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『***と一夜を共にしました。』
「…………………あ?」
ダリアとの旅行から帰った翌朝、出勤しようと車に乗り込んだところで着信が鳴った。
開口一番に言われたペンギンのその言葉の意味が分からず、ローの反応は不覚にも鈍ってしまった。
「……………なに言ってやがる。」
『そのままの意味です。***は今日、おれの家から出掛けていきました。』
「…………………。」
『……………聞いてますか、キャプテン。』
「…………………あァ。」
そう短く答えると、ローは煙草に火をつける。
「で?」
『……………と、言いますと?』
「なにがあった。」
***が男の家に泊まるなど、余程のことがないかぎりありえない。
すぐにその考えに行き着いたローは、込み上げてくる苛立ちを抑えながら、ペンギンにそう尋ねた。
『***の家に空き巣が入りまして…』
「空き巣?」
ペンギンは、事の詳細をローにすべて話したあと、続けてこう言った。
『迎えに来てやってください。』
「…………………。」
『本当は、キャプテンに来てほしかったはずですから。』
「…………………。」
ローは、大きく息を吐くと「夜、引き取りに行く」とだけ伝えて、ペンギンの返答を待たずに終話ボタンを押す。
「…………………あのバカ…」
一向に収まりそうにない苛立ちを表すように、ローは乱暴にエンジンを掛けて車を走らせた。
―…‥
気付くと、灰皿の上を大量の煙草が埋め尽くしている。
煙たい室内に嫌悪して、ローは窓を開けた。
血が昇った頭に、冷えた風がちょうど良い。
ローは大きく息を吐き出して、窓を閉めた。
耳をすますと、つい先程まで聞こえていたすすり泣く声は、もうしていない。
ローは、そのドアまで来ると、ゆっくりとドアノブを回した。
薄暗い室内に浮かび上がるベッドの上に、その姿がない。
代わりに、冷たい床にうずくまるようにして横になっている***を見て、ローは小さく溜め息を吐いた。
室内に足を進めて、そのカオのすぐ傍に膝をつく。
涙の流れた跡をそのままに、***は自分が着ていた薄手のコートを掛けて、すやすやと眠っていた。
大方、昨日はよく眠れなかったんだろう。
ローは、***の身体に掛かったコートを退かすと、***の身体を抱き上げた。
ベッドの上の掛布団を足で払って、***をゆっくりと下ろす。
掛布団を掛けてやると、***はもじもじと身を捩ってから、また深い寝息を立てた。
ローは、ベッドの縁に座って、その***の様子を見つめる。
***に向かって手を伸ばすと、その頭をゆるゆるとなでた。
「……………どういうつもりだ、バカ…」
……………初めてだった。
***が、自分以外のだれかを頼るのは。
小学生の頃、遠足で迷子になったときも、
公園で、怪我をしたつばめを見つけてきたときも、
40℃近い熱を出して倒れたときも、
いつも、どんなときも、
***が一番最初に助けを乞うのは、自分だったはずだ。
家族よりも、友だちよりも。
…………………それなのに、
『ローなんてっ、だいっきらいっ、』
なでていた手が、ピタリと止まる。
「……………なにが『大嫌い』だ。」
人の気も知らねェで…
赤く腫れた***のまぶたを、親指でなぞる。
『おまえはもう、ここから一歩も出さねェ。』
本気だった。
離れようとするなら、
縛り付ければいい。
この小さな箱に、
死ぬまで閉じこめておけば、
***は、おれにしか頼れなくなる。
食うのも、着るのも、住むのも、
……………生きるのも。
***の求めるものすべてが、
『おれ』になればいい。
男が何人出来ようが、
結婚してガキが出来ようが、
***の心の中には、
おれだけがいれば、それで充分だ。
他の存在が侵入することは、許さない。
それが例え、何であっても。
「絶対、逃がさねェからな。」
ローは、呟くようにそう言葉にすると、***の手首をゆるく掴んで、自分の唇に強く押し付けた。[ 37/70 ][*prev] [next#]
[mokuji]
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