君によく効く風邪薬-Thanks 100,000-

…………………あー、


……………具合悪い。


ふらふらとした足取りで、ようやく家に辿り着く。


ぼんやりとした視界の中、引き出しから体温計を取り出した。


それを脇に挟んで放心していると、ピピピっと音が鳴る。


表示されたそれを見て、私はさらに具合が悪くなってしまった。


「さ、39.5℃…」


お、おぉ…


久しぶりに見た、この数字…


妙な感心を覚えたまま、私は床に倒れ込んだ。


風邪薬あったかな…


あ、その前にご飯食べなきゃ…


でも全然食欲ない…


動くのダルい…


……………だれかー…


……………助けて…


私は、バッグの中から見えている携帯電話に手を伸ばした。


こんなときも、どんなときも、


真っ先に浮かぶのは、必ず…


「…………………ロー…」


もうろうとした意識のなか、その名前を表示した。


いつもならためらうそのボタンを、迷うことなく押す。


しばらくすると、コール音が耳に膜を張ったように遠くの方から聞こえてきた。


……………早く出て、


声が聞きたい。


カオが見たい。


会いたい。


ローに、会いたい。


弱っている現状も手伝って、いつもより恋しく感じてしまう。


でも、耳に届くのは無情にも機械的なコール音だけ。


……………忙しいかな。


忙しいよね。


お仕事だってあるし人気者だからいつもいろんな友だちと出掛けてるしダリアさんとデートとかデートとかデートとか…


……………ローのなかに、私なんてこれっぽっちしか存在してないんだろうな。


例えば、私がこのまま死んじゃったとしても、


ローも、だれも困らない。


私がいなくなっても…


一人暮らし、恋人なしの時に具合が悪くなってしまうことほど、怖いものはない。


次から次へと卑屈な気持ちが湧いてきて、私はそのまま真っ暗な闇のなかへ引きずり込まれていった。


―…‥


ペシン。


……………いたっ、


ペシン、ペシン。


いたたっ…!いたいいたい…!


なになにっ…!


「***、」


ペシン。


「死んでんじゃねェだろうな。」


頬に走る刺激と、聞きなれた私を呼ぶ声。


その声がめずらしく切迫していて、ただならぬその状況に私はゆっくりと目を開いた。


「……………………………ロー…?」

「…生きてるな。」


ぼやけた視界の中で、ローが安心したように小さく息をつく。


あ、あれ…


私、ついに幻覚が…


「ったく…生きてんなら生きてるって言え。」

「…………………ほ、ほんもの?ほんもののロー?」

「……………頭までやられたか。まァ、おまえの頭がおかしいのはいつものことだけどな。」

「…………………。」


こっ、


この病人にも容赦ない辛辣さは…!


「ほっ、ほんとにロー…!」

「うるせェなさっきから。だったらなんだ。」

「だっ、だって、あれっ、どうして……………わっ…!!」


ここにいるの、と訪ねようとした瞬間、突然身体が宙に浮いた。


いつもより近いローのカオ。


こっ、これはまさか…!!


……………お姫様だっこ…!!


「あわわわわっ…!!ちょっ、ちょっ、ちょっ、ロー…!!」

「うるせェな、耳元で喚くな。」

「だっ、いやっ、ちょっ、おっ、おもいからおろしてっ…!!」

「分かってんなら暴れんな。ますます重くなる。」


わあああああ…!!


ゆっ、夢みたい…!!


ローにお姫様だっこ…!!


ローはその長い足で掛布団を器用にめくると、私をそっとベッドに下ろした。


「熱は計ったか。」


そう問いながら、その大きくて綺麗な手を私の額に乗せる。


「さ、39.5℃…」


そう答えると、ローはおもむろに傍らに置いた大きめのバッグを探った。


すると中から出てきたのは、点滴やら注射器やらの医療器具。


「す、すごいね。いつも持ち歩いてるの?」

「んなわけねェだろ。」

「そ、そうなの?…じゃ、じゃあなんで、」

「おまえ、いつもこの時期熱出すだろ。」

「…………………へ?」


………………………。


……………そ、そうだっけ。


「おまえはバカだから覚えてねェだろうけどな。」

「…………………。」

「何回電話折り返しても出ねェから、こんなことだろうと思ったんだよ。」

「……………ロー…」


そんなこと、覚えてくれてるんだ…


………………………。


…………………どうしよう。


…泣きそう。


……………っていうか、


もう、


「っ、ろ゛ぉぉぉ…」

「うぜェ、泣くな。」

「だっ、だっでっ、具合悪すぎて死んじゃうところだったっ…」

「こんなんで死ぬか、バカ。」

「たすけて、ロー…」

「うるせェな、いまやってる。」


乱暴な言葉遣いとは裏腹に、やさしい手つきで私の頭をなでると、テキパキと点滴をセットしていく。


「明日には良くなる。」

「ほ、ほんとに?こんなに死にそうなのに?」

「大げさなんだよ、おまえは。おれをだれだと思ってる。」

「ううっ、ロー様…」

「バカ。」


そう言って、ローは薄く笑った。


ローは外科医だけど、他の分野も専門のドクターより詳しい。


……………ローにできないことってあるんだろうか。


「飯は食ったのか。」

「食べてないけど…食欲ないからいい、」

「ダメだ。なんか食え。」


そうキッパリ言うと、ローはキッチンに行って冷蔵庫を開ける。


「…………………。」

「……………あ、明日買い物に行こうと思ってて…」


空っぽのその中を見ながら、ローは大きく溜め息をついた。


「ロ、ローが買ってきてくれたゼリーいただくよ…」

「んなもんだけじゃ、治るもんも治らねェ。」


そう言いながら、ローはおもむろにナベを手にした。


「……………なっ、なにするのロー……………まっ、まさかっ、」

「粥、作る。」

「…………………えぇっ!?」


私は耳を疑った。


……………ローが、


あのローがっ…!!


料理っ…!!


「つ、作ったことないよね?」

「あァ。」

「た、食べたことは?」

「ねェ。」

「…………………。」

「なんだよ、なんとかなんだろ。いいからおまえは大人しく寝てろ。」


そう言いながら、ローはナベに水を入れる。


……………大人しく寝てろって…


そんなの無理だよ…!


料理してるローなんて、きっともうお目にかかれない…!


私は胸を高鳴らせながら、そんなレアなローをジロジロと盗み見た。


パーカーを腕まくりして、キッチンに立つロー。


手順がよくわからないのか、眉間にシワを寄せて、その表情には困惑が浮かんでいる。


……………どうしよう。


こんなこと言ったら絶対に怒られるけど…


……………かわいすぎる…!


すると、ローは煮たったお湯の中に割った卵を入れようとした。


「わあああああ!ロー!」

「なんだよ、うるせェな。寝てろって言っただろうが。」

「た、卵もう入れちゃう?」

「?……………粥にはだいたい卵入ってんだろ。」

「そ、そうなんだけど、最初にご飯入れて、柔らかくなってから卵は最後に入れた方が…」

「…………………。」


怪訝な表情を浮かべながらも、渋々と言った様子で私の助言に素直に従うロー。


……………信じられない。


ローが私の言うことを聞いてくれるなんて…!


ビデオ撮りたい…!


それから30分ほどして、ようやくお粥が完成した。


ローはベッドの傍らに座ると、お粥を一さじ掬う。


「あ、ありがとう、ロー。」

「口開け。」

「へ、……………いっ、いいよいいよ…!!自分で食べられる…」

「…………………。」

「は、はい。」


無言の圧力に敗けて、私はおずおずと口を開いた。


……………は、恥ずかしい…


運ばれてくるお粥を一口含んで、ゆっくりと咀嚼した。


「……………おっ、おいしい…!」

「だろうな。」


さも当然だというように、ローはそう呟いた。


「ローが料理するようになったら、プロより上手くなりそうだね…」

「あたりまえだ。」

「……………ダ、ダリアさんにも作ってあげたら?そしたらダリアさんますます、」

「しねェよ。」

「……………へ?な、なんで?」


あまりにもハッキリとしたその言い方に、私は目をまるくした。


「こんな面倒くせェこと、おまえ以外にできるか。」

「…………………。」

「手掛かるのはおまえ一人で充分だ。」

「…………………そ、そっか!そうだよね!……………そっかそっか!」


……………手が掛かるだって。


……………おまえ以外にできるかだって。


思わずへらりとゆるんでしまった頬を押さえながら、私は具合が悪いのも忘れて弾むようにそう答えた。


「あっ、ゼリーの他にもいろいろ買ってきてくれたんだね!ありがとう、ロー。」

「…………………。」


そう言うと、なぜかローは少し不機嫌そうなカオをして、視線を逸らした。


「あ、あれ?ロー?」

「……………ゼリーはシャチだ。」

「…………………へ?」

「果物はペンギン、スポーツドリンクはジャンバール。」

「…………………。」


よく見ると、他にもヨーグルトや氷まくら、栄養ドリンクなどがところ狭しと床に並んでいる。


…………………う、うそ…


「あいつらまで分かってんのに、なんでおまえ本人が分かってねェんだか…」

「ううっ、ろ゛ぉぉぉ…」

「うぜェ、んなことで泣くな。」


これが泣かずにいられますか…!


……………私、自分で思うよりずっと、


たくさんの人に愛されてるみたい。


「……………けど、」

「うぇ?」

「おまえが一番望んでるものを持ってきたのは、おれだ。」

「…………………へ?」


ローは、ベッドの縁で頬杖をつきながら薄く笑う。


「思い出してみろよ。おまえ、具合悪くなって一番最初になにを思い浮かべた。」

「い、一番最初…」


『こんなときも、どんなときも、』


『真っ先に浮かぶのは、必ず…』


「…!!」


おそるおそるローを見上げると、いつものように意地悪く笑うローのカオ。


それを見て、私はさらに熱が上がっていくのを感じた。



君によく効く風邪



そ、そういえばロー、どうやってうちに入ったの?カギは掛けたはずなんだけど…


……………なに言ってんだ。おれはおまえんちの合カギ持ってる。


は、初耳なんですけど…!


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