や汗をかいた。
ま、まさか、見られていたとは。不覚。
私は、恐る恐る訊ねた。
「ち、ちなみに……どの辺で?」
「……駅前のフレンチ。夜八時頃」
「なっ、なんだっ。そこかァ」
「あん?」
「いっ、いやっ、なんでも……」
私は、イゾウに気付かれぬよう、クローゼットに目をやった。どうやら、肝心なところはバレていないらしい。
イゾウが、組んだ脚の上で、頬杖をつく。拗ねたような目を右に流して、言った。
「二人して、こそこそしやがって……いっやらしい」
「……へ?」
「まァ、大方、おめェの片思いだろうが」
「えっ。……ええっ?」
「しかしなァ、マルコはどうなんだ? マルコは」
「いやっ、ちょっ、えっ?」
「アイツは医者だし、見た目もまァまァいい。……おれの次の次くらいに」
「イ、イゾウっ? あのっ」
「でもなァ、その分、寄ってくる女も多いんだぜ? とてもおめェの手に負えるとは思えねェ」
「いやっ、だからっ」
「それとも、なにかい」
イゾウは、突然、声のトーンを下げた。そして、繊細な長いまつ毛を伏せて、続けた。
「つ……付き合ったり、してんのか。もう」
「……え?」
「最近おめェ、おれんとこにも来ねェしな」
「そ、それは……」
「おれァもう……用無しかい」
イゾウの声が、次第に小さくなっていく。
聞きたくないことを訊いている時の、イゾウの癖だ。
私は、逡巡してから、仕方なくクローゼットへ向かった。
クローゼットを開けて、包装された紙袋を手にする。
それを持って、イゾウの傍らに立つと、イゾウの目の前にそれを差し出した。
イゾウは、訝しげに眉をしかめた。
「あん? なんだよ。こ……」
紙袋に印字されているブランドのロゴを見て、イゾウの言葉が止まる。次にイゾウは、卓上カレンダーを見た。
数秒、考え込んでから、ついに答えに辿り着いたようだ。イゾウは、深く長い息を吐き出した。
「……そういうことか」
「……そういうことです」
そう。そういうことだった。
約十日後の十月十三日は、イゾウの誕生日。そして、今私が持っているプレゼントのブランドは、イゾウの好きなブランド。
本当に偶然だが、先週の土曜日、このブランドのお店で、ばったりマルコさんに出くわした。
当然のことながら、マルコさんもイゾウの嗜好を熟知している。同じお店でプレゼントを選んでも、なんら不思議ではない。けれど、マルコさんも私も、同じ日に遭遇したことには、さすがに目を丸くした。
「せっかくだから、プレゼントが被らないようにって、二人で相談しながら選んだの」
「……」
「時間的に、夜ご飯の時間だったから、マルコさんがフレンチご馳走してくれたってだけ」
「……最近おれんとこ来なかったのは?」
「それ、は……」
ぎゅっと、プレゼントの紙袋の紐を握って、続けた。
「あんまり行ったら……さすがに迷惑かなって……」
「……」
「ネタも尽きたし……」
「……ネタだったのかい、あれ」
ようやくイゾウは、カオを上げた。目は、罰が悪そうに逸らされていて、耳が少し赤い。
こんなイゾウも、レアかもしれない。サプライズは失敗に終わったが、私は十分満足した。
「はい、これ。ちょっと早いけど、渡しちゃうね」
「あ、あァ。どうも――」
プレゼントを受け取りかけて、イゾウは手を止めた。そして、プレゼントは受け取らずに、手を引っ込めた。
「? イゾウ?」
「おれが持って帰ったら、荷物になんだろうが」
「え、ええ? そんなに大きくないじゃん」
そう非難の声を上げると、イゾウは目を逸らしたまま、言った。
「おまえが当日、おれの家に持ってこい」
「えっ?」
「……」
「い、いいのっ? 誕生日、当日だよっ? 他に、あ、会いたい人とかっ」
「おれがいいっつってんだから、いいんだよ」
今日一番のデレを見せて、イゾウが言った。
「あっ、ありがとうっ! あっ、じゃあっ、ケーキも買っていくねっ!」
「……好きにしな」
「やったー!」
今月また、イゾウに会える! しかも、誕生日当日!
一人浮かれていたら、イゾウが「で?」と訊いてきた。
「? なに?」
「マルコと、何話したんだよ」
「マ、マルコさんと? いや、何って……」
あの日を振り返るように、私は宙を見上げた。
「イゾウの話ばっかりだったよ」
「おれの?」
「うん。だって、マルコさんとの共通の話題なんて、イゾウのことくらいしかないし」
「まァ、それもそうか」
「マルコさん、嬉しそうにイゾウの話してたよ」
「……悪口じゃねェだろうな」
「そんなわけないでしょっ」
あきれたようにそう言えば、イゾウは「どうだか」と、紅い唇をへの字にした。
ほんっと、ひねくれ者なんだから……。
「マルコさんから見ると、イゾウって人一倍執着心が強くて、甘えん坊らしいよ」
「……へェ」
「男性目線だからかなァ。私のイゾウの印象とは真逆だったから、ちょっと意外だった」
「……」
イゾウと執着心って、どうも結びつかない。どちらかというと、来るもの拒まず、去る者追わず、なイメージだし。
それに、甘えん坊なんて、まったくイメージにない。
「よく見てんなァ、アイツは……」
ぽつり。イゾウは、そう呟いた。
その横顔を見ながら、思う。
もしかしたら――本当に愛した人には、そうなのかもしれないな。
「……イゾウ」
「あん?」
気だるげな目が、私を見上げる。
私は、精一杯の笑顔を見せて、言った。
「久しぶりに、"幼なじみ"の手料理、食べてかない?」
幼なじみと秋の空と私。
おめェ、相変わらず手際悪ィな。
いっ、いいから、向こう座って待っててよ……!
(ほんと、どんくせェな。ああ、好き。すげェ好き)[ 2/4 ][*prev] [next#]
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