幼なじみと添い寝の夜 -Doflamingo-
『今から来い』
「…は
い?」はおそらく、あっちの耳には届かなかっただろう。受話器からのブツッという音とうまく重なって、言った本人ですら聞き取れなかった。
あぜんとしたまま、スマホに表示されている時刻を見た。午前1時。ウソでしょ。今からって。もうパジャマだし。なんならベッドに片足突っこんでるし。
ねぼけてたって言って忘れたフリはできないだろうか。なんとか行かずに済む方法はないだろうか。いや、ない。
すぐにその答えに辿り着いて、眠い目をこすりながら私は着替え始めた。
タクシーを呼んで、車で20分。見えてきた趣味の悪い装飾の門に、自ずと溜め息が出る。そこでタクシーを停めて、少し歩いた。さすがにあの真ん前までタクシーを乗り付ける気にはなれない。
門の前まで来ると、ガタイのいい数人の門番が私を一瞥する。そして、大げさな大きさの門が開かれた。音がうるさい。近所迷惑だ。
うちの1ヶ月分くらいの水が流れている噴水を突っ切って、玄関へ向かう。奥のプールでは、美女が数人裸体で語り合っていた。マーメイドみたいだ。
あの男のどこが良いのだろう。まったくわからない。幼なじみって関係だけでも”重い”のに、そのうえ恋とか。ないわ。ない。
ようやく玄関に辿り着いて、「おじゃまします」と形だけ挨拶をして中へ入る。外の賑やかさとは相対して、異常にしんとしていた。薄気味悪い。
冷たい大理石の床を歩いて行くと、一際大きなドアが見えてきた。あの男がいるのは、この向こう側だ。帰りたい。怖い。
ノックをするポーズをとって、しばらく放心。のちに、小さくノックした。
「こ……こんばんは。来ました」
数秒の沈黙の後、ひっくい声が「入れ」と言った。気がした。低くて小さいから聞き取りにくい。私はおそるおそるドアノブを押した。
中を窺うと、真っ暗だった。やたらおっきな窓から、月がこんばんはしてる。あいかわらず、ソファとベッドと小さなテーブルだけの殺風景な室内。生活感なんてまるでない。
どうやら、ソファに座ってるようだ。これまた趣味の悪いソファの背もたれから、ブロンドがニョキッと生えている。月明かりに透けて、まるで糸のようだった。
「……き、来たけど」
「……そこに、ティーポットとカップがあんだろ」
「え?」
見回せば、それはすぐに見つかった。ホテルで見るようなワゴンの上に、両方とも乗っていた。
「あ、うん」
「持ってこい」
「……」
言われるがまま、私はティーポットに入った何かをカップに注いだ。暗くてよく見えないが、香りからしてホットミルクのようだ。ホットミルクって。似合わなすぎ。
カップを持って、ソファへ向かう。怖い。どうして幼なじみにこんな緊迫感を覚えなければいけないのだ。幼なじみってフツーもっと爽やかな存在じゃないのか。
ソファの前へ回り込めば、数ヶ月振りのそのカオをようやく拝むことができた。あいかわらず、虫が怒ってるみたいなサングラスが気持ち悪い。
「はい、ドフィ」
「……」
ドフィは何も答えずにそれを受け取った。こっちを見ようともしない。月に向き合うように座って、ホットミルクをすすった。やっぱり似合わない。
「……」
「……」
「あ、あの」
「……なんだ」
「よ、用って何?」
「あ?」
「だって、い、今から来いって」
「……もう済んだ」
「……は?」
心当たりがなくてそう素っ頓狂な声を出せば、ドフィはカップをくいっと持ち上げた。ま、まさか。
「も、もしかして……それ淹れさせるためだけに呼んだの?」
「あァ」
「……」
口があんぐりと呆ける。信じられない。たかだかホットミルクを淹れるためだけに呼び出すなんて。しかも夜中に。
片道20分かかってるんだけど。タクシー代2,860円かかってるんだけど。なに涼しいカオしてホットミルクのんでるの。似合ってないから。カッコつけてるけど全然似合ってないからね。ついでに言わせてもらえばその柄がうるさいパジャマもキモい。どこで売ってんの。ああ、ほんとイヤ。この男が幼なじみとか、ほんと。
心の中でだけそっと罵倒してから、私は「じゃあ。帰る」と言った。臆病者だと自分でも蔑みたくなるけど、文句を言おうものならリアルに殺される。せめてもの悪あがきに、ちょっと怒ってますオーラをそこはかとなく放って立ち去った。もちろん、ドフィにダメージはない。
入ってきたドアから退室しようと、ドアノブを引く。……ん?
「あっ、あれ? あれっ?」
ガチッ、ガチッと大きな音がするだけで、ドアが開かない。ああ、引くんじゃなくて押すんだっけかとか思って押してみたけど、まったくビクともしなかった。
「ド、ドフィ? ドアがなんか、あか、開かないんですけど」
「……」
聞こえてないはずないのに、ドフィは何かを言おうとするどころか、こちらを見ようともしない。ああ、そうか。これはドフィの仕業か。
そうなると、非常に面倒なことになった。私はドフィの望みを叶えきれていないらしい。ドフィは私に、まだ何かを望んでいるのだ。
だけど、それがなんなのかはドフィの口からはぜったいに語られない。絶対に。つまり、こちらが悟って、それを実行しなければならないのだ。
「……も、もう一杯、要る?」
「いらねェ」
「……なんか話したいことでもある?」
「ねェよ」
「……子守唄でも唄う?」
「死ね」
ダメだ。わからない。しかも睡魔が遠慮もなく襲ってくるもんだから、余計に頭が働かない。立っていられなくて、私は床にしゃがみ込んだ。
すると、ついにドフィが動いた。ソファから立ち上がると、キングサイズを二台並べたみたいなベッドに入る。ふっかふかの大きな枕に寄っかかると、そのまま目を瞑った。多分。いかんせん、サングラスかけてるからよくわからない。
眠る時、ドフィはなぜか横たわらない。寄りかかるようにして眠る。昔からそうだ。相変わらずらしい。
ええ、ウソでしょ。私だって眠いのに。人を呼びつけた上に監禁して、そのまま放置なんて。訴えたらぜったい勝てる。よし、訴えよう。
睡魔が歩き回った頭でそんなことを考えながら、私は目を瞑った。ああ、このまま一生出してもらえなかったらどうしよう。会社辞めなきゃ。結婚もできないな。どっちも責任取ってくれるのか。いやいや、ドフィと結婚とか無理。苦労しかしなさそ、
「おい」
「……」
「……」
「はっ、はいっ! はいっ?」
「……」
「あれっ、空耳」
「おまえは」
「あ、はい」
「寝る時に、床に座って寝るのか」
「……はい?」
まるでナゾかけみたいな台詞。しかし、あきれてはいけない。受け流してはいけない。これはドフィからの、貴重な”ヒント”なのだ。
「え、ええっと、じゃあ……」
「……」
「……」
「……」
「と……となり、いいかな」
「……」
「……」
「……」
沈黙が7秒以上。私は胸をなでおろした。どうやら正しかったらしい。なんだ。ようするに添い寝か。添い寝してほしかったのか。それならそうと、素直に言えばいいのに。なんて回りくどい男だ。ドフィからカリスマ性取ったら多分面倒くささしか残らない。
仕方ない。私も眠いことだし、今日のところは……
寝るの? ドフィと一緒に? ええっ? なんでっ?
「……あ、あのー」
「……」
「い、一応聞いておきたいんだけど」
「……なんだ」
「ヘ、ヘンなコトとか、し、しないよね」
「……てめェごときで勃つほど、粗末なモン持ってねェよ」
「な、なら良かった」
「……」
「じゃあ、その……おじゃまします」
テロッテロの高価そうな掛け布団を捲って、おずおずとベッドに入った。ベッドが無駄に広くて良かった。私は極力端っこに寄った。
さっむ。布団うっす。掛けてる気しない。ただでさえこんな寒々しい所に、寒々しい人と一緒なのに。
「……」
「……」
「……長ェな」
「……」
「……」
「……へ?」
「……」
「……」
「……夜」
「あ、あァ」
「……」
「秋、だしね」
「……」
「……」
「……」
「ね……眠れてないの?」
「……」
「……」
「……あァ」
「そ……そっか」
「……」
「……」
私とドフィの会話なんて、いつもこんなもんだ。中身があるようでない。シャボン玉みたいに、生まれて弾けて。生まれて弾けて。何も残らない。何も。
くちんっ、と、くしゃみが出た。やっぱり寒い。自分のベッドに帰りたい。なんかほんと、何やってるんだろう、私は。
すると、ベッドがわずかに軋んだ。シャラシャラと、上等な布同士が擦れる音が聞こえてきて、私は思わず目を開けた。
ぬっ、と黒い大きな手が私に向かって伸びてきていて、思わずひっ、と声をあげた。
「ちょっ、ちょっと……! なにっ」
「うるせェ。何時だと思ってる」
「だっ、だって、なにっ、何もしないってっ」
「わめくな。このまま首絞めるぞ」
「……!」
この男ならやりかねないので、私はむぐっと口を噤んだ。ドフィはというと、私の胸ぐらを掴んでそのままベッドの中央へと引きずっていく。
ふかふか枕の上に頭が乗った。状況を整理すると、つまり、私はドフィのすぐ隣に配置された。パジャマのあの柄が、目にうるさい。
ドフィの匂いが、いっきに近くなった。あと声も。
ドフィの存在なんて何ひとつ安心できる要素がないんだけど、その匂いと声はいつも私を安心させる。小さい頃から。そういえば、小さい頃もよく一緒に眠ったな。
ああ、そうだ。
この感じ、好きだった。
匂いが足りなくて、私はドフィのパジャマの裾を引っ張った。それをそのまま鼻っ柱にすりつける。いっきに吸い込めば、ドフィの匂いが脳まで回った。全身麻酔みたい。したことないけど。
「……」
「……」
「変態か、おまえ」
「う、ん……」
「……」
「……」
「……おい」
「……」
「おれより先に寝るんじゃねェ」
「……」
「……」
ああ、なんでやめるの。もっと話しててほしいのに。ドフィの声、今度録音させてもらおう。匂いも、ジップロックに詰めて持って帰ろう。
ああ、ねっむ。
「……ドフィ」
「……」
「……」
「……なんだ」
「……」
「……」
「……おやすみ」
「……」
「……」
「……あァ」
しばらくすると、ドフィの深い寝息が聞こえてきた。それがとどめになって、二人して秋の夜の中におっこちてった。
幼なじみと添い寝の夜
Please do not disturb.(起こさないでください)[ 1/4 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]