幼なじみと枝垂れ桜と私。-Doflamingo-
「今から来い」
通話時間わずか二秒の間に、本日の私の予定は埋まった。
いっそのこと、もうワンコールでいいのに。どうせ言うこと同じなんだから。
洗濯機の前で私はうなだれた。今日は何して過ごそうかなァ。天気も良いし、布団カバーもシーツも洗って、天日干ししちゃおうかなァ。なんて、浮き足立っていた数分前が、まるで夢のよう。天国から地獄とは、まさにこのことである。
しかし、恨み言を唱えたって仕方がない。来いと言われたら行く。その選択肢しか残されていないのだから。先約がなかっただけ良しと思おう。
顔を洗って、軽く化粧をした。服を選びながら、ふと違和感を覚える。
そういえば、呼び出されてから化粧するとか、初めてかも。そうか。呼び出しがめずらしく、真っ昼間だからだ。
腕を組んで、ううむ、とうなり声をあげる。なんだろう。こんな時間に呼び出しとか。っていうか、お昼に起きてるんだね、あの人。あんまり太陽のイメージない。
「何着て行こう……」
私のうなり声は、またさらに深みを増した。
*
いつもと様子が違う。門近くまで来てから、私はようやくそのことに気が付いた。
いつもなら、門番が愛想のない面構えで待ち構えているはずなのに。今日は人っ子一人いない。
門はまるで、”Welcome”とでもいうように、大きく手を広げている。あの男の家だと思うと、何もかもが罠のように思えた。
警戒しながら中へ進んでいくと、複数人分の笑い声が聞こえてきた。よくよく耳をすませると、それは邸の中からではなく、庭の方からしていた。
恐る恐る、声のする方へ足を運ぶ。懸命に、運ぶ。意識して動かさないと、足が勝手に逃げ出してしまいそうだ。
建物の陰から、そっと庭の様子を窺う。そして私は、今日来たことを激しく後悔した。
庭では、パーティー的なものが催されていた。人数も想像していたより多く、あまりの規模の大きさに、披露宴でも行われているのかと勘違いするくらいだ。
しかし、あの男の取り巻きや客人達の服装はラフで、リラックスしているようだった。パーティーというよりは、ピクニックに近い。いや、規模的にはまったくピクニックになりきれてないけれど。
さて、肝心のあの男はというと、なぜそんなものが庭にあるんだと突っ込まずにはいられない大きなソファで、偉そうに踏ん反り返っていた。その両隣りにも両膝の上にも、美女が鎮座している。
私は一度、建物の陰へ引っ込んだ。頭痛を取り払うように、ゆっくりと左右に頭を振る。どうしよう。よし、帰ろう。
私の心は即決した。幸いなことに、今日の電話で私は声を発していない。すっとぼければバレないはず。
回れ右をして、門へと向かった。だが、嫌な予感はすぐに訪れた。開いていたはずの門は、いつの間にか閉まっていた。
薄々勘づきながらも、念のため門を押したり引いたりしてみた。門は、ビクともしなかった。でしょうね。
頭を深くもたげて、大きなため息をついた。っていうか、私が来たの気付いてたのか。すごいな。本当にすごい。本当に怖い。
来ているのがバレているのなら仕方がない。仕方がないというか、もう一刻も早くあの男の元へ向かうしかない。私は回れ右をした。
建物の陰で大きく深呼吸を繰り返してから、意を決して地を踏んだ。それはもう単身で敵陣に挑む武士のような、決死の覚悟だ。
バーベキューを楽しんでいた人たちが、動きもお喋りも止めて私を見た。……あの男を除いては。
そろそろと近付いて行って、彼の近くにいるマーメイドたちの陰にこそこそと隠れながら、私は言った。
「き、来ました」
「……」
「……」
「……」
「……ド、ドフィ? あの」
すっと、ドフィの浅黒い右手が動いた。人差し指がある方向を指していて、私だけでなく全員の目がそちらへ向いた。
「持ってこい」
指し示された先には、ワインボトルとワイングラスが二個。どうやら本日のご所望品はあちららしい。
ため息をぐっと飲み込んで、私はそれに向かって歩いていった。取り巻きたちは会話や食事を再開していたが、意識はこちらへ向けている。控えめな視線が、いくつか突き刺さってきた。
ワインボトルとワイングラス一個を手に持つと、ドフィの元へ戻った。ドフィはちょうど、美女にお肉をあーんしてもらってるところだった。あーんって。なにあれ。
私の眉が勝手にしかめた。しかしそれを慌てて元に戻すと、私はドフィへ両手を突き出した。
「……どうぞ」
「……」
ドフィは、私の両手を一瞥してから、ふいっと顔を背けた。ふいって。子供か。
あれ? これじゃないの?
「ド、ドフィ? あの」
「おまえの」
「はっ、はい」
「おまえの目は飾りか」
「……はい?」
いえ、違います。とは、突っ込めない空気である。ぴりっと空気が張り詰めて、全員が私の動向を見守る。いや、そんな目で見られても。
「あ、その……ええっと」
「二個あんだろ」
「へ?」
「……」
「あ、ああ。ワイングラス? でも」
「……」
「……」
持てないでしょうが。二個は一気に。
そんな当たり前の言い分の代わりに、ついに小さなため息が出た。ワインボトルとグラスを近くのテーブルに置くと、無言のまま再びワイングラスの位置まで戻る。
取り巻きたちは、触らぬ神に、とでも言わんばかりに、各々の食事と会話に集中し始めた。
ワイングラスをむんずと掴むと、大股でドフィの元へ戻った。しかし、ドフィ本体が近くなると、どうも怖気付いてしまう。結局最後の方は、恐る恐る近寄っていった。
「はい」
「……」
ドフィは、ようやくそれを受け取った。ほっと息をついて、「じゃあ」と言う。身を翻して歩き出したところで、何かが足に引っかかった。
私は派手に転んだ。
「あいっ……たァ」
擦りむいた膝をさすりながら躓いたあたりを見れば、ドフィの長い脚が突き出していた。
引っ掛けたの? えっ、引っ掛けたのっ?
「なっ、なっ、なにすんっ」
「……」
ぱくぱくと金魚のように忙しく口を動かしても、ドフィは微動だにしなかった。サングラスの奥の瞳が冷たそうで、私はすぐに口を噤んだ。
ほんと信じられない。なんなのこの人。
もっと信じられないことに、誰も私を助け起こそうとはしなかった。ここでは、ドフィが絶対なのだ。ドフィは偉い。ドフィのすることは正しい。まるでここは、ドフィの「国」のようだ。
もう帰ろう。絶対帰ろう。帰る。帰ってやる!
心の中だけで叫びながら立ち上がろうとした、その時。
目の前に、大きな手が差し伸べられた。
逆光でカオはよく見えなかったものの、シルエットだけで私にはその正体が分かった。
「あれっ、コラソンくん!」
「……」
コラソンくんは、にっと口元だけで笑った。いや、彼特有のお化粧のせいで、笑っているように見えるだけかもしれないけれど。
この心優しいコラソンくんは、信じられないことにドフィの弟だ。私は唯一、コラソンくんだけは好きだった。
「久しぶりだね。いつ帰って来たの? またどこか行ってたよね? お土産ある? あ、そういえば私、この前ローくんに」
矢継ぎ早に喋りながらコラソンくんの手を取ろうとすれば、突然、体がふわっと、いや、ぐわっと浮いた。
ぎゃあっと、色気も素っ気もない声が出る。視界が一気に高くなって、もしかして空でも飛んだのかと錯覚した。
何が起こったのかと考えるより早く、懐かしいようなくすぐったいような香りが、私の鼻腔をくすぐる。
ドフィはまるで、私をオモチャのように小脇に担いだ。
「ドっ、ドっ、ドフィ……! ちょっ」
「持ってろ」
「へ?」
そう言って手渡されたのは、先ほどのワインボトル。そしてそれを、素直に受け取る私。
ドフィは、小脇に私、片方の手にワイングラスを二個持った。そしてそのまま、ずかずかと邸の方へ移動した。
*
いつものあの部屋の大きな扉を、ドフィは蹴りで開けた。なんていう脚力。しかも今バキッていった。絶対壊れた。今の。
室内は薄暗かった。いつも明るくはないけれど、より一層そう感じた。
するとドフィは、まるでジャケットでも投げるかのように、私をソファへ放り投げた。
「うわあっ」と、情けない声が出る。脳みそがぐわんぐわん揺れて、私は頭を抑えた。
「ちょっ、もうちょっと、そっと降ろしてよっ」
さすがに私は抗議した。ちなみに今のが、担がれてからここへ来るまでの私の第一声だ。運ばれている間は、恐怖で息も出来なかった。
ドフィは、じっと私を見下ろしている。室内が暗いから、余計に怖い。私は息を飲んだ。
ドフィの大きな手が、おもむろに私に向かって飛んでくる。
殺される。
咄嗟にそう思ってしまって、私は強く目を瞑った。
「……おい」
「……」
「おい、離せ」
「……へ?」
じわじわと目を開ければ、ドフィは私の抱えたワインボトルに手をかけていた。
私は慌ててそれを離した。
「あっ、ごっ、ごめん……」
「……」
びっ、びっくりした……!
ドフィは何も言わない。ワインボトルを手に持って、私の隣に腰かけた。
大きな浅黒い手が、ワインの蓋を脱がしていく。その動きが、意外にも滑らかで、繊細で。思わず見惚れてしまった。
「……」
「……」
「……あ、あの」
「……」
「カーテン、開けてもいい? ですか」
やたら暗いと思ったら、カーテンが閉まったままだった。暗いと、余計に胸が騒ぐ。
沈黙が7秒以上。私は立ち上がって、カーテンの方へ向かった。
大きな大きな窓に掛かった、重い重いカーテンを、綱引きのように引いて開いていく。
半分ほど開いたところで、私は外の光景に息を飲んだ。
「わ、あっ……!」
思わず、感嘆の声が漏れる。それほどに、美しい景色だった。
そこには、見たこともないような立派な枝垂れ桜が一本。堂々と咲き誇っていた。
「すごい! キレイ!」
「……」
「えっ、これ桜だよねっ? こんなに大きな桜、初めて見た!」
「……」
「大きな木だなァってずっと思ってたけど、これ桜の木だったんだ!」
「……」
「わあー、ほんと。すごくキレイ……」
ドフィは何も答えないが、そんなことはいつものこと。この絶景にすっかり魅了されて、先ほどまでの不快感はキレイさっぱり忘れてしまった。単純。
「来い」
ドフィがようやく喋った。振り向くと、ワインボトルは丸裸にされていた。
なるほど。今日の本当の目的は、ワインを飲みながらのお花見らしい。
カーテンをすべて開け放ってから、私は言われた通りにソファへ戻った。足取りが浮かれている。ああ、ほんと単純。
ドフィの隣に座ると、ドフィは私にワイングラスを差し出した。それを受け取ると、ドフィはワインボトルをゆっくりと傾けた。
「えっ、あっ、ありがとう……」
「……」
ドフィがワイン注いでる。嘘でしょ。この人が誰かの、ましてや私のために何かをするなんて。
稀少なその姿を、まじまじと見つめる。なんだか、得した気分になった。
私の分が注ぎ終わると、今度は自分のグラスにワインボトルの口を運んだ。
「あ、やるよ。貸して?」
「……」
数秒、自分の持ったワインボトルに目をやってから、ドフィは素直にそれを私に渡した。受け取る時にドフィの手が少し当たって、心臓がひょっ、とした。
「……」
「……」
「あ……赤ワインかと思ったけど、ちょっとピンク色なんだね」
「……」
「キレイだね」
「……」
「あっ、桜と同じ色だね」
注いでいる私の手元を、ドフィが目をそらさず見ている。居たたまれなくなって、私はぺらぺらと口を動かした。人差し指のささくれを見られていないか、そう思うと恥ずかしくなった。
ドフィが、ふっと笑った。
「言うと思った」
「へっ?」
「だから、これにしたんだ」
一瞬なんのことかと思ったが、私の「桜と同じ色」に反応したらしい。
ドフィの、どこか満足げな声色が、くすぐったかった。
二つのグラスにワインが注がれたので、私は「いただきます」と言った。ドフィは、何も言わずにグラスに口つけた。
「……」
「……」
「……お、おいしいね」
「……」
「……」
「……」
「あ、こ、この桜、どうしたの? ドフィが植えたの?」
「……」
「あ、植えたのって、ドフィがやったとかじゃなくて、ドフィが指示したの? っていう」
「……」
聞いているのかいないのか、ドフィは無表情で窓の外を見ている。
私は、話しかけるのを諦めた。
風にさらわれて、花びらが一枚、二枚と散っていく。私とドフィの会話みたい。
いつも疑問だったけど。
なんでいつも、「私と一緒」なんだろう。
マーメイドもたくさんいるし、他にもきっといるし、それに、
黒髪の、キレイな本命っぽい人がいるのも知っている。
なのにどうして、いつも「ただの幼なじみ」を選ぶんだろう。この人。
私と違って、ドフィが私を好きなわけはない。(この前勃たないって言われたし)
……。
えっ? なに、「私と違って」って。
いやいやいやいや! 違う違う! 私だって違うよっ? 違う違う。
そりゃあ、ちょっとはカッコイイと思うし、ドフィの匂いは好きだし、この沈黙も嫌いじゃないけれど。
だからって、いや、そんな、
「好きだろ」
突然のその声に、私の思考は止まった。思わず、勢いよくドフィを見る。
私は手と首を、慌てて横へ振った。
「まっ、まさか! なんでっ? なっ、なんで私がドフィをっ」
「……あ?」
「……へ?」
「……」
「……あ、ああっ! も、もしかして、桜? 桜の話?」
「……他に何がある」
「あ、ああ、なるほど! いやっ、そうだよね! あはははっ」
「?」
眉を顰めて、ドフィは怪訝なカオをした。よかった。ドフィが意外と鈍感で。私はワインを一気飲みした。
そうかそうか。ドフィに桜とか似合わないと思ったら。私が好きだからか。私のためか。なんだなんだ。へえ……
……。
「ド、ドフィ」
「……」
「わ、私のために、桜植えてくれたの……?」
「……」
沈黙が、7秒以上。
「な、なんで……」
「……」
ドフィは、空のワイングラスをテーブルに置いた。そして、サングラスに桜を写しながら、言った。
「別に。ただ……こうすりゃ、おまえが笑うと思って」
幼なじみと枝垂れ桜と私。
……桜の木って、育つのに何十年ってかかるよね?
……。
……。
……30年。
……。
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