02
まずい……! 五分の遅刻だ!
あの不機嫌極まりないカオを思い浮かべれば、自然と足取りも重くなる。
いいかな。帰っちゃってもいいかな。いやしかしその方が後が怖い。いやでも……。
葛藤を駆け巡らせながらも、足は迷いなく目的地へ向かっていた。
*
店の中へ入り、いつもなんとなく座る席へ向かう。
見慣れた不機嫌なカオが目に入った。
……やっぱり帰れば良かった。
「……遅ェ」
最初のその間が怖い。威圧感が半端ない。
「お、おまたせいたしました。ごめんなさい」
とりあえず頭を丁寧に下げてみた。
謝るに限る。それに尽きる。
「……座れ」
「ハイ」
素直に従う。それに尽きる。
「……なんで遅れた」
「し、仕事がですね。片付かなくて、ですね……」
「そうかそうか。おれはおまえが無能なばかりに待たされたのか」
「ち、ちょっと今日は忙しくて……で、でも一つ言わせてもらえば、ローももう少し早く連絡くれれば……せ、せめて前の日とか」
「……」
「あ、うそですごめんなさい」
隈の刻まれた鋭い眼でぎろりと睨まれれば、そう答える外ない。
「……何にする」
「……え」
「なんだよ」
「あ、い、いや。じゃあ……ウーロンハイを」
お説教は終わりらしい。どうしたことか。いつもならこの倍はネチネチ攻められる。
……なんかいいことでもあったのかな。
「もしかしてロー……あ、新しい恋人でもできたの?」
「あァ? それがどうした。……それよりおまえ、昼前のメールに五分以内で返事をしたのは正解だったな」
あと一分遅かったら、もう三十分説教を延ばすつもりだった。
そうにやりと笑って、目の前の陰険な男は酒を煽った。
あの時の私の迅速な判断に今日は乾杯だ。
「ローってそういえば、なんで前の恋人と別れたんだっけ」
すごくかわいらしい子だった。街でたまたま会った時挨拶したけど、感じも良くて、スタイルも良い……確かモデルさんじゃなかったっけ。
「あァ……他の女とヤってるとこ見られた。そのまま引き返しゃいいのに乗りこんできて喚きやがるから」
聞けば、行為を中断されたのが気に食わなかったらしい。その場で別れてさっさと追い返し、続きを始めたという。
……分からない。私には、この人の思考がまったく理解できない。
「そっか。可哀想に」
「まったくだ」
あんたじゃない。
そうツッコミたかったが、怖くて止めた。
「おまえはどうなんだよ」
「え?」
「男、できたのかよ」
「……」
ローとは週一くらいのペースで会っている。そういつも同じことを訊かないでほしい。人間そう簡単に環境は変わらない。
「おまえいい加減にしろよ。選べる立場か。高望みしてんじゃねェよ。カオもスタイルも大したことねェんだから」
な、なんて失礼なんだろう。
何度言われても、初めて言われた時のように新鮮に腹が立つ。
「べ、別に選んでないもん。好きになれる人がいないだけだもん」
「それを選んでるっていうんだよ」
「え、選ぶも何も男の人に付き合って下さいとか言われないもん。選びようがないもん」
「言ってて空しくねェか、それ。それにさっきからもんもんもんもん言い過ぎなんだよ気色悪ィ」
わ、悪かったね。どうせローみたいに、選び放題じゃないよ私は。
ふと店内を見回せば女性客や、店員まで頬を染めてこちらをちらちら伺っている。ローを見ているのだ。
整ったカオ立ち。すらりと伸びた長い足。嫌味のない色気。漂う品格。
そこらの芸能人やモデルよりも、人を惹き付けるオーラがある。
そんな華やかなローとは真逆のベクトルを向いている私にとって、幼なじみでもなければ一生付き合うことのない人種だ。
でも声を大にして言いたい。口と性格は悪い。
「少しでもいいと思ったらとりあえずヤってみろ。おまえは頭で考えすぎなんだよ。本能に従え」
「ロ、ローは本能に従いすぎだと思うよ。理性って大事だよ」
まったくの正反対。考え方も、価値観もまるで違う。
それでも、ローと私はなぜかずっと一緒にいる。居心地が良い。私にとっては唯一無二の、何でも話せる男友達だ。
ああでもないこうでもないぎろりごめんなさいを散々繰り返して、ローとの時間は今日も穏やかに過ぎていった。
*
「じゃあね、ロー」
「あァ……あ、***」
「え? おわっ……!」
振り向いた瞬間に、目の前に何かが降ってきた。
見事に落とした。
「どんくせェな」
ふつう投げるにしても、相手が振り向いてからだと思う。タイミングがおかしい。もっと言わせてもらえば手渡してほしい。
「な、なにこれ……あっ!」
中身を見てみれば、私がほしがっていた大好きなアーティストの限定版CDだった。
人気過ぎて予約に間に合わず、泣く泣くあきらめたのだ。確かもう販売していない。
「……たまたま行った店にあった」
そんなはずない。血眼になって探した私が言うんだから間違いない。
それに、私がこのことをローに話した記憶がない。おそらく、なんかの会話の合間に少し話した程度だろう。
……そうだった。ローって、こういう人だった。
「三倍にして返せ。あと次のメールは一分以内に返せ」
「う、うん! ありがとう、ロー!」
笑ってそう返せば、答えるように後ろ手にひらひらと手を振って、ローは去っていった。[ 2/70 ][*prev] [next#]
[mokuji]
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