37

『***と一夜を共にしました。』

「…………………あ?」


ダリアとの旅行から帰った翌朝、出勤しようと車に乗り込んだところで着信が鳴った。


開口一番に言われたペンギンのその言葉の意味が分からず、ローの反応は不覚にも鈍ってしまった。


「……………なに言ってやがる。」

『そのままの意味です。***は今日、おれの家から出掛けていきました。』

「…………………。」

『……………聞いてますか、キャプテン。』

「…………………あァ。」


そう短く答えると、ローは煙草に火をつける。


「で?」

『……………と、言いますと?』

「なにがあった。」


***が男の家に泊まるなど、余程のことがないかぎりありえない。


すぐにその考えに行き着いたローは、込み上げてくる苛立ちを抑えながら、ペンギンにそう尋ねた。


『***の家に空き巣が入りまして…』

「空き巣?」


ペンギンは、事の詳細をローにすべて話したあと、続けてこう言った。


『迎えに来てやってください。』

「…………………。」

『本当は、キャプテンに来てほしかったはずですから。』

「…………………。」


ローは、大きく息を吐くと「夜、引き取りに行く」とだけ伝えて、ペンギンの返答を待たずに終話ボタンを押す。


「…………………あのバカ…」


一向に収まりそうにない苛立ちを表すように、ローは乱暴にエンジンを掛けて車を走らせた。


―…‥


気付くと、灰皿の上を大量の煙草が埋め尽くしている。


煙たい室内に嫌悪して、ローは窓を開けた。


血が昇った頭に、冷えた風がちょうど良い。


ローは大きく息を吐き出して、窓を閉めた。


耳をすますと、つい先程まで聞こえていたすすり泣く声は、もうしていない。


ローは、そのドアまで来ると、ゆっくりとドアノブを回した。


薄暗い室内に浮かび上がるベッドの上に、その姿がない。


代わりに、冷たい床にうずくまるようにして横になっている***を見て、ローは小さく溜め息を吐いた。


室内に足を進めて、そのカオのすぐ傍に膝をつく。


涙の流れた跡をそのままに、***は自分が着ていた薄手のコートを掛けて、すやすやと眠っていた。


大方、昨日はよく眠れなかったんだろう。


ローは、***の身体に掛かったコートを退かすと、***の身体を抱き上げた。


ベッドの上の掛布団を足で払って、***をゆっくりと下ろす。


掛布団を掛けてやると、***はもじもじと身を捩ってから、また深い寝息を立てた。


ローは、ベッドの縁に座って、その***の様子を見つめる。


***に向かって手を伸ばすと、その頭をゆるゆるとなでた。


「……………どういうつもりだ、バカ…」


……………初めてだった。


***が、自分以外のだれかを頼るのは。


小学生の頃、遠足で迷子になったときも、


公園で、怪我をしたつばめを見つけてきたときも、


40℃近い熱を出して倒れたときも、


いつも、どんなときも、


***が一番最初に助けを乞うのは、自分だったはずだ。


家族よりも、友だちよりも。


…………………それなのに、


『ローなんてっ、だいっきらいっ、』


なでていた手が、ピタリと止まる。


「……………なにが『大嫌い』だ。」


人の気も知らねェで…


赤く腫れた***のまぶたを、親指でなぞる。


『おまえはもう、ここから一歩も出さねェ。』


本気だった。


離れようとするなら、


縛り付ければいい。


この小さな箱に、


死ぬまで閉じこめておけば、


***は、おれにしか頼れなくなる。


食うのも、着るのも、住むのも、


……………生きるのも。


***の求めるものすべてが、


『おれ』になればいい。


男が何人出来ようが、


結婚してガキが出来ようが、


***の心の中には、


おれだけがいれば、それで充分だ。


他の存在が侵入することは、許さない。


それが例え、何であっても。


「絶対、逃がさねェからな。」


ローは、呟くようにそう言葉にすると、***の手首をゆるく掴んで、自分の唇に強く押し付けた。


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