幼なじみと23:24 -Doflamingo-
『今から来い』
「待ってドフィ! 無理! 今日は行けない! 今日はほんとにっ」
最初の「待っ」あたりで、すでに電話は切られていた。だけど、もしかしたら届くかもしれない。伝わるかもしれない。一縷の望みを託して訴え続けてみた。届かなかった。
「ど、どうしよう……」
賑やかしい店内。スマホ片手に私は一人立ち尽くした。
トイレの前で蒼ざめたカオをしているもんだから、店員さんが心配そうに声をかけてくる。「大丈夫です」と力なく断って、私は自分の席へ戻った。
「あ、来た来た。早かったわね。だれから?」
「……幼なじみ」
「幼なじみ? アンタ幼なじみなんていたんだ?」
「う、うん。まァね」
あいまいに笑いながら席に着くと、私の隣に座っている男性が「おかえり」と微笑んで迎えてくれた。私はにやつきながら「ただいま」と返した。て、照れる。
知的を絵に描いたようなこの彼は、某大手企業に勤めているエリート商社マン。涼しげな目元にサラッと品の良いメガネをかけたくらいにして、かと思えば意外とお茶目なところもあったり。
出会ってまだ数時間。だけど、恋に落ちるのに、時間なんて関係ないのだ。
なんて。今はそんなことはどうでもよくて。いや、どうでもよくはないけど。
なんせ今は、生きるか死ぬかの瀬戸際である。私は一人、胸の内で葛藤した。
どうしよう。ほんとにどうしよう。心の底から行きたくない。でも、行かなかったところでどうなるんだろう。ドフィの言いつけに背いたことなんて、今まで一度たりともなかったから。行かなかったらどうなるんだろう。殺されるかな。殺されるね。
ああ、もう。ほんと面倒くさ
「どうかした? もしかして具合でも悪いの?」
「えっ、あ、いや、だっ、大丈夫です! あははっ」
「?」
エリート商社マンな彼は、小首をかしげてみせてもステキ。ああ、行きたくない。離れたくない。一分一秒でも、長く一緒にいたい。いたいのに。
ああ、もう!
「そろそろ二軒目に移動しましょー!」
幹事である同僚が手をメガホンの形にして呼びかけた。みんなが席を立ち始めると、私は彼女に耳打ちした。
「ごめん。ちょっとだけ抜けてもいい?」
「抜ける? それはいいけど、どこ行くのよ?」
「ち、ちょっと幼なじみに呼び出されて」
「幼なじみ? なによ、急用? 今行かなきゃいけないの?」
「い、いや、急用ではないけど。多分」
「はァ? じゃあ行く必要ないじゃない」
しかめっ面をして、彼女はもっともな言い分を口にした。私は首を音がなるほど大きく横へ振った。
「そっ、そんなことしたら殺される……!」
「殺される? あははっ、なによそれ。大袈裟ね。アンタの幼なじみ、ヤクザかなんかなワケ?」
「……」
ヤクザだったらどれだけいいか。あの男はそんな品の良い生き物ではない。
「とっ、とにかくっ、すぐ戻るから……! あっ、二軒目決まったら連絡してね!」
「あっ、ちょっと……!」
こうして私は、後ろ髪を綱引きみたいに引かれる思いで合コン会場をあとにした。
*
大層な装飾の門の前にタクシーを乗りつければ、運転手さんの頬がひくついた。
それを見て見ぬフリをして代金を支払うと、返されたお釣りを鷲掴んで車を降りる。
いつかのように、ガタイのいい数人の門番が私を一瞥した。髪を振り乱して鼻息を荒くしてるもんだから、勢いに気圧されたかのように慌てて門を開く。
焦らすように、おごそかに開いていくそのスピードがじれったい。タップダンスのように爪先でリズムを刻みながら、開門を待った。
人一人通れそうな隙間ができると、その間を縫うようにして駆け抜ける。門番たちの不審そうな視線を背中に感じるが、今はそんなことに構っている暇はない。
嫌がらせのように重い表門のドアを押して、「お邪魔します!」と叫んだ。いつもは反応があるかどうか窺うところだが、何度も言う。時間がない。それに、どうせいつも返事なんてない。
無駄に広い廊下を右往左往しながら、ようやくあの部屋に辿り着いた。呼吸を整える間もなく大きくノックをすると、私は扉を開いた。
「こんばんは! 来ました!」
相変わらず室内が薄暗い。肝心のドフィがどこにいるのか、いつも瞬時には見分けられない。どうでもいいけど、この部屋には電気というものはないのか。お金持ちのくせに。
壁一面の大きな窓からは、まるで絵のような満月が顔を出していた。その真ん前に、五人掛けくらいの長いソファが置いてある。
珍しく横になっているようだ。ソファの手すりからは、収まりきらない足首から下がはみ出している。どんな身長してるんだ。図体と態度は昔からデカい。
「あ、あのー……」
「……」
「来ました。けど……」
「……」
すると、背もたれの上部から、浅黒い手が現れた。指先はある方向を指していて、自然とその先を目で追う。そこには、半開きのドアがあった。
「……止めて来い」
「はっ、はいっ?」
「……」
「……」
なんなの。もう。
とりあえず、ドアの方へ向かってみた。近付いて行くにつれて、水が流れているような音が聞こえてくる。ドアの隙間からは白い煙が出ていて、それは湯気のようだった。なるほど。どうやらここは浴室らしい。
念のため「失礼します」と声を掛けた。裸体マーメイドな取り巻きがいたら気まずい。しかし、そんな心配は無用だったようで、中には誰もいなかった。
浴槽からお湯が溢れ出していて、他人事ながらも慌てて蛇口を捻った。水道代がもったいない。まったく、これだからお金持ちは。
「止めて来い」というのがお湯のことだったと解釈して、私は浴室を出た。
ドフィの方を見れば、ドフィはいつの間にやら起き上がって、満月に向き合うように座っていた。
白い月明かりのせいでサングラスが透けて、ドフィの瞳が見えそうになる。
見てはいけないものを見てしまいそうで、私は思わず目をそらした。
「あ、あの」
「……」
「お、お湯。止めたけど」
「……」
「……」
「……あの」
「……」
「ま、まさか……用ってこれだけ?」
「……」
「……」
「……あァ」
「……」
慣れというのは恐ろしいものだ。納得してる自分がいる。しかも「大したことじゃなくて良かった」とか、ちょっと安心しちゃってる。おかしい。怒るべきところだ、これは。
「……じ、じゃあ、帰るね」
床に放ったままだったバッグを拾い上げると、私は出入口の扉の方へ向かった。言ってやりたいことは多々ある。多々あるが、面倒なことになる前に帰りたい。そして何より怖い。
まァ、今日はもういい。早く彼のところに戻りたい。戻らなければ。他の女豹たちに先を越されてしまう。恋愛とは戦いなのだ。
待ってて、ダーリン!
張り切って扉の取っ手を引いた。すると、ガヂッと大きな音を立てて扉が開
かない。えっ、うそっ、あらっ?
押そうが引こうが、まるでびくともしない。「あらっ? おかしいな? 開かないな?」なんて、あほみたいな独り言を繰り返しても、ドフィはなんの反応も示さなかった。
うそでしょ。デジャブ。ま、まさか、これ
「ド、ドフィ? あのー」
「……」
「まだ私に用ある? あるよね?」
「……ねェよ」
「う、うっそだァ。だってこれ」
「……」
「……」
うそでしょ。
私は肩を落とした。どうやらまた、あの不毛なクイズゲームの始まりらしい。
ドフィは、まだ私に何かを望んでいる。望んではいるが、ドフィからその正解が語られることは決してない。正解して、実行して、彼が満足するまで、この部屋から出ることは許されないのだ。
「え、ええっと」
「……」
「な、なんか買ってくる?」
「……いらねェ」
「お、お酒とか、持ってくる?」
「いらねェ」
「……クリスマスプレゼント」
「いらねェっつってんだろ」
「……」
「……」
分からない。分かるはずがない。ドフィの思考なんて。だけど、当てないと帰れない。あの甘ずっぱい空間には戻れないのだ。
なんとしてでも、早くここを出なければ。
「ド、ドフィ、あの」
「……」
「ほ、ほんとに申し訳ないんだけど、き、今日は帰らせてもらえないかな?」
「……」
「じ、実は今日、友だちと合コ……いや、飲み会してて」
「……」
「ちょっと抜けてきただけだから、その、すぐに戻らなきゃいけなくて」
「……」
「だから、その」
「……」
「……」
ダメだ。泣き落としで何とかなる相手なら、とっくにそうしてる。私は絶望した。
最悪だ。最悪のクリスマスだ。ほんの数十分前までは、あんなに幸せを感じてたのに。
瞑ったまぶたの裏で、エリート商社マンな彼が爽やかに手を振って去っていく。
連絡先、交換しておくんだった。このまま二度と会えなかったらどうしよう。せっかく。せっかく、ステキな恋に巡り会えたというのに。
はらはらと涙を流しながら、ドフィを睨み上げた。ドフィは悠長に長い脚を組み替えていた。
いいよ、ドフィは。モテるもんね。なんだかんだ言ったって。カオもカッコイイし身長高いしスタイルいいしお金持ってるし。寄ってくるもんね。放っといても。美女たちが。
私は違うんだよ。ドフィとは違う。掴み取りにいかなきゃ、得られないんだから。
ガラスの靴が届くのを待ってたら、あっという間におばあちゃんになっちゃう。ドフィとは違うんだから。
あとから考えれば、完全にただのやっかみだ。だけど、沸々としたモノがしだいにこみ上げてきて、私は恨み節のごとくドフィに訴えた。
「ドフィ、今日クリスマスだよ?」
「……」
「何もさ、こんな日に意地悪しなくたって、い、いいじゃんか」
「……」
「私だって、クリスマスに一緒に過ごしたい人とか、い、いるんだよ」
「……」
「……」
「……」
「……ああっ、もうっ」
「……」
「何でクリスマスに、よりによってドフィなんかと」
「……」
「……」
あ、まずい。
今のは、言いすぎ。
私は口を噤んだ。怒らせたとか、そんな心配じゃない。
傷付けた。多分。
ただでさえ重苦しい沈黙が、さらに重力を増してのしかかる。耐えきれなくなって、ついに私は頭をもたげた。
どうしよう。なんかフォロー。フォローしなきゃ。どうしよう。どうし
すると、カチッという音が聞こえた。扉の方からだ。振り向いたのと同時に、ドフィがようやく口を開いた。
「……いつまでいるつもりだ」
「えっ?」
「用は済んだと、言ったはずだ」
「え、……あ」
「……」
「ええっと」
「…」
「じ……じゃあ」
結局何も言えないまま、渋々ドフィに背を向けた。
困った。後味悪い。自分で蒔いた種だけど。このままじゃ帰れない。謝った方がいいかな。なんとかうまく言い訳できないかな。
でもきっと、そんなことしたらますます状況がこじれる気がする。ドフィは異常にプライドが高い。
ま、まァ、いいか。
もしかしたら、さほど気にしてないかもしれないし。たかだか、幼なじみの言ったことだしね。
しょせん、ドフィにとって私なんて、ただの暇つぶし……
扉の取っ手を引きながら、ふと左の方へ目を向けた時に、それは目に入った。
隠すように。それでいて、ほんの少し主張するかのように。それは、戸棚の上にぽつんと置かれていた。
取っ手から手が離れた。ちなみに扉はきちんと開いたが、そんなことはもうどうでも良かった。
引き寄せられるように近付いて行くにつれ、甘ったるい匂いが鼻をつく。戸棚の真ん前まで来ると、私はそれを見下ろした。
苺のショートケーキと、チーズケーキ。微妙な距離で、仲良く一緒に並んでいた。
そうか。解けた。今日の正解。なんだ。
ケーキ食べたかったのか。私と一緒に。
そうか。クリスマスだもんね。
そうか。なんだ。……そうか。
肩の力が抜けて、口元が勝手にゆるんでいく。
なにこれ。ケーキって。甘いもの嫌いなくせに。クリスマスではしゃぐガラでもないくせに。なに”MerryChristmas”とかプレート乗せてもらっちゃってんの。似合わないよ。
こんな健気なことするとか。ほんと。
……面倒くさいんだからさ。
「……」
「……」
「あ、あっ、ケーキだ! こんなところにケーキがある!」
「……」
「しかも、私の大好きなショートケーキ!」
「……」
「いいなァ。食べたいなァ」
「……」
「ね、ねェ、ドフィ。これ、誰かにあげるの?」
「……べつに」
「ほんと? じゃあ……食べてもいい?」
「……」
「……」
沈黙が7秒以上。ドフィなりの了承の意だ。ケーキを乗せたトレーごと持ち上げると、私はそのままドフィのいるソファへ向かった。
「あ、お邪魔します」
「……」
「あの、い、一緒に食べない? 二つあるし」
「……」
「はい。ドフィの分」
「……」
チーズケーキの方を差し出せば、ドフィは素直にそれを受け取る。私はドフィの隣に座った。
「いっただきまーす」
「……」
「……」
「……」
「あっ、おいしい」
「……」
「やっぱりクリスマスは、ショートケーキだよね」
「……」
「……チーズケーキ、おいしい?」
「……」
「一口ください」
「……」
「えっ、くれるの? ありがとう」
「……」
「あっ、これもおいしい」
「……」
「ドフィも一口いる?」
「……」
そう尋ねれば、ドフィはフォークを持った手をショートケーキに伸ばしてきた。あ、いるんだ。意外。
ショートケーキを口に含んだドフィは、サングラスの奥で目をしかめた。
「……甘ェ」
「生クリームだからね」
「……」
「……」
「……終わるな」
「へ?」
「……」
「あ、ああ……今年?」
「……あァ」
「そうだね」
「……」
「終わるね」
「……」
「何もなかったなァ」
「……」
ドフィとケーキを食べながら、しみじみと今年を振り返る。何もなかった。ほんとに。エリート商社マンも多分もうダメだし。なんかすでにどうでもいいけど。
「あっ、雪」
窓の外で、雪がちらついてきた。ホワイトクリスマスだ。なんてロマンチック。一緒にいるのドフィだけど。
「わー、やったァ」
「……」
「明日積もるかな? 積もるよね?」
「……」
「雪だるまとか作れ」
「フフッ」
思わぬ笑い声に、まさかと信じられなくて、ドフィを見た。ドフィはやっぱり笑っていた。
息が止まった。笑ったカオとか、久しぶり。
「ガキ」
「……」
「……」
「う、うるさいな。い、いいでしょ。べつに」
「……」
「……」
あーあ。
今年も、ドフィに振り回されて終わったな。
そんなことを思ったら、なんだか笑けてきた。ドフィが訝しげに私を見たので、「なんでもない」と言ってまた笑った。
「……ドフィ」
「あ?」
「来年も、よろしくね」
「……」
「……」
「……まだ早ェだろ」
「へへっ」
こりゃ、来年も骨が折れそうだ。
そんなことを考えながら、今年のクリスマスは幼なじみの隣で終わった。
幼なじみと23:24
あ、終電なくなった。ドフィ、泊めて。
……
(7秒以上。よし、タクシー代浮いた。)[ 3/3 ][*prev] [next#]
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