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「あっ、ごめんなさいっ!」


すれちがった拍子に、肩が思いきりぶつかってしまった。振り向いてそう詫びながらも、小走りしていた足は止められなかった。


聞いていたのかいないのか、スーツを着た会社員らしき男性は、さして気にも留めずに私の来た道を歩いていく。


会社帰りのOLさんや、これから宴会にでも向かうのだろう大学生たちの間をするするとすり抜けながら、私は夜の街を走っていた。


まずいまずいまずい!間に合わない!


街の中心に置かれた大きな時計台を見上げながら、私はスピードを上げた。


時計台の下では、一組のカップルが待ち合わせの成功を果たしている。


本当なら、自分も今頃ああなっているはずだった。はずだったのに…


まさか、残業になるなんて…


自分の能力のなさを恨んでいる暇はない。今はただ目的地になるべく早く到着することが先決だ。


なおさら、待ち合わせの相手は時間どおりに到着しているはずなのだから。


息を切らしながら全力疾走をしていると、ショッピングモールの巨大なテレビモニターからニュースを読み上げる声が聞こえてきた。


『昨日、フランスで行われていたアドルフ・アンドレくんの手術が成功したと、フランス国内で大きく報じられています。アンドレくんは10万人に1人という難病に侵されており、2年前より来仏している医師により治療を受けていました。それでは、担当医師であるトラファルガー・ロー医師と助手のダリア医師による会見の模様をお伝え致します。』


キャスターがそう言いきったのと同時に、私の足は止まった。


荒い息遣いのまま、テレビモニターを見上げる。


会見の模様とやらは、ローとダリアさんがたくさんのフラッシュに迎えられるところから報道されていた。


ローのアップが映し出されると、ベンチでおしゃべりをしていた女子高生たちが小鳥のような悲鳴を上げる。


『だれあれ』『すっごいイケメン』などの言葉が耳に届いた。どうやらニュースの内容には興味がないらしい。


フランス語を話すローの下に、日本語でテロップが出ている。専門用語で埋め尽くされたそれらの意味は私にはわからなかったが、キャスターの言うとおり、ようは手術が成功したということだった。


「やっぱり、成功したんだ…!」


私はついそう声に出していた。となりで同じくモニターを見上げていたサラリーマンが、びくっとして私を見た。


愛想のかけらもないあいかわらずの幼なじみを見て、思わずカオの筋肉がゆるむ。


ちょっと痩せたかな。クマも濃くなってる気がする。髪が伸びたみたい。当たり前か。でも、


元気そうで、よかった。


ローが話し終えると、今度はダリアさんにカメラが向いた。ローに敗けず劣らず、流れるようにフランス語を話し始めた。


左薬指には、昨年のニュース報道で見たときと同様、品のいい小ぶりなダイヤモンドのついた指輪が光っている。


「…あっ、いけない!時間!」


自分の置かれた状況をはっと思い出して、私はテレビからカオを背けて再び走りだした。


―…‥


「すみません…!お待たせしました…!」


ぜえぜえと喉を鳴らしながら頭を下げると、ペンギンさんはあっけにとられたように口を呆けた。


「なんだ。走ってきたのか?」

「はっ、はい!間にっ、げほっ、間に合わないと思ってっ、」

「ははっ、だからってそんな短距離走みたいに走ってくることないだろう。」


困ったように笑いながら、ペンギンさんは乱れた私の髪を直してくれた。


「す、すみません。お店、大丈夫ですか?」

「あァ、問題ない。オーナーが顔見知りなんだ。」

「そ、そうなんですか。よかった…!」

「そんなこと心配してたのか。大丈夫だから息を整えてから行こう。」

「す、すみません…」


汗が早く引くようにと手で首元を扇ぎながら、私はゆっくり歩いてくれるペンギンさんのあとを着いていった。


―…‥


店構えはそれほど大きくはないが、それがかえって品のよさを引き立てているように思えた。


ペンギンさんの知り合いだというオーナーさん自ら出迎えてくれて、私たちは一番夜景がきれいに見えるという個室へ案内された。


「な、なんかこんないい席、いいんでしょうか…」


完全に気おくれしながら、私はペンギンさんにぼそぼそとそう尋ねた。


「いいんだよ。…なんたって今日は、」


ペンギンさんは注がれたシャンパングラスを持ち上げながら、言った。


「おまえの誕生日なんだから。」


その言葉に、私はほんの少し照れくさく感じながら、ペンギンさんに倣うようにしてシャンパングラスを手にした。


「じゃあ、…誕生日おめでとう、***。」

「あ、ありがとうございます。」


シャンパングラスが合わさると、ちんっ、と金管楽器のような音が鳴った。


まるで水のようにその中身をいっきに空にすると、それを見ていたペンギンさんは声をあげて笑った。


「今日はいつになく豪快だな。」

「す、すみません。走って来たから喉渇いちゃって。」

「そんなにいっきに空きっ腹にいれたら、気分を悪くするぞ。水をもらおう。」

「あっ、すっ、すみません…」


手を軽く上げて、ペンギンさんはウエイターを呼んだ。その所作がとてもスマートで、絵になっている。


「忙しいのか?」

「はっ、はい?」

「仕事。」

「あ、い、いえ、フツー、だと思うんですけど、私が容量悪くって…」

「ははっ、***は私生活でも仕事でも容量が悪いんだな。」

「…ペ、ペンギンさん、今日はツンですね。」

「デレだけだと飽きられるからな。」


ジョーダンめかしたペンギンさんの言葉に、私は思わず声に出して笑った。


「…あァ、そうだな。ツンデレといえば、」


小さく咳払いをしてから、ペンギンさんはそう切り出した。


「ニュース、見たか?その、…キャプテンの。」


めずらしく口ごもったようにそう言うと、ペンギンさんはそれをごまかすようにしてワインをいっきに流しこんだ。


「あ、…あァ。あの、…はい!見ましたよ!」


私は極力明るい声で答えた。それが思いのほか固くて、自分でも少しびっくりした。


「手術、成功しましたね。」

「あァ、そうだな。」

「まァ、ローとダリアさんが失敗なんてするはずないって、わかってましたけどね!」

「…あァ、そうだな。」

「…………………。」

「…………………。」

「ペ、ペンギンさんは、ローに聞いたんですか?」

「ん?あ、あァ、まァ…昨日、電話でな。」

「そう、ですか。」


自然と、沈んだような声になってしまった。


もちろん、言うまでもなく、私にはローからの報告なんてない。


「…***、あのな、」

「あっ、ロ、ローは元気でしたか?ニュースでさっき見たけど、なんだかよりクマが濃くなってるような気がしたんですけど…」

「…あァ、元気だったよ。」

「そうですか!ならよかった!あれ以上濃くなったら、目がどこだかわからなくなっちゃいますよね、ホント!ははっ…」


ペンギンさんは眉をハの字にすると、困ったように微笑んで、小さく「そうだな」と言った。


「あ、あの、…ありがとうございます。」

「?…なにがだ?」


ペンギンさんは私の突然の礼に、訳がわからないとでも言うように首を傾げた。


「その、…ローがいなくなってから、ペンギンさんにはほんとに気にかけて頂いて。」

「…………………。」

「ほんとに感謝しているんです。今日だって、こんな素敵なお店、誘って頂いたりして。」

「…………………。」

「ほらっ、誕生日っていうと必ずローが何かしらやってくれたんで!」

「…………………。」

「…ローとダリアさんが、婚約した時も、」

「…………………。」

「自棄っぱちになってたのを、真剣に叱ってくれて…」

「…あァ、そうだったな。あの時のおまえは目も当てられなかった。」

「ははっ、でしょう?だから、」


小さく息を吐いてから、私は作り笑顔をやめて言った。


「ペンギンさんがいてくれて、ほんとによかった。」

「…………………。」

「正直、何回も心折れそうになったけど、」

「…………………。」

「こうやってまた笑えるようになったのは、ロビンやシャチくん、みんな、…それに、ペンギンさんのおかげです。」

「…………………。」

「本当に、ありがとうございます。」


そう言って頭を下げれば、照れくさそうな咳払いが聞こえてきた。


「…まァ、好きでやってることだからな。感謝されようとされまいと、おれはやりたいようにやるだけだ。」

「…ははっ、」

「?な、なんだ?」

「やっぱり、今日のペンギンさんはツンデレですね。」


からかうような目を向けてそう言えば、ペンギンさんはほんのり耳を赤くしてそっぽを向いた。


それがとてもかわいらしくて、思わず頬がゆるむ。


この2年間、私を一番気にかけてくれていたのは、ペンギンさんだった。


ローと別れたことが辛くて、寂しくて、毎日泣き崩れていたとき。


ペンギンさんは、寄り添うようにしてそばにいてくれた。なにも言わずに、なにも聞かずに、いつもとなりにいてくれた。


ペンギンさんの愛情はまるで海のようだと、いつだったかそう思った。


「…変わらないよ、おれは。」

「え?」


思わず聞きこぼしてしまいそうな、小さな声だった。お酒が回ってきたのかもしれない。ペンギンさんは少しうつろな目で遠くのほうを見つめながら言った。


「おれは、ずっと変わらない。」

「…………………。」

「あの人が、いてもいなくても、」

「あ、あの人?」

「…おれは、」


ペンギンさんは、まっすぐに私を見た。キャンドルの光に照らされて、その瞳がゆらゆらと燃えるように揺れていた。


「おれは、おれのまま、…おまえをこれからも見守っていく。」

「ペ、ペンギンさん…?」

「ははっ、いいんだ。忘れろ。」


そう言って笑ったペンギンさんは、なぜだか少し寂しそうだった。


「しゃべりすぎたな。料理が冷めてしまう。ここの飯はみんなうまいぞ。たくさん食え。」

「はっ、はいっ!いただきます!」


誕生日、ペンギンさんと一緒にいられて、よかったな。


そんなことを思いながら、今年の誕生日はおだやかに過ぎていった。


ー…‥


「じゃあ、ごちそうさまでした。」


手近にいたタクシーを捕まえると、私は乗りこむ前にペンギンさんに向けて頭を下げた。


「あァ。今日はありがとう。」

「何言ってるんですかっ、それは私の台詞です!素敵な誕生日を、本当にありがとうございました。」


二人で礼を言い合っているのがおかしくて、思わずカオを見合わせて笑った。


「…じゃあ、またな。寄り道しないで帰れよ。」

「ははっ、ペンギンさん、お母さんみたい。ちゃんとまっすぐ帰りますよ。」

「…ふっ、お母さんか。なかなかおもしろいポジションだ。…悪くない。」


ペンギンさんは少しだけ目を伏せると、小さく笑って私の頭をなでた。


「ペ、ペンギンさん?」

「…よかったな。」

「は、はい?」

「ほら、さっさと乗れ。」

「わっ、ちょっ…!ペンギンさん!」


ぐいぐいと頭を押しこまれて、私は半ば強引にタクシーに乗せられた。


「…じゃあな、***。ほんとに、ありがとう。」


そう言って別れたペンギンさんは、今までで一番、優しい目をしていた。


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