25

薄暗い院内にパタパタと走る足音が聞こえてきて、通路の椅子に座っていたペンギンはゆっくりとカオを上げた。


「シャチ…売ってたか?」

「あァ!」


ガサリと袋をひっくりかえすと、椅子の上には女性もののパジャマや歯ブラシ、ほかにもありとあらゆる日用品が転がった。


「女ものって種類多すぎてなに買っていいかよくわかんねェな!はははっ…」

「ふっ…そうだな…」


シャチは病室のドアに目を向けた。


「………キャプテンはまだ中か?」

「……………あァ……あれからずっと…」

「そうか…」


そう呟くように答えると、シャチはズルズルとその身体を床に落とした。


「寝るなよ、シャチ。おれたちにはやることが」

「あァ、わかってる。」


シャチは項垂れていた頭を上げると、まっすぐに病室を見つめた。


―…‥


規則正しく上下する胸を、ローはただただ見つめていた。


苦しそうだった表情も、いまはとても安らかだ。


なにごともなかったように寝息をたてている***に、ローは小さく息をついた。


「……………のんきなヤツ…」


刺しキズが一箇所だったからよかったものの…


まえの患者のようにメッタ刺しにでもされてたら、まず助からなかった。


………………助けられなかった。


そう思った瞬間、ローの身体が大きく震えた。


手を伸ばして***の頬に触れる。


生ぬるい温かさが、ローの手に伝わった。


ローはまた小さく息をついて、そのまま***の髪をなでた。


はじめて、


生まれて、はじめて、


『怖い』と思った。


もし、助けられなかったら…


そんな弱気なことを、


はじめて、思った。


ローが拳を握ると、なでていた***の髪がくしゃりと歪んだ。


……………いつからだ。


こんなにも、


***に、依存するようになったのは。


どうして、こんなに、


***を失うのが、怖い。


たかが、『幼なじみ』だ。


ただ、ずっと一緒にいた女がひとり、いなくなるだけ。


…………………ただ、それだけなのに。


それを考えただけで、どうして、


どうしてこんなに、身体が震える。


おれは、


いつからこんなに、弱くなった。


「……………だせェ。」


いまだに震えている自分の右手を見つめながら、自分を嘲笑するようにローは呟いた。


そのとき、遠慮がちに病室のドアがひらかれる。


「す、すみません…キャプテン…」

「…………………なんだ。」


ローは、***から目を逸らさずにシャチの呼びかけに答えた。


「こ、これ…***のバッグです…いま…ナースのひとが…」

「…………………置いておけ。」

「はっ、はいっ!」


シャチはそろそろとベッドの脇にある棚まで歩み寄ると、その上にバッグを置いた。


が、バランスを崩してバッグが床にドサリと落ちる。


「わわっ…!す、すみませんっ…!」


シャチは慌ててバッグを拾い上げると、バッグからとびだしてしまった中身をしまっていった。


「……………おい、シャチ…」

「はっ、はいっ…!すみませんでし」

「それ、なんだ。」


ローは、シャチがいままさにバッグにしまおうとしている「それ」に目を奪われた。


「へ、あ、こ、これ…ですか?……………ほ、本みたいっす…買ったばかりの…」

「……………本?」


ローは眉をしかめると、よこせ、という意味でシャチに手を伸ばした。


シャチは瞬時にその意味を理解し、ローの手の上にそれを乗せる。


買ったばかりということは、仕事が遅くに終わったにも関わらず、疲れてるなかわざわざ本屋に寄って買いにいったということ。


なんとなく、ふと中身が気になって、ローは留めてあったセロテープに手を掛けた。


袋の中からそれをとりだすと、ローはピタリと動きを止めた。


「…………………。」

「キャ、キャプテン…なんの本でしたか?」


シャチの問い掛けには答えず、ローは突然喉の奥をクツクツと鳴らしながら笑いだした。


「キャ………キャプテン…?ど、どうしたんですか…」


そんなローにシャチは動揺を見せて、おそるおそる尋ねる。


「……………冗談にきまってんだろ…」

「……………え?」

「あんなうそ信じて……………ほんとに馬鹿なヤツ…」


ローは、そんなことを呟きながら、本に書かれた表題を見つめた。










『本格プロの技!おいしいカレーのつくり方』










『カレー。つくってこいよ。』

『ロ、ロー…あ、あの、お、お弁当なんだけど…』

『なんだよ、なんでもいいんだろ。』

『あ、い、いや、ま、まぁ…』










おまえは、いつもそうだ。


おれのことを信じて。


おれに振り回されて。


それでも、










『ロー。』










それでも、


おれのとなりで、笑ってる。










「シャチ……………ペンギンを呼べ。」

「はっ…!はいっ…!」


シャチは小走りでペンギンの元まで向かうと、ほどなくして病室へ戻ってきた。


「お呼びですか、キャプテン。」

「……………あァ……………ペンギン、シャチ、」


ローは、***の髪をゆるゆるとなでながら、ゆっくりと口をひらいた。


「…………………やったヤツ、探せ。」

「はい。」

「はい!!」


ペンギンとシャチは、まるでローのその指示をまっていたかのように即答した。


「トドメはさすな。……………おれがやる。」


低く、冷たく放たれたその声に、ペンギンとシャチの身体がぞくりと揺れる。


「わっ…わかりました!!」

「今日中には、必ず。」


そう答えながらペンギンとシャチは部屋を出ようと、ドアに手を掛けた。


が、それよりも先にドアがひらかれる。


「ダリア…」


そこには、蒼ざめたカオをして立ち竦んでいるダリアがいた。


「あなたたち………いったいなにをするつもりなの…」

「……………おまえは知らなくていいことだ。」

「そういうわけにはいかないわ…!」


ペンギンに向かってそう叫ぶように言うと、ダリアは病室にいるローへとズカズカと歩み寄った。


「おいっ!!ダリアダメだ!!」


シャチの制止を聞かず、ダリアはローの背中に噛みつくように問い掛ける。


「あなた………なにをするつもりなのっ…!」

「…………………。」

「医者なのよ、あなたはっ…!」

「…………………。」

「あとは警察に任せればいいじゃないっ…!」

「…………………。」


なにを言われてもピクリとも動かないローに、ダリアは苛立ちを覚えてローのまえに回りこんだ。


「ちょっとトラファルガーせんせっ…!……………!!」


ローの目を見たダリアは、それ以上声を出すことができなくなった。


はじめて見る、ローの冷徹な目。


そこにいるだけで、呼吸を止められてしまいそうなほど、冷たく、おそろしい。


自然と身体が震えて、ダリアのこめかみからは冷や汗が垂れた。


「……………ダリア、出るぞ。」


ペンギンはダリアの腕をつかむと、ダリアの身体を引きずるようにして部屋を出た。


―…‥


「あれは……………だれなの…」


部屋を出たダリアは、呟くようにそう口にした。


「……………ダリア、ひとつ忠告しておく。」

「…………………え?」


ダリアがカオを上げると、いつものやさしくて紳士的なそれとは程遠い、眼光するどくしたペンギンと目が合う。


「キャプテンと長くいたいなら……………ああいうときのキャプテンには間違っても逆らうな。」

「…………………。」

「逆らえば、だれであろうとただでは済まない。」

「…………………。」


冗談、ではない。


ペンギンのまっすぐな瞳が、それをもの語っている。


ダリアは小さくうなづくことしかできなかった。


「お話し中、よろしいかしら。」


ふと、清廉な声が聞こえて、全員がその方向へ視線を向けた。


「ニコ・ロビン…」

「ロビン!」


ペンギンとシャチが驚きの声を上げた。


「お久しぶりね、ふたりとも。」


ロビンはニコリと微笑むと、一枚の紙をさし出した。


「これは…?」

「この方に話を聞いてみるといいわ。***が刺されたとき、たまたまそこに通りかかったのがこのひとなの。」

「…ということは…」

「えぇ…おそらく犯人の姿を目撃してる。」

「そうか………恩にきる、ニコ・ロビン。」

「***のためよ。……………こらしめてちょうだい。」


ペンギンは小さくうなづくと、紙をうけとって走り出した。


シャチもその後に続く。


「……………狂ってるわ。『報復』なんて…」


そのやりとりを見ていたダリアが、だれにともなく言った。


「あら、ご存じなくて?」

「……………え?」


ロビンは、ダリアに向かって微笑むとサラリと言い放った。


「狂ってるわよ、あのひとたち。尋常じゃないわ。……………とくに、」


病室に目を向けてから、ロビンは続けた。


「…外科医さんは私の理解の範疇をこえてる。」


クスクスと楽しそうに笑うロビンに、ダリアはまたもゾクリと身体を揺らす。


「……………怒ると手がつけられない………そういうことかしら…?」

「ふふっ…いいえ?」


ゆっくりと首を振って、ロビンはダリアにこう告げた。


「『怒ると』じゃないわ。










『***のことになると』………よ。」


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