31
『ホットココア』の下にある光ったボタンを押すと、ガタガタっという音とともに、それが落ちてきた。
あまりの大きなその音に、思わず辺りを見回してしまう。
でも、そこには相変わらずの闇が広がっていた。
「ふぅ…」
……………なんだか今日も眠れないな。
お見舞いにきてくれるひとがいるとき以外は、食べるか、テレビを見るか、本を読むか…
できることは限られている。
やることがなくなってしまうと、あとの選択肢はもう『寝る』しかない。
「お昼寝しすぎたな…」
暖かい飲み物でも飲めば、また眠くなってくるだろう。
そう思って、病室近くの自販機まで来たところだった。
「……………ロー怒ってるかな…」
昼間の、ペンギンさんとローのやりとりを思い出す。
なんかあの二人って、たまにああやって言い合うんだよね。
似た者同士だから衝突しちゃうときもあるのかな…
ローとペンギンさんは、少し似てると思う。
どちらも頭が良いし、見た目もカッコよくて女性にモテる。
自分のことはあまり話さないけど、面倒見がよくてたくさんのひとに慕われている。
ペンギンさんがどんな仕事をしているのか、よくは知らないけど…
シャチくんがいつも『アイツはデキる男だ』って言ってるし…
ローだって腕がいいことで有名な外科医だ。
……………まぁ、決定的にまったく違うところがあるんだけど。
その部分が衝突しちゃうのかな…
でも、ローがペンギンさんを頼っているのはわかるし、ペンギンさんもなんだかんだでローを慕っている。
……………うん、結局のところ仲良いんだよね。
よし、ローの機嫌を損ねてしまったことは明日謝ろう。
ローは根に持つと長いからなぁ。
………………………。
この、ローのこと考えてるときににやけるクセ、なんとかしなきゃな…
そんなことを思いながら、緩む頬を抑えた時だった。
「あれ…?」
ひとつの部屋に入っていく、見なれた女性の姿。
ダリアさんだ…
今日当直なのかな。
……………そういえば…
ダリアさんは、あれから大丈夫かな。
ローからは特になにも聞いてないけど…
「…………………。」
私は少し悩んでから、また先ほどの自販機へと小走りした。
お金を入れて、『ホットコーヒー』のボタンを押す。
お仕事中だから話はできないだろうけど…
カオ見るだけならいいよね。
私は落ちてきた中身を取り出すと、先ほどダリアさんが入っていった部屋へと向かった。
明かりの点いたその部屋を覗くと、真夜中だというのに美しいままのダリアさんの姿。
声を掛けようと口を開きかけたところで、もう一人の影に気が付いた。
「トラファルガー先生、この資料も必要かしら?」
「どれだ。……………あァ、そうだな。」
「わかったわ。」
少しだけ出ていた身体を、思わず引っ込める。
な、なんと…
まさかのローも一緒だった…
二人は淡々と、仕事に関する会話をしているようだった。
…………………ど、どうしよう。
ダリアさん一人ならまだしも、ローもいるんじゃ…
私ジャマだよね。
このまま二人の様子を覗き見してるのも変だし…
やっぱり、病室に戻ろう。
そう思い直して、歩き出そうとしたときだった。
「トラファルガー先生、身体大丈夫?」
そのダリアさんの言葉に、ピタリと足が止まる。
「あァ?なにがだよ。」
「疲れてるんでしょう?そんな仕草、いつもはしないもの。」
その『仕草』とやらがどうしても気になって、思わず中を覗いた。
二本指で目頭を抑えるローの姿が目に入る。
「…………………。」
ローは少しだけ罰が悪そうなカオをすると、目頭から指を離した。
「***ちゃんが運ばれてきてから、ろくに眠ってないんでしょう?家にも着替えを取りに戻るだけ。」
…………………え?
「……………そんなのいつものことだろ。」
「こんなに長く病院にこもったことはないわ。」
「知ったふうな口きくんじゃねェよ。」
「…………………。」
部屋から、不穏な空気が流れる。
……………ロー…
もしかして、私のことが心配で…
…………………バカだ、私…
ローの、なにを見てるんだろう。
気付いてあげられなかった…
人知れず落ち込んでいると、いつもの明るい声がその重たい空気を壊した。
「温泉!行きましょうよ!」
「……………あ?」
ローが、珍しくすっとんきょうな声を上げる。
「疲れを取ると言えば温泉でしょう?ね!決まり!私もちょうど行きたいと思ってたの。」
「…………………。」
「いつにしようかしら?あ、もちろん***ちゃんが退院してから、」
「無理してんじゃねェよ。」
「え?」
ローのその言葉に、ダリアさんだけでなく、私も目をまるくした。
……………無理?
無理って…?
「無理して一緒にいることねェって、言っただろ。」
「…………………。」
「おれに気でも遣ってるつもりか。うぜェことすんな。」
「…………………。」
……………ど、どういうこと?
ダリアさんが、無理してローと一緒にいるってこと…?
あまりに衝撃的なその内容に、私はダメだとわかっていながら、そこから動けずにいた。
「おれが怖ェんだろ。」
「…………………。」
「そんなふうに思われんの、慣れてんだよ。おれが傷付いてるとでも思ったか。」
「…………………。」
「……………まァいい。もうこの話はやめだ。これからおまえとは医師と医師で、」
………………………。
あれ…?
突然、ローの言葉が途切れたので、不思議に思ってそぉっと中の様子を窺う。
「…っ、」
……………ダリアさんが、
ローに、キスしてる。
身体中の脈がドクンと高鳴って、鼓動が加速していく。
……………見ちゃいけない。
聞いちゃいけない。
ここにいちゃ…
そう思うのに、足の裏から地面に根が生えたみたいに、身体が動いてくれない。
「……………あなたが怖いわ、トラファルガー先生…」
「…………………。」
「そんなあなたに、溺れていく自分も…」
「…………………。」
「私じゃ手に追えない…離れるべきだって、何度も思った…」
「…………………。」
「……………でもっ、」
ダリアさんの声が、しだいに涙声になっていく。
「どんなにそう思ってもっ…!私の本能が、あなたを欲しがってるっ…!」
「…………………。」
「もう戻れないってっ…!心がそう言ってるのっ…!」
「…………………。」
あんなに大人っぽくて、落ち着いたダリアさんが、
子どもみたいに泣きじゃくっている。
聞いているこっちまで、胸が押し潰されそうになる泣き方だった。
「っ…、好きなの…トラファルガー先生…」
「…………………。」
「おねがっ、い………ほんの少しでいいから…」
「…………………。」
「私のことを………みて…」
「…………………。」
ローは、ずっと黙ったまま。
ダリアさんのすすり泣く声と、
自分の心臓の音しか、聞こえない。
しばらくすると、ローが小さく息をつく音が聞こえた。
「……………今週末、***を退院させるつもりだ。」
「……………え?」
ローはまた仕事をし始めたのか、紙をめくるような音がする。
「アイツが退院したら、休み取ってベポんとこに行く。」
「…………………。」
「……………その次、」
「え…?」
今度は、ダリアさんがすっとんきょうな声を上げた。
「その次の休みなら、付き合ってやってもいい。」
「…え?」
ローが、薄く笑ったのが分かった。
「温泉、行くんだろ。」
「…!」
「意外とババくせェ好みしてんな、おまえ。」
「っ、……………よけいなっ、おせわっ、」
また涙が溢れたのか、ダリアさんの声が途切れ途切れになる。
「……………言っておくが、」
「なに、……………きゃっ…!」
そのダリアさんの小さな叫び声に、私は思わず部屋の中を見た。
その光景を見て、思わず落としそうになったふたつの缶を、ぎゅっと握る。
ローが、ダリアさんの腕を掴んで、
キスをしてる。
角度を変えて、何度も、何度も。
お互い、相手を求めているのが伝わってきた。
身体中が熱いのに、
頭と、手足だけが冷たい。
……………戻らなきゃ。
戻らなきゃ。
これ以上ここにいたら、
私、
唇を離したローが、そのままダリアさんを見つめて言葉を続けた。
「容赦しねェからな。」
「っ、はぁ…トラファルガーせん、」
「おまえを抱くようになってから、他の女抱いてねェんだよ。」
「……………うそ、」
「……………うそかどうか、」
ローの指が、ダリアさんの身体の上を、いやらしく滑る。
「その身体で確かめろ。」
初めて見る、ローのその瞳が、
とても挑発的で、
あまりに色っぽくて、
私に向けられたものじゃないのに、
悔しいくらいに、くらくらしてしまう。
「……………ふふっ、望むところ…」
そう囁くダリアさんも、いままで見たことがないほどに官能的で。
二人がまた、唇を重ねそうになったのを見ないふりして、私はその場を立ち去った。[ 31/70 ][*prev] [next#]
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