幼なじみと猛暑と私。-Doflamingo-

「えっ、二週間っ? 二週間もかかるんですかっ?」


 スマートフォンを片手に、私は絶句した。電話越しに聞こえてくる店員さんの説明も、もはや耳に入らない。


 エアコンが壊れた。


 よりによって「今週から厳しい暑さが続きそうです」なんて、お天気お姉さんが注意喚起していた、その一時間後に。


 すがるように修理会社に電話を掛けたところ、修理に来るまで最短でも二週間はかかるとのことだった。最短で二週間。ということは、それ以上かかる可能性もあるということだ。


 失意のままに電話を切って、私は呆然とした。耳には蝉の鳴き声。部屋の中は湿気と汗の匂い。目の前には蜃気楼が広がった。室内なのに。


「だ、誰かに泊めてもらわなきゃ……」


 命の危険を感じて、私は思いつくまま友だちや同僚に電話を掛けた。


『ごめん! 昨日から夏休みで、旅行に来てるんだ』

『今出張中で、そっちにいないの。力になれなくてごめんね』

『実は彼氏の家にエアコンがなくて。今うちに入り浸ってるんだよね。それでも大丈夫? 彼氏もいるけど、それでも良かったらおいで?』


 最後の頼みの綱が有難い提案をしてくれたが、私の口からは「ありがとう。でも大丈夫」と遠慮がこぼれた。


 電話を切って、再び途方にくれる。


 どうしよう。本当にどうしよう。


 新しいものを買ったところで、おそらく結果は同じだろう。この猛暑だ。新たに取り付けようにも、どの工事会社も混み合っているに違いない。


 悩んでいる間にも、汗が滝のように流れてくる。外では、救急車のサイレンがけたたましく鳴っていた。


「……」


 私はスマートフォンを手に取った。


 頭の片隅にいる、最後の最後の、最後の頼みの綱の名前を表示させる。


『ドンキホーテ・ドフラミンゴ』


 フルネームで見ると、ますます威圧感を感じる。


 私は一旦表示を消した。そして、頭を抱えた。


 ドフィに泊めてもらうの? 二週間も? なんて頼むつもり? っていうか、泊めてもらえるつもり? 最近あっちから連絡もない上に、この前勝手に訪ねていって、挙句泣き喚いて、散々迷惑かけたのに。


 けれど、そうは言っても、もう頼れるのは彼しかいない。二週間もホテルに泊まるお金はないし、行き慣れない漫画喫茶に、一泊どころか何泊もするのは、正直怖かった。


「……」


 正座をした膝の前に、スマートフォンを鎮座させる。


 ドフィに電話とか初めて。しかし暑いな今日は。いやしかし。イケるか? アイスノンとか氷とか買い占めれば。ああ、でも。この暑い中買いに出かけるのも却って危険な気が。そもそもドフィ出るかな。私からの電話。応答の仕方とか分かるのか。ああ、しかし暑い――。


『今年の熱中症の搬送者数は、前年を遥かに上回り――』


 ニュースキャスターのその一言で、私はようやく覚悟を決めた。


 『ドンキホーテ・ドフラミンゴ』を表示させると、間髪入れずに発信する。


 ツッ、ツッ、ツッ……。その後、しばしの無音。


 留守電にでもなるかと思いきや、トゥルルルルッと耳元で鳴って、それだけで心臓がドッキンと跳ねた。


 トゥルルルルッ、トゥルルルルッ、トゥルルルルッ……。


 一回、また一回と鳴るごとに、鼓動の加速が弱まってくる。


 ……。


 ……出ないかも。


 六回目のコール音で、ついに私の心臓は通常運転になった。


 次。次のコール音で出なかったら、電話を切ろう。


 出てほしい、と思う反面、出たらどうしよう、とも思う。


 忙しい心の葛藤の中、ついに七回目のコールが終わってしまった。


 ……なんだ。出ないや。


 落胆と共に肩を落とす。


 いや、エアコンも、まァ、困ってるんだけど。


 ちょっと、声も聞きたかったな。なんて、


 そんなことを思った、その時。


 耳元で、プツッ、と音がした。コール音が止んで、耳元が沈黙する。


 あれ? 切られた?


 スマートフォンを耳から離して、画面を見る。


 『通話中 00:04……00:05……』


 慌ててスマートフォンを耳に戻した。


「もっ、もしもしっ」

『……』

「あっ、あのっ……私、です」

『……』

「……」

『……』

「……あ、あのー」

『なんだ』


 不機嫌そうな声色に、違う種類の汗が噴き出す。もっとも、この男の声色を『機嫌が良さそう』なんて思ったことは一度もない。


「あ、い、忙しいところごめんね。じ、実はお願いがあって……」

『……』

「うちのエアコンが、その……壊れてしまって」

『……』

「修理に来るまで、にしゅ、二週間も、かかる、みたいで」

『……』

「と、友だち全員にお願いしたんだけど、みんな、その……都合が悪くて」

『……』

「それで……そのー」


 ドフィ特有の沈黙に気圧されながらも、頼むだけ頼んでみようと、意を決して口にした。


「と……泊めてもらえないかな?」

『……』

「ドフィのところに」

『……』

「二週間……」

『……』


 最後の一言は、もう蚊の鳴くような声だった。


 さすがに長いかな。やっぱり。二週間はないよな。さすがに。


 とりあえず、ドフィの返事を待ってみる。待って、待って、待って……。


 五秒経ったところで、もうどうにも居たたまれなくなって、「やっぱり大丈夫」と言いかけた――その時だった。


『好きにしろ』


 その言葉の後、プツッと音がした。そしてすぐに、ツーツーツーと、通話終了の合図が聞こえる。


 暑苦しい室内で、私は脱力した。今気付いたが、髪の生え際から足の先まで、汗がびっしょりと滴っている。


「……シャワー浴びてから行こう」


 かなりぬるめのシャワーを浴びて、二週間分の外泊の用意をすると、私は蒸し風呂のような部屋を早々に出た。





 門番の前に立つと、彼らは私のカオを見るなり、門を開けた。どうやら、話はもう通っているらしい。


 門番たちに会釈をして、玄関へ向かう。


 その途中、小鳥のようなはしゃぐ声が聞こえてきた。見れば、プールサイドで美女たちが数人、戯れている。中にはトップレスの女性もいた。


 頭痛がしてきた。別世界だ。この世界に、二週間。いられるのか、私。いやしかし。背に腹はかえられない。あのサウナのような部屋で熱中症になってしまうよりは、遥かにマシだ。


 「お邪魔します」と、形だけ口にして、玄関をくぐる。


 中に入った瞬間、キンキンに冷えた空気が汗ばんだ全身を包んだ。感動のあまり、思わず「涼しいー!」と声が出てしまう。


 ああ……なんて幸せ。エアコンって素晴らしい。エアコンって有り難い。


「……っと、人様の玄関先で感動してる場合じゃない」


 屋敷の主人に挨拶をすべく、ひんやりとした大理石の空間を、心地好く歩いていく。


 いつもの部屋の前まで来ると、私は二度、ノックをした。


 入れ、と聞こえたような気がしたので、私は「お邪魔します」と言いながら、扉を開いた。


 夏は日が長い。もう夕方だというのに、大きな窓からは燦々と陽の光が降り注いでいる。この部屋の光景としては、珍しい光景だ。


 ドフィはベッドの上にいた。手の中には本が収まっていて、上質そうなクッションに長い脚を乗せている。


 ドフィは暑いのが嫌いだ。半裸だったらどうしようとか思っていたが、彼は白いTシャツにラフなパンツスタイルだった。ちなみに爽やかさは微塵もない。


「こ、こんにちは……」

「……」

「あ、こんばんは、かな」

「……」

「ま、まァ、どっちでもいいか。ははっ」

「……」

「……」


 私は荷物を床に置くと、ドフィのいるベッドまで歩いていった。


 そして、ベッドの傍らに立って、ぺこりと頭を下げてから、言った。


「あ、あの……急にほんと、ごめんね。このあいだから、ほんと……」

「……」

「でも、あの……今回は本当に助かったよ。ありがとう。いや、まァ。前回も助かったけど。ある意味」

「……」

「ま、まさか、エアコンが壊れるなんて、夢にも思わなくてさ」

「……」

「……」

「……」

「と、とにかく、あの……ありがとう。二週間、お世話になります」


 再びお辞儀で締めくくると、私はベッドを離れた。そして、ドフィに気付かれぬよう、小さく息をつく。


 疲れた。もうすでに。到着してまだ十分なのに。二週間なんていられるのだろうか。


 まァでも。このだだっ広いお屋敷内で、ドフィに出くわすこともそうそうないかもしれない。私は仕事もあるし、ドフィだって出かけていくだろう。


 ……あ。そうだ。


 はた、と思い立って、私はくるりとドフィの方へ振り向いた。そして、訊いた。


「あの……私、お部屋どこ使わせてもらったらいいかな?」

「……」


 ドフィは、しばらくの沈黙の後、本から目を離さないまま、人差し指でこの部屋の床を指した。


 私は目をまるくした。


「……」

「……」

「……え?」

「……」

「あの、ええと……」

「……」

「ま、まさか……この部屋、ってこと?」


 ドフィの沈黙が、七秒以上。これは、ドフィなりの肯定を意味する。


 私は慌てて首を振った。


「えっ、無理……! あ。じゃなくて。悪いよそんなっ」

「……」

「他にも部屋あるでしょ? ほらっ、こんなに大きなお屋敷なんだしっ」

「……」

「だからっ、そのっ」

「他の部屋はねェ」

「……」


 私はあぜんとした。


 他の部屋はねェ、わけない。だって、こんなに無駄に広いのに。


 そう反論したくても、したところでなんの意味もないことは分かっていた。ドフィが自分の意見を覆すなんて、空から二億分の札束が降ってくるよりも可能性が低い。


 ドフィと生活……。二週間も、同じ部屋で――。


 ドフィに、あまりに生活感がないので、まったく想像がつかない。


 けれど、なんだか。嬉しいような、恐ろしいような、嬉しいような。――いや、やっぱり恐ろしい。


「あ……ええっと……じゃあ」

「……」

「よろしく、お願いします……」


 改めてお礼を言ってから、私はとりあえず自分の荷物を置いた位置まで戻った。そしてさっそく、手持ち無沙汰になる。


 ドフィは相変わらず、本に視線を滑らせている。


 仕方なく私は、二週間分の洋服や化粧品が入ったバッグを開けた。


 本当は、皺にならないように洋服をハンガーに掛けたりとか、化粧品を洗面所に並べたりとかしたかったけど……。


 仕方ない。とりあえず全部、このままバッグに入れたままで――


「使え」


 突然、低い声が室内を走ってきて、私は「えっ」とドフィを見た。


 すると、ドフィの人差し指が、クローゼットの方を指している。


「あ……ありがとう……」


 ドフィの指先が向いているクローゼットへ足を運んで、その扉を開ける。


 高価そうなハンガーが綺麗に並んでいて、私はそれに洋服を掛けていった。


 このハンガー、私の洋服より高いのではないだろうか……。


 そんなことを考えながらすべての洋服をしまい終えると、私はおずおずとドフィに話しかけた。


「あ、あの。お風呂場――あ、バスルーム? っていうのかな。入ってもいい?」

「……」

「あの、いろいろ置きたい物があって……」


 しばらく沈黙してから、ドフィは「好きにしろ」と言った。


 私は礼を言うと、いそいそとバスルームへ向かった。


 扉を開けて中へ入ると、そそくさと扉を閉める。


 肺の奥の奥底から、太く長い息を吐き出した。


 ……もたない。二週間ももたない。何がって、心臓が。


 疲労困憊の状態で、私はバスルームを見渡した。


 テレビで見た、高級ホテルのスイートルームを彷彿とさせる。手すりなどが真っ金金で、やたらと大きな、童話に出てくるような鏡が備え付けられている。この空間だけですでに、私のアパートの部屋を包み込めるくらいに広かった。


「……すごい。パウダールーム、ある」


 あまりに現実味のない光景に呆然としつつも、私はパウダールームの台の上に化粧品を並べようとした。


 すると、そこに所狭しと並んだ、化粧品に目がいく。容器の佇まいで分かるほど高級品で、明らかに女性物。


 一瞬、ドフィの恋人のものだろうかと、心臓がどくりと鳴る。


 けれど、それらはすべて未開封のようで、使用された形跡はない。


 私は首を傾げながら、よくよくバスルームを見渡した。


 すると今度は、大理石で出来た台のような物の上に積み重ねられた、パジャマに目がいく。ざっと見ただけでも、十着以上はある。そしてこれも、おそらく新品。


 近付いていって、一番上の一着を手にする。まるで羽衣のように、手触りが滑らかだ。広げて、自分の体に当ててみる。恐ろしいことに、サイズがジャストフィットだった。


 まさか……まさかと思うけど、ドフィ……


 私のために用意してくれた、とか……。


 ……いやいや、まさか。それはないな。絶対ない。


 かぶりを振って、無理やりそう結論づけると、私はパジャマを元に戻して、バスルームを出た。


 バスルームを出て、ふと、ドフィのいるベッドの上に、目が釘付けになる。


 この前来た時より、枕の数が増えている。しかもご丁寧に、「二人分」といったような感じで、仲良く隣り合わせに並んでいる。


 私は、ごきゅりと唾を飲み込んだ。


 ――違う。違うと思う、けど。


 万が一、本当に〈そう〉だったら――。


 そう思った私は、わざとらしいくらいの大きな声で、ドフィに話しかけた。


「あ、あのっ……ありがとうっ。その……化粧品とパジャマ」

「……」

「まっ、枕も用意してくれたみたいで、その……」

「……」

「あっ、もしかして――ハンガーもあれ、私に?」

「……」

「なんかっ、私の洋服より高そうだねっ。あははっ」

「……」

「……」


 やっぱり違ったか? 思い上がりだったか? 私のためとかじゃなかったか?


 ドフィが、ひどく緩慢な動きで、本のページをめくる。そして、ぼそりと言った。


「女物ってのァ、種類が多くて選ぶのも面倒くせェな」


 私は息を飲んだ。そして、なんとか「そうだね」と反応した。


 買い揃えてくれてた――のみならず。


 えっ。ドフィが選んだの? わざわざ? あの短時間で?


 ……私の、ために。


 口元がだらしなく歪んでいく。うれしさのあまり、胸がふわふわと踊る。


 にやけそうになるのを、奥歯をぎゅっと食いしばって、なんとかこらえることに成功した。


「……眠いのか」

「……へっ」


 見るとドフィは、いつのまにか本を閉じていた。カオは、まっすぐに私の方を見ている。


「えっ、あー……うん。ちょっとね。今日ほらっ、バタバタしちゃって」


 おそらく、にやけるのを我慢しているカオが、欠伸を噛み殺しているようにでも見えたのだろう。


 私はとっさに、そう誤魔化して笑った。


 するとドフィは、ぺらりと掛け布団をめくった。そして、「寝ろ」と、一言だけ口にした。


「えっ。でも」

「飯まで時間がある。――そういや、何が食いてェ」

「えっ? あ、ああっ、ご飯っ? いや、そんなっ。全然、なんでも……」

「……」

「……和食、かな」


 私がそう答えると、ドフィは、枕元にあったアンティークな電話の受話器を手に取った。そして、数秒してから「和食」とだけ言うと、すぐに受話器を元に戻した。


 ドフィが再び本を読み始めたので、私はそろそろとベッドに近付いて、めくられた掛け布団に潜り込んだ。


 お風呂、入ってきてよかった……。


 小さくなって、うずくまる。


 しばらくすると、視覚以外の五感に神経が働き始めた。


 ドフィの息遣いと匂い。本のページをめくる音――。


 耳と鼻腔が心地好くなってきて、まったく眠くなんてなかったのに、まぶたが段々と重くなってくる。


 意識が、夢と現実の狭間をうろちょろし始めた。


 私は、無意識のうちに「ドフィって」と、話しかけた。


「ドフィって……恋人とか……ダメにするタイプだね」

「……あ?」

「散々甘やかして……ダメにするタイプ……」

「……」

「悪い女に引っかかったら……」

「……」

「大変……だ……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……べつに」

「……」

「おまえ以外には、しねェよ」

「……」

「……」


 数時間後。目覚めた私は、なぜかにやけたカオのまま、ヨダレの海で溺れていた。


幼なじみと猛暑と私。


 お昼寝中――。


『若様。新しいエアコン、ご用意出来ました。家主が在宅であれば、明日にでも設置が可能かと』


……二週間後でいい。


[ 1/4 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -