19

「ねぇ、トラファルガー先生知らない?」


院内ですれ違ったナースにそう問い掛けると、ナースは少しだけカオを歪めて視線をそらした。


その表情から『嫉妬』を感じとったダリアは、心の中で苦笑いをした。


「……………先程中庭で見かけましたけど…」

「そう、ありがとう!」


ダリアはニッコリと微笑んでそう言うと、中庭へと向かった。


中庭を見回してその姿を見つけると、ダリアは小走りでローの元へ向かった。


「トラファルガー先生!」


その呼び掛けに振り向いたカオが、いつもより疲労をおびている。


「さっきの急患の子は…」

「…………………。」

「……………そう………やっぱり…」


ダリアは視線を地面に下げた。


「鬼畜な野郎がいやがる。……………メッタ刺しとはな。」


ローは吐き捨てるようにそう言うと、胸ポケットから煙草をとりだして火をつけた。


ここ何日か、ローとダリアのいる病院にはひっきりなしに急患が運ばれるようになった。


『通り魔』による犯行で、被害にあった女たちだ。


はじめのうちは、ほんの少しの刺しキズ程度だったが、日に日にその凶行はエスカレートし、いまやテレビ画面には『通り魔殺人鬼』の文字が躍っている。


「いつになったら終わるのかしら、こんなこと…」

「…………………。」


重体で運ばれてくれば、手術を行うのはロー、ローがいないときはダリア。


そうでなければ、助からないからだ。


その甲斐あって、救えそうにもなかった命に再び灯がともることも多々あったが…


力が及ばないケースがあったのも現実。


ローの目から見ても、ダリアは肉体的にも精神的にも追い詰められている。


そんなダリアの様子を見て、ローは小さく溜め息をつくと、おもむろに携帯電話をとりだした。


「…トラファルガー先生?」


なにやらどこかに電話をしているようだと悟ると、ダリアは少しだけローから距離をとった。


「……………あァ、おれだ。いつもの店こい。………あァ、ペンギンたちも適当に呼べ。……………ダリアも連れてく。…………あァ、じゃあな。」


ローは通話を終了させると、ダリアのほうへ振り向いた。


「トラファルガー先生………いまのって、」

「シャチだ。今日の夜いつもの店行くぞ。」

「……………トラファルガー先生、でも…」


ダリアは視線を泳がせた。


いまは、ローと自分が一緒に病院を離れるわけにはいかない。


ローはダリアのその表情を見て、また溜め息をついた。


「医者が病気みてェなカオしてんじゃねェよ。」

「……………え?」

「んな辛気臭ェ医者に診察される患者の身になってみろ。」

「…………………。」


ダリアは深くうつむいた。


「店はここから近ェし、なんかあったらすぐ戻れる。酒は飲まなきゃいい。……………シャチのアホヅラ見てるだけでも少しは気紛れんだろ。」

「……………トラファルガー先生…」


……………私のために…


そのことを察したダリアは、胸を熱くした。


ローに近寄ると、その肩に頭を預ける。


「ありがとう…トラファルガー先生…」

「……………おまえのためじゃねェよ。おまえの辛気臭さがこっちにも移るんだよ。」


「…素直じゃないひと。」

「あァ?」


口ではそう言いながらも、振りほどかないローにいとおしさを感じながら、ダリアはパッとカオを上げた。


「そうときまったらさっそくいまの仕事片付けなきゃ!終わったら連絡するわ!」


じゃあね、と元気に手を振って、ダリアは足どり軽く院内へ戻っていった。


ローはその後ろ姿を見送りながら口の端を上げた。


……………おもしれェ女。


自分も院内への道を戻ろうと踵をかえした瞬間、携帯電話が震えた。


ディスプレイに映し出されたその名前を見て、ローは目をまるくする。


……………めずらしいな。


ローはすぐに通話ボタンをおした。


『あっ、もっ、もしもし、ロー?』

「おれ以外にだれが出んだよ。」

『う、…い、いまちょっと大丈夫かな。』

「そうじゃなかったらでてねェ。」

『そ、そうですね…』


いつものように屁理屈でそうかえすと、***もいつものように困ったような声を出した。


電話の向こうの***の表情を思い浮かべて、ローは口の端を上げる。


「おまえから電話なんてめずらしいな。なんか用か。」

『あっ、ごっ、ごめんね。……………に、日曜日のことなんだけど…』

「……………日曜ってなんのことだ。」

『…………………え、……………あ、え…………っと、』


予想どおりのその反応に、ローは声を出して笑いそうになるのを堪えた。


……………すぐだまされる。


バカなヤツ。


『あ、…………あの、……………お、覚えてなかったらいいんだけど、』

「………9時に迎えに行くから外で待っとけよ。」

『……………え?』

「忘れるわけねェだろ。おまえじゃねェんだ。」

『……………そ、そっか……………そうだよね!うん、わかった!9時に待ってるね!』


ローのその言葉に、***は弾むようにそう答えた。


その表情がどんなものかは、見なくてもわかる。


『…あ、あとさ、』

「あ?」


なぜかモゴモゴと電話の向こうで口ごもる***に、ローは眉を寄せた。


「なんだよ、さっさと言え。」

『あ、あの、……………お、………お弁当つくっていこうかと思ったんだけど…』

「…………………。」

『あっ、あのっ、別に嫌だったらいいんだけどっ、』

「食えんのか、それ。」

『…ちゃ、ちゃんと味見します…』

「…好きにしろよ。」

『……………いいの?』

「…食えるモンつくってこいよ。」

『………わ、わかった!あっ、ローなにか食べたいのある?なんでも言って!』

「…………………………カレー。」

『…………………………え。』

「カレー。つくってこいよ。」

『ロ、ロー、あ、あの………お、お弁当なんだけど…』

「なんでもいいんだろ。」

『あ、いや、ま、まぁ…』


あきらかに戸惑っている***の様子に、ローはさらに口の端を上げた。


もちろん、冗談にきまっている。


それでも***はローの言うことを信じて思案する。


………これだからコイツとの付き合いはやめらんねェ。


「おまえ今日仕事終わったら病院こい。」

『え、な、なんで?』

「いいからこいよ。どうせヒマだろ。」

『い、いや、それが………今日は………その、』


***のその歯切れの悪さに、ローはたちまち不機嫌になった。


「おまえ………だれに会うつもりだ。」

『ちっ、違うよ!しっ、仕事がたぶんまだ終わらなくて…』

「…………………。」

『ほ、ほんとだよ。』


……………うそじゃねェな、これは。


***のその答えに、ローはあきれたように溜め息をついた。


「相変わらず仕事遅ェな。」

『う、』

「……………***。」

『え?』

「…………………。」


***のことだ。


仕事はおそらく夜遅くまでかかる。


通り魔のことが気にかかった。


だが、被害があった地域から***の住んでいるところまでは、たいぶ距離がある。


……………まァ、大丈夫か…


「……………ぼやっとして歩いてんなよ。」

『……………へ?』

「返事。」

『ハイ。』


……………ほんとコイツはおれに従順だな。


きっと、おれとコイツは一生このままなんだろうな。


「じゃあな。カレーちゃんとつくってこいよ。」

『あっ、ロー!』


切ろうとした瞬間、***に呼び止められた。


「なんだ。」

『あ、あの……………た……………楽しみにしてるね、ロー。』

「……………あァ。」


じゃあ、と控えめな声のあと、ツーツーと通話の終了を知らせる音がローの耳に届く。


ローは携帯電話をポケットに戻すと、再び院内への道を歩いていった。


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