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「…聞いてないよ。」
「…言ってねェからな。」
「…………………。」
「…………………。」
恨めしげにローを睨み上げれば、その倍以上の眼力で睨み下ろされた。即座に「すみません。」と詫びた。
「キャプテーン!取れましたよー!チケット!」
手に持ったチケットを旗のように振って、シャチくんが走ってくる。ローはそれを受け取ると、搭乗時刻の欄を見た。
「あと15分か。結構あるな。」
時計を見上げる涼しげな横顔を、やっぱり恨めしげにみつめる。カッコイイ、…じゃなくて。聞いてないよ、ほんとに。
てっきり帰国が早まったんだと思っていたら、話を聞けばどうやら「一時」帰国だったらしい。手術は成功しても、患者さんはまだまだ予断を許さない。もうしばらく、ローはフランスにいなければならないということだ。
「…あ、」
「あ?」
「あ、いや、あの、」
「なんだよ。」
「だ、だから、その、い、…いつ頃帰って来られるのかなァって思って。」
「…………………。」
「なっ、なにっ?」
ローが歪んだように笑うもんだから、嫌な予感がしながらもそう聞いてみた。ローの手が私の肩に回されて、思わず身が固まる。
「なんだよ。寂しいのか?」
「えっ、ちっ、ちがうよっ?私はただっ、」
「…………………。」
「え、あ、」
そうか、もういいのか。
「さ、」
「さ?」
「…寂しい、かな。」
「…へェ。」
「…………………。」
「…………………。」
「やっ、やっぱり今のなしっ、」
「半年。いっても1年か。」
「い、1年。そ、そっか。」
「…………………。」
「ま、まァ、大したことないね。2年の半分だし。半年なら2年の半分の半分だし。」
「…………………。」
「す、すぐだね。」
「…なるべく、」
「え?」
「なるべく、早く帰る。」
ぼそっと、私の頭をぐちゃっとなでながらローは言った。カオを上げれば、すでにローはシャチくんたちの方へと歩き出していた。
もしかして、
照れてる、とか。
いやいや、まさか。まさかね。あのローが照れるとか。いやそんなまさか、
「よかったな。」
その声に左斜め上を見上げれば、いつのまにかペンギンさんが立っていた。なんのことかと尋ねようと口を動かしかけたが、なんのことかすぐに分かったのでやめた。
「や、やっぱりペンギンさんにはバレてましたか。」
「バレバレだ。むしろ、どうしてアイツらが気が付かないのかが分からない。」
ローに群がっている仲間たちの方を見た。2年前同様、ローを取り囲むようにして大の大人たちが泣いている。ローのうんざり顔も2年前とおんなじだ。
「2年前も見てたのか。あの光景を。」
「はい。遠くから。近くで見ると、その、…結構すごいですね。」
「あァ。引くよな。」
「あ、はは…」
「泣かされても、おれには言うなよ。」
「え?」
ペンギンさんのカオを見れば、ペンギンさんは笑っていた。どこか、いつもよりおだやかだった。
「キャプテンに泣かされても、おれには頼ってくれるなよ。」
「ペ、ペンギンさん…」
「泣かされたら、本人に言え。それが最善だ。」
「ははっ、」
「?なんだ。」
「いや、フツーそう言う時って、泣かされたらおれに言えよって言うところかなって。ほら、マンガとかドラマとかだと。」
「…たしかに、まァ、そうだな。」
ペンギンさんは、数秒ローを見つめてから、私を見なおして言った。
「キャプテン以外の男なら、そう言ってる。」
誇らしげに、ペンギンさんは笑った。
それがなんだかうれしくて、私もつられるようにして笑った。
「なにコソコソ話してやがる。」
いつのまにか、ローが私たちの目の前に立っていた。そのしかめっ面を見て、ペンギンさんはあきれたようにため息をついた。
「いい加減、おれに敵意を向けるのは止めて頂けませんか。言いつけだって、きちんとこなしているつもりですが。」
「い、言いつけ?」
「甘いな。半年前くらいから報告書に手抜いてるだろ。」
「ほ、報告書?報告書ってなんの、」
「仕方ないじゃないですか。ほんとにあれだけなんです。つまらないモンですよ。***の日常なんて。」
「ちょ、ちょっと待ってくださいペンギンさん。私の日常ってなんですか。ほ、報告書ってまさかっ、」
「コイツの日常がつまらないことはわかってる。おれが言ってんのはおまえの監察力が甘くなってるってことだ。ザツなモン作りやがって。」
「ね、ねェロー、監察ってまさか、私監視されてたんじゃないよね?ちがうよね?まさか2年間もそんなことっ、」
「はァ、わかりました。もっと事細かな情報が得られるよう、人数を増やします。」
「なっ、なんの人数ですかっ?ペンギンさんっ、まさか私を2年間もっ、」
「あァ、おまえには期待してる。」
「恐れいります。」
「えっ、ちょっとまって二人ともっ、それ軽く犯罪っ、」
そんなことを話していると、フランス行きの搭乗時刻を案内するアナウンスが流れた。ローはシャチくんに預けていたバッグを受け取った。
「じゃあ、行く。」
「あっ、そうだキャプテン!ダリアにもよろしく伝えておいてくださいよっ!帰ってきたらお祝いしようぜって!」
「あァ、伝えておく。」
「でも、帰ってくるんですか?あっちの男と婚約したのに。」
「さァな。来るんじゃねェか。」
「ダリアもついに人妻かァ。」
「くそう!相手の男がうらやましすぎるぜっ!」
「それにしても、寂しいじゃねェかァ!キャプテン!」
「あァ!そうだぜ!やっと会えたと思ったら、たったこんな数時間なんて…!なァっ?」
「うおおおおおっ!キャプテーン!」
男同士の熱い友情(ローは冷めてるけど)に割って入ることもできず、ただただその広い背中を見つめていた。
寂しくない。
って言ったら、うそになる。けど。
2年前とは、状況もちがうし。
大丈夫。ちゃんと、笑ってお別れできる。
大丈夫、大丈夫。
すると、ローがこちらへ振り向いた。目が合うと、口元に弧が描かれる。私もそれに応えるようにして、少し笑った。いけない。ちょっと曖昧だったかな。
長い列をなしながら、ローはみんなと共に搭乗口へ向かう。いよいよお別れの時が目の前に迫って、表情筋をフル活動して頬っぺたを引き上げた。
「じゃあな。ペンギン、あとは頼む。」
「はい!行ってらっしゃい、キャプテン。」
「うおおおおおっ!キャプテーン!」
「気をつけて行ってきやがれこのやろー!」
泣き叫ぶ皆に紛れて、ローに向けて小さく手を振った。ローは私を見ずに、搭乗口をくぐろうとしている。
「お別れのチュー、しなくていいのか?」
シャチくんが、からかうようなカオで私に耳打ちした。
「なっ、すっ、するわけないでしょっ!こんっ、こんな人前でまさかっ、」
「あははっ、だよなァ!ダリアならまだしも、おまえじゃ絵にならねェよ!」
「わ、悪かったね。」
シャチくんのおかげで、気付いたらいつものように笑っていた。
大丈夫だよ、ロー。
私ももっと、みんなを守れるように強くなるから。ローみたいに、強くなるから。
だから、安心してね。
ローを信じて、みんな待ってるよ。
「あ。」
そんな突拍子もない声をあげて、ローが搭乗口一歩手前で立ち止まった。くるりとこちらへ向くと、スタスタと戻ってくる。
「な、なんだ?なんか忘れモンかな?」
みんながあっけに取られてその動向を見守っている。もちろん、私も例にもれず。ローは何も言わず、よそ見もせずに、まっすぐこっちへ向かってくる。え、えっ?
「もしかして、ほんとにお別れのチューかっ?」
「まっ、まさかっ!そんなわけないでしょっ、」
シャチくんが悪ノリしたように私を肘で小突いてきたので、慌てて大きく首を振った。
だけど、ローは私の目の前でピタリと足を止めて、私をいつものとおり見下ろした。
「どっ、どうかしたっ?なにかっ、」
「忘れてた。」
「へっ?」
私がオドロキの声をあげるより早く、ローは私の首根っこを引っつかんで力強く引き寄せた。
とっさに目を瞑れば、左の首筋にローのカオが埋まって柔らかなものが押し付けられる。思わず叫び声をあげた。
「いっ、…だー!ちょっ、ロー!いだいいだい…!肉っ、肉ちぎれるっ!」
やがていたみが止むと、ローは満足そうに自分の唇を舌で舐めながらいやらしく笑って言った。
「首輪、ちゃァんと付けとかねェとな。」
「なっ、なっ、なにっ、なにしてっ、」
「黙れ犬。いいか。血まよって他の男にでもなびいてみろ。地獄の果てまで追いかけて、手足もいで息の根とめてホルマリン漬けで飼ってやるからな。」
「ひっ、こっ、怖っ、」
「ガハハハッ!キャプテンらしいな!」
「あァ!やっぱりキャプテンと***はこうじゃなきゃあ!」
「よォし!今日は宴だな!***の人生がお先真っ暗になった祝いだ!」
「ギャハハハハッ!そりゃいいや!」
ガタガタと怯える私を、みんなが手を叩きながら爆笑して称賛する。ひどい。前言撤回。みんなを守るとかもうやめる。
「…行ってくる。」
不敵に笑って、ローはついに去っていった。今度は、一度も振り向かなかった。
「…あーあ。」
「…行っちまったな。」
「…うん。」
「…よ、よォし!これから呑みに行こうぜ!」
「何言ってる、シャチ。まだ昼だぞ。」
「かってェこと言うなよペンギン!ほらほらっ!」
「あーあ、早くキャプテンと一杯やりてェな!」
「言うな。あと1年のガマンだ。」
「キャプテンが帰ってきたらよ!また吐くまで呑み比べやろうぜ!」
「おまえは初っぱなから吐くだろ。」
「うるせー!」
「おいシャチ!いつもの店大丈夫なんだろうな?」
「おうっ、任せとけ!あっ、おい***!ロビンも誘おうぜ!…***?」
ローの背中が見えなくなった搭乗口を、いつまでも見ていた。首筋を指でなぞると、じくりとした温もりを感じて、胸が苦しくなった。
「いったいなァ、もう…」
大きな窓から空を見上げれば、二羽のスズメが並んで雲の中へ消えた。[ 55/70 ][*prev] [next#]
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