06

 外に出ると、陽の光で目が眩んだ。


 ジリジリとご機嫌に自分を照りつけるそれを、苦々しく睨みつける。


 ローは院内中庭のベンチに座ると、背もたれに大きく寄りかかった。


 遠くから自分をみているナースたちのつんざくような声が、ローの耳に届いた。


 ……うるせェな。


 ローは煩わしく思いながら、目を瞑った。


 もう何日もろくに眠っていない。もともと睡眠をとる方ではないローにとっても、身体に負担がきているほどだった。


 ローに任される手術は多い。その数はベテラン医師のそれを優に越え、今やこの大病院のトップとなっている。その実績が、ローの技術の高さを物語っていた。


 ローは、瞑っていた目を開いて空を仰いだ。


 白衣のポケットから、スマートフォンを取り出す。


 メールくらい入れといてやるか。


 今日は、***の誕生日だ。先週祝ってはやったが、***の性格上、当日にメールの一つでもないと拗ねてしまう可能性がある。


 本人はそんな素振りをみせていないつもりだが、これほど長い付き合いになると、表情の微妙な変化で心情が読みとれる。


 意外とめんどくせェからな、アイツは。


***の拗ねたときの表情を思い浮かべて、メールを作成しようしたときだった。


「トラファルガー・ロー」


 突然自分のフルネームを呼ばれ、視線だけを声のした方へ向けた。


 逆光で見えにくいが、女である。


「トラファルガー・ロー……先生でしょ?」

「……誰だ、てめェ」


 不機嫌なオーラはそのままに、相手を睨みつけながらそう言うと、女はクスクスと笑いだした。


「噂通り。怖い人ね」


 ローは眉をしかめると、立ち上がって院内への道を歩いた。


「私、ダリアっていうの。あなたと同じ外科医よ。昨日からこの病院に赴任になっ」

「聞いてねェ。うせろ」


 後ろについて一緒に歩き出した女にますます苛立ちを感じて、ローは吐き捨てるように言った。


「ふふっ、そんなに怒らなくてもいいじゃない、ロー先生」

「気安く名前呼ぶんじゃねェ」


 ローは女に名を呼ばれることを嫌う。


 それが許されている女は、この世でたった一人だ。


「わかったわ、トラファルガー先生」

「なんなんだ、てめェ。用があるならさっさと言え」


 歩くスピードをゆるめることなく問いかける。


「私とセックスしてほしいの」


 ローはぴたりと足を止めて、初めて女を視界に入れた。


「あァ?」

「だから、私とセックスしましょうよ。トラファルガー先生」


 女は笑みを浮かべたまま、ローをまっすぐに見つめてそう言った。


「アホか、てめェ」

「あら、どうして? したいと思ったからそう言っただけよ」

「……」


 ローはじろりと女を見た。


 黒く艶やかな長い髪。肌色は健康的で、透き通っている。そこらのモデルよりもそれらしい体型に、大きな切れ長の瞳が、その整ったカオを装飾している。


「なんのつもりだ」


 こんなふうに言い寄ってくる女は掃いて捨てるほどいる。


 それ自体にはなんの疑問も抱かなかったが、さすがのローも職場で、しかも会って数秒の女に、ストレートに「セックスがしたい」と言われたのは初めてだった。


「あら、理由が必要? 今や医学会であなたを知らない人はいないわ。あなたに興味があったの。……で、会ってみたら素敵な人だったから抱かれてみたいと思ったの」


 強いて言うならこういう理由かしら、と付け加えて女は笑った。


「……」

「ふふっ。べつにセックスしたからって、付き合ってくれとかそんな面倒なこと言うつもりもないわ。あなたそういうの嫌いそうだもの。私、カタチにはこだわらないの」


 そう言いながら、ポケットから一枚の紙切れを出した。


「もし少しでもその気になったらここへ来て」


 そこには、超高級ホテルの名前と、部屋番号が書かれていた。


「……少しでも気が向いたら、な。言っておくが行くかはわかんねェし、行くとしても何時になるかはわかんねェ」

「わかってるわ。先生はこの後も何件かオペ入っているものね。待ってるわ」


 そう言うと、女は白衣を翻して去っていった。


……悪くねェな。


 その後ろ姿を見ながら、ローは思った。


 自分の欲求に貪欲で、忠実なところが自分とよく似ている。カマトトぶっているような女より、数段印象は良かった。


 ローはその紙をポケットに入れると、また院内への道を歩き出した。


 ローとダリア。二人の出会いである。


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