おまけ・同居人と夜長と私。-Ace-
*このお話の一話目は、拍手小話に掲載しています。
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「さっむ……」
寒さを感じて目が覚めた。自分の身体を見れば、掛けていたはずの毛布が足元でまるまっている。どうやら、眠っているうちに剥いだらしい。
眠る時は寒かったように記憶しているけど、おそらく夜中のうちに暑くなったのだろう。最近、暑いんだか寒いんだかよく分からない。
時計を見た。午前4時。少し前までは、この時刻には日が射し始めていたというのに。季節が巡るのは早いものだ。
「お水。と、トイレ……」
寝ぼけ眼のまま呟いて、私はリビングという名の共同スペースへ向かった。同居人はきっと、今頃夢の中で海老ピラフでも食べているだろう。
幸せそうに食べる好きな人を思い出して、脳がほんの少し冴えた。
トイレを済ませると、食器棚からコップを取り出してシンクへ向かう。蛇口をひねろうとカオを少し上げたところで、それは目に入った。
「ぎゃっ!」
思わず叫び出してしまいそうなところを、すんでのところで口を塞いだ。時刻が時刻だ。ご近所様からクレームが来る。
リビングの、大きな窓のところ。同居人がフローリングにあぐらをかいて空を見上げていた。くせっ毛が星空に浮かんで芸術的だ。
うろちょろしていた私の存在には気付いているはずなのに、こちらを振り向かない。眠っているのだろうか。
「エ、エース、くん?」
声をかければ、エースくんはようやく振り向いた。高めの鼻筋が、月明かりで浮き彫りになる。いつも勝気な黒目が、くりっと動いて私を見た。
「おう。おはよう。……いや、まだこんばんはでいいのか?」
「な、何してるの? こんな夜中に」
「夜中? もう朝だろ?」
「ま、まァ、そうなんだけど」
「でも、たしかに。暗いから、夜だよなァ」
「……」
月の方へ身体ごと戻して、エースくんは言った。弱い雨みたいに、ぽつ、ぽつと。心なしか、肩がいつもよりなでている。Tシャツ越しに、哀愁が漂っていた。
ど、どうしよう。なんか変。
エースくんは底抜けに明るい。だいたいいつも笑っている。笑うカオがヒマワリみたいだなって、いつも思ってた。
だけど、時折こういう時がある。殻に閉じこもる、って言うと大げさな気もするけど。とにかく、ゲッカビジンのように翳りを見せる時があるのだ。ゲッカビジンってあんまり見たことないけど。
「あ、あの」
「……」
「じゃあ……おやすみね」
「……」
構いたいところだけど、放っておいた方が良い気がする。男の子だし。男の子ってむずかしいな。特に、エースくんみたいな子は。どうしてほしいとか、あんまり言わないから。
エースくんのプリンを横取りしちゃった時みたいに、もっと感情をあらわにしてくれるといいんだけど。ほんと、エースくんが素直になる時って、食べものがらみの時だけ、
心の中でブツクサ言っていたら、突き刺さるものを感じた。それに引き止められて、私はそおっと振り向いた。
エースくんが、私を見ていた。
「なっ、なにっ?」
「……」
「エ、エースくん?」
「……」
「……あの」
「……」
「……」
ああ、分からない。まったく分からない。何を訴えているんだ、あのジト目は。
ううん、だけど、多分、
「……となり、いい?」
「……」
了承の意なのか、エースくんは少し横へずれた。私は胸をなでおろして、そのとなりに座った。
「……」
「……」
「夜が長いね」
「夜が長い? 夜はいっつもおんなじ長さだろ?」
「え、ほら、だって、最近暗くなるの早いし、明るくなるのも遅いでしょ?」
「だから、”夜が長い”のか?」
「うん。そういうのを、秋の夜長っていうんだよ」
「へェ」
そりゃあ、知らなかった。とエースくんは言った。そっか、知らなかったか。と私は言った。
ほわっ、と滲んでいる月を、エースくんはずっと見ている。白い光が黒目を照らして、ビー玉みたいに見えた。キレイだ。
「こういう夜って、なんか怖くなる」
エースくんが言った。見惚れていたのと、言葉の真意がイマイチよく分からなくて、思わず呆けてしまった。
「こ、怖い? 何が?」
「何が、っていうわけじゃねェんだけど」
「……うん」
「この、キレイなカンジ」
「キレイな感じ?」
聞けば聞くほど分からなくて、私はハテナを頭の回りに並べた。エースくんは空を指した。
「月も、星も、空も、空気も」
「……」
「なんか、キレイだろ?」
「そ、それがどうして怖いの?」
「……なんか」
「……なんか?」
ビー玉が濁る。長いまつ毛が、少し下を向いた。
「自分のコト、ごまかせなさそうで。」
「……」
「……」
「あ、え、ええっと」
「……」
「エースくん、何かごまかしてるようなこと、あるの?」
「……あるような」
「……」
「……ないような」
「……」
どうしよう。サッパリ分からない。哲学的すぎて着いていけない。
なんて答えたらいいんだろう。何をしてあげたらいいんだろう。
え、これホントにエースくん?
「なんか」
「はっ、はいっ?」
「……ギュッてしたい。」
「……はい?」
「……」
「な、なに……何を?」
「ううん、なんか、こう」
それを表現しようとしているのか、エースくんは両手を動かして、まる、まる、と描いた。
「ふわっとして、まるっこくて、柔っこいヤツ」
「……ど、動物的な?」
「いや、ヒトがいい」
「ヒト……」
「男じゃなくて、女」
「……」
つまり、あれか。
なんかちょっと、寂しいのかな。
それならちょっと、分かる気がする。おそらく、この季節のせいだろう。
「で、でも、エースくんならそういう女の子、たくさんいるんじゃない?」
言いながら唇が尖っていってることに気が付いて、慌てて元に戻す。エースくんは、首を横に振った。
「そういうんじゃなくて」
「え?」
「そういう、遊びの女とかじゃ、なくて」
「じ、じゃあ、どういう……」
「……」
「……」
「……」
「エ、エースくん?」
呼びかければ、エースくんは押し黙ったまま、ゆっくりとこちらにカオを向けた。ビー玉の中に、私。あまりにも美しくて、その中に私なんかが存在していることが申し訳なくなった。
「悪ィ、ちょっと、いい?」
「え、……!」
刺青の入った方の手が、私に向かって伸びてくる。そのまま大きな手の平が、私の首根っこを引き寄せた。されるがまま、私はエースくんの首筋あたりにカオを埋めた。
唐突すぎて、流れが滑らかすぎて、何も言えなかったし、できなかった。鈍すぎる私の鼓動が、今更ドコドコと慌てだした。
「あああっ、あのっ」
「……」
「エエエっ、エースくんっ」
「……」
「大丈夫っ? 具合悪いっ? どうしたっ? どうかしたっ?」
「ちょっと、うるさい。黙って」
「はい」
たしなめられて、私はむぐっと口を真一文字に結んだ。
カチコチ、カチコチ。秒針が歩く音と、リンリン鳴く鈴虫の声だけが耳に届く。
ドコドコ、トコトコ、トク、トク。
不思議と、私の鼓動も大人しくなってきた。
変なの。こんな状況、緊張しかしないはずなのに。なんか、落ち着く。
「……おれさ」
「う、うん」
「なんとなく、分かってるんだ」
「……何を?」
「ちゃんと考えたら、大切なことに気付くって」
「た、大切なこと?」
「だけど、それに気付いたら」
「う、うん」
「自分が、自分じゃなくなりそうで」
「……うん」
「なんか、ちょっと、怖ェし」
「……」
「正直、まだ、遊び足りねェし」
「……」
「すげェ、わがままだって、分かってるけど」
「……」
「だけど」
ぎゅっ、と大きな手のひらに力がこもる。エースくんの息遣いが耳元に近くなった。
「もう少し……待っててくんねェかな?」
「……」
待つって、
……何を?
とは、なんだかとても聞ける雰囲気ではないので、とりあえず私は小さく「うん」と答えた。
「……」
「……」
「おれ……なんか」
「う、うん」
「……寝る」
「は、はいっ? ……えっ、エースくんっ? あのっ」
困惑している私を置き去りにエースくんは、すくっと立ち上がると、私を横切って早足で去っていく。
「あっ、あのっ……うん、あの、お……おやすみ……」
しどろもどろにそう答えれば、エースくんはドアノブに手をかけたまま動きをぴたっと止めた。そして、くるっと振り向いて一言。
「……カンタンに触らせてんじゃねェよ、バーカ!」
「は……はァっ? バ、バカってちょっとっ」
私に反論される前に、エースくんはそそくさとドアを閉めた。暗やみの中でも隠しきれないくらいに、エースくんの耳は真っ赤っかだった。
「な、なんなの……いったい……」
やっぱり、男の子ってむずかしい。
そんなことを思いながら、私はカーテンを閉めた。
同居人と夜長と私。
なァ、サッチ。抱きしめると胸の奥がきゅうってなるのはなんでだ?
……おまえは一体おれをどうしたいの?[ 4/4 ][*prev] [next#]
[mokuji]
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