幼なじみの誘惑 -Izo-

「こんばんは! 花火しよう!」

「……」


 花火片手にピンポンを押せば、至極面倒くさそうなカオに迎えられた。


「いやだね。じゃあ」

「あああっ! 待って待って! ほらっ、線香花火もあるよっ! 風情があるよっ!夏の最後の思い出にどうですかここはおひとつっ」

「なんで夏の最後を、おめェみてェなしみったれた女と一緒に過ごさなきゃならねェんだよ」

「まァまァまァまァ、そんなこと言わずに! ほらほら!」

「おまっ、力強……!」


 ほどよく筋肉のついた細腕を無理やり引けば、「わかったからひっぱんな!」と、切れ長の目をさらに吊り上らせて、イゾウは言った。


 近所の公園までイゾウを連れ出すと、私は持ってきた花火の袋をバリバリと開けた。


「まずはやっぱり派手目のやつからだよね! はい、イゾウ!」

「おれァ線香花火だけでいい。おまえがやんな」

「ええ、ノリが悪いなァ」

「おれがいつノリノリで来た」


 絹のような黒髪を軽くかき上げながら、イゾウは近くにあったベンチに座った。


 脚を組んだ拍子に着流しが乱れて、際どいところが見えそうになる。


 思わずガン見していたら、イゾウが「スケベ」とからかうように口を歪めた。


「なんかさー」

「あん?」

「夏、全然会えなかったね」

「あァ、そうだな」

「ど、どこか行ってたの?」

「あァ? べつにどこってことはねェよ。テキトーにあっちこっちな」

「……お」

「あん?」

「女の人のとこ?」

「あァ」


 しれっと答えるイゾウのカオをじとりと睨み上げると、その倍の眼力で睨み返された。


「さばききれなくてなァ」

「なにが?」

「寄ってくる女が多すぎて」

「……あっそ」

「あともう一個ついてりゃあなァ。全員相手できたんだけどな」

「? あともう1個ついてたらって、なにが?」

「なにっておまえ――ちん」

「ぎゃあああああっ! なんてこと言うの!」

「……おまえが聞いたんだろうが」


 赤、黄、緑、青。


 花火の光に照らされるイゾウの横顔は、とても綺麗だ。


 とても綺麗で、とても嫌い。


 私以外の女の子が夢中になるイゾウの美しさなんて……嫌い。


「おまえは?」

「へ?」

「なにしてたんだよ、夏」

「……私は」

「あァ」

「わ、私も、デート!」

「デートだァ? おまえが?」

「そうだよ。公園に行ったり、お散歩したり」

「それはそれは。ゴケンゼンなこって」


 イゾウはだるそうに首根っこを掻きながら、興味なさげにそう言った。


「そ、そういうのも楽しいんだよ! その、そういうことしなくてもさ」

「なんだよ、そういうことって」

「だ、だから」

「んんん?」


 イゾウはわざわざ身を乗り出して、私のカオを覗いた。


 真っ赤な唇が意地悪く吊り上っていて、私はイゾウの膝をぺしんと叩いた。


「あ、なくなっちゃった」

「どれ、出番だな」


 いよいよ残すは線香花火だけになって、イゾウはゆらりと立ち上がった。


 長くしなやかな指が、その細い糸をつまむ。


 パチパチパチパチ、と、小さな音がしたかと思うと、オレンジの光が二人の間に生まれた。


「あァ、やっぱりいいな」

「ね? 来てよかったでしょ?」

「夏の終わりって感じだな」

「うん。そうだね」


 きつめの瞳が、柔らかい光に照らされて、いくらか和らいで見える。


 いいなァ、そんな優しそうな目で見つめられて。


 ついに線香花火にまで嫉妬してしまって、私はなんとも情けない気持ちになった。


「あーあ、夏なのにときめきなんていっこもなかったなァ」

「あァ? デートしたんだろ?」

「い、いや、それは……」

「まァ、そんな腑抜け相手じゃあ、そんなもんだろうな」

「だ、誰彼構わず手出す軽薄男よりマシだもん」

「ああん?」

「すみませんでした」


 すると、イゾウは「ときめきねェ」と、小さく呟いて、何かを考え込み始めた。


 そして、


「……へ?」


 イゾウの切れ長の目が、まっすぐに私に向いた。


 淡い光に照らされて、彫刻のようなカオがより浮き彫りになっている。


 イゾウは、じりじりと近寄ってきたかと思うと、おもむろに私に向かって手を伸ばした。


 何が起こるのか、まったく見当がつかなくて、私はイゾウから目が逸らさないでいた。


 イゾウの左手は、私のカオの真横を通り過ぎて、後ろにあった木に着地した。


 あ、あれっ? こっ、この体勢はっ、


 もしやっ……!


「女は、ほんとにこんなんが好きなのか?」

「はっ、はい?」

「いまCMでやってんだろ。カップラーメンの」

「え、あ、う、うん。そう、そうだった、かな」

「で?」

「え?」

「どうなんだよ」

「ど、どどどど、どうって……」


 数センチ先に迫った美しいカオが、ニタリといたずらに歪んだ。


「ときめいたか?」

「っ、なっ……!」

「おまえには、こんくれェで十分だ」

「いだっ!」


 私のおでこをペチンと叩くと、イゾウはその体勢をといて再び線香花火に向き直った。


「な、なにするのさ」

「あァ? おまえがときめきてェって言うからやってやったんだろ」

「ち、違うよ。おでこだよ、おでこ」

「あァ。なんかうっとりしやがるからムカついて」

「うっ、うっとりなんてしてない!」

「どうだか」


 ちょうどそのとき、ポト、と黒い玉が地面に落ちた。


「あ、終わった」

「あァ、そうだな」

「……」

「……」

「……帰ろっか」

「……あァ」


 言葉少なげに、二人で花火の残骸を拾う。


 夏の終わりは、これだからいやだ。


 別れ際なんてただでさえ寂しいのに、さらにそれを増幅させる。


「おら、行くぞ」

「はーい」

「はいは延ばすな」

「はーい」


 あーあ、またしばらく会えないんだろうな。


 幼なじみなんてほんと、近いようでいて、遠い。


 前を歩くイゾウの背中を見ていたら、くるりとイゾウが振り向いた。


 そして、「おせェ」とぶっきらぼうに言いながら、イゾウは私の手を取った。


 意外と世話焼きなところは、昔から変わらない。


「で?」

「なにが?」

「だれとデートしたって?」

「……近所で預かってたわんちゃん」

「……んなことだろうと思った」

「へへっ」


 今年も、幼なじみの隣で、夏が終わりました。


幼なじみの誘惑


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