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止まない雨の、音がする。
いつだったか、大切なおもちゃのネックレスを公園に落として、こんなふうに雨に打たれながら必死で探したっけ。
『おまえはバカなのか。』
そう呆れたように言うくせに、ローがびしょ濡れになりながら私を探しに来てくれたこと、
ほんとに、うれしかった。
マンションに入っていく住人が怪訝なカオを向けても、少しも気にならなかった。
うるさい鼓動を落ち着かせるように、忙しなく冷えた身体をこする。
もう何時間、そうしていたんだろう。
コツコツコツ…
マンションに近付いてくるその足音に、私は勢いよくカオを上げた。
間違えるはずがない。
私はずっと、この足音に着いてきたんだから。
長身なローの足元を傘が守りきれなくて、ジーパンが濡れてしまっている。
自分の方がずぶ濡れだというのに、ふとそれが心配になってしまった。
私の気配に気付いたのか、ピタリ、その足が止まって、傘がチラリと上げられる。
見開かれて丸くなった藍の瞳が、私を初めて捉えた。
「……………***…?」
「……………ロー、」
「おまえ、……………何してんだ…」
ローは、傘も差さずに立ち尽くした私に、バシャバシャと水しぶきを上げながら早足で駆け寄ってくる。
「バカかおまえ。何やってんだ、傘も差さねェ、」
「フランスに行くってほんと?」
袖口で私の頭を拭きながらそう言ったローをまっすぐ見つめて問えば、ローは目を大きく見開いた。
「おまえ、……………それ、どこで…」
「…………………ほんとなんだね…」
「…………………。」
ローは視線を下に下げると、そのまま押し黙ってしまった。
「どうして…?どうして私に何も言ってくれなかったの…?」
「***、」
「私には言う必要ないって、そう思ったの?ただの幼なじみだから後回しでいいって、」
「そうじゃねェ。」
「そんな、小さな存在だって、っ、どうでもいいって、」
「そんなこと言ってねェだろ!」
「っ、」
突然ローが声を荒げるもんだから、私の身体はビクリと揺れてしまった。
そんな私を見て、ローは息を詰まらせると、小さくそれを吐き出した。
「……………とにかく入れ。また熱出すぞ。」
そう言いながら私の手を引くその手を、強い力で振り払う。
「……………***、」
「いつ帰ってくるの?」
「…………………。」
「すぐだよね?半年か、長くても一年くらいだよね?」
「…………………。」
「……………そうなんでしょ?ロー…」
……………おねがい。
そうだって言ってよ。
すぐに帰ってくるって、
おねがいだから、そう言って。
苦しげに眉を寄せたローの口元を、穴が空くんじゃないかと思うくらい見つめた。
やがて、何かを決意したように、ローがゆっくりと口を開く。
「…………………早くても、3年。」
「……………さ、3年…」
「長引けば、4、5年……………もっとかかるかもしれねェ…」
そのローの言葉に、私は目の前が真っ暗になった。
…………………4、5年も…
ローと、離ればなれ…
「……………んなカオすんな。
「…………………。」
「別に帰ってこねェって言ってるわけじゃ、」
「帰ってこないよ。」
「…あァ?」
キッパリと言い放った私のその言葉に、ローは怪訝に眉を寄せた。
「帰ってこないよ、ローは。だって、……………ダリアさんと一緒に行くんでしょう?」
「…だからなんだよ。」
「好きな人とあっちで暮らしてたら、帰ってくる必要ないもん。ちゃんと仕事もあるんだし、そのままあっちで結婚とか、」
「どうしてそうなるんだよ。話を飛躍させんな。」
「私のことなんて忘れて、っ、ローは、」
「…落ち着けよ、バカ。」
子どもを宥めるように、ローは私の頭をその大きな手で包んで優しく叩く。
…………………やだよ、
この手が、
もう、届かないところに行ってしまうなんて。
ぜったい、やだ、
「……………行かないで…」
絞り出したような私のその言葉に、ローの手が止まる。
「……………行かないで、ロー…」
「……………***…」
「ローがいなくなるなんて、耐えられない…」
「…………………。」
「ローに、会えなくなるなんて、っ、私…」
「…………………。」
「おねがい、おねがい、ロー……………行かないで…」
すがり付くように、ローの服を力いっぱい掴んだ。
…………………何言ってるんだろう、私…
ローの仕事のジャマになるようなこと言って…
頭では分かっていても、心が一歩も引かない。
引けない。
どう思われたっていい。
恥も外聞もかなぐり捨てて、私はうわ言のように「おねがい、おねがい」と、ローにそう懇願した。
「……………おれにしかできねェことをしにいく。」
「…………………。」
「……………行かねェわけにはいかねェんだよ。」
「っ、じゃ、じゃあ、私も一緒に行く、」
「…………………。」
「仕事、も、辞めて、っ、ローと一緒に、」
「バカ言うな。」
「っ、……………だって、」
どうしよう、どうしよう、
どうしたらいいの、
どうしたら、私、
ローと一緒にいられるの、
「……………ちゃんと話すから、とりあえずうち入れ。」
「…………………。」
引きずられるようにして手を強く引かれながら、ローのマンション入り口まで二人で歩いていく。
その大きな背中が、滲んで見えなくなっていった。
ロー、
ロー、
「ロー、
…………………好き。」
ピタリ、ローの足が止まった。
ゆっくりと振り向いたローの瞳に、女のカオした私が映っている。
「好きなの。」
「…………………。」
「ずっと、ずっと、好きだった。」
「…………………。」
「ローと一緒に、ずっといたい。」
「…………………。」
「だから、おねがい。置いていかないで…」
繋がれたその大きな手を、力いっぱい握りしめた。
私の気持ちが、ひとつ残らず伝わるように。
何年も何年も、ずっとローだけを想ってきた。
ローの心が私にはなくても、
ずっとローのことだけを。
私には、ローだけなの。
おねがい、おねがい、
…………………受け止めて。
地面を叩きつける雨の音と、狂ったように暴れ出した心臓の音だけが聞こえる。
永遠にも感じる長い沈黙は、ローが息を吸いこんだ音で終わりを告げた。
ドクン、と、大きく鼓動がひとつ高鳴った。
「おれは、
おまえのことを、そんなふうにみたことはねェ。」
熱かった身体が、いっきに冷めていく。
現実なのか夢なのかわからなくなって、私は呆然と道端に転がった石だけを見つめていた。
「なに、……………血迷ってんだよ。」
「…………………。」
「おれたちは、……………幼なじみだろ。」
「…………………。」
「いいじゃねェか。おれとおまえはこのままずっと、」
「…………………。」
「幼なじみで、」
「っ、」
ローのその言葉に、私は大きく首を振った。
「……………***…?」
「ごめん、」
ごめん、ごめん、
ごめんね、ロー、
『ずっと一緒にいようね、ロー。』
約束、
守れなくて、ごめん。
「ごめんね、ロー、
…………………………さよなら…」
繋がれた手を、そっと離した。
大好きだった大きな手が、力なく重力に引かれて落ちる。
強くなった雨足に誘われるように、私はローのマンションをあとにした。
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[mokuji]
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