星空みつめる、とうひこう
「よォ、エース。おまえさんは、なにかほしいもんとかねェのか?」
賑やかな甲板のなかで、その声ははっきりと私の耳に届いた。
それはおそらく、そう言ったイゾウ隊長の声が、アルコールのせいでいつもより大きくなっているからだけではないだろう。
知りたい。すごく知りたい。エース隊長の、ほしいもの。
お酒を配り歩きながら、私は笑い転げるクルーたちをうまくかわして、じりじりとその方へ寄って行った。
「あァ?ほしいもの?」
「おうよ。おまえさん、あまり買いものをしないだろ。買うといえば、あれか。女くれェか。」
漆黒の糸をはらりはらりと垂らしながら、イゾウ隊長はその真っ赤な唇のはしを吊り上げた。
「そういや、おまえが何か買ったりほしがったりしてんの、見たことねェなァ。」
サッチ隊長が、記憶を辿るように左ななめ上を見上げた。こげ茶の瞳に、コバルトブルーの空がうつりこむ。今夜は星がとてもきれいだ。
「だろう?そうなんだよ。これじゃあ、おめェ。プレゼントしようにも何やっていいかよォ。」
「べつになにもいらねェよ。」
「そうそう!エースなんて、ご飯だけ与えておけば十分なんだから!ねっ、エース!」
小さな棘を含ませてハルタ隊長がそう言えば、エース隊長はむっと唇をへの字に曲げた。
が、図星だったのか、特に反論はしなかった。
「なにもいらねェってことはねェだろうよい。なんたって日付がかわれば明日は、」
「そう!おまえの誕生日なんだからな!」
マルコ隊長、ラクヨウ隊長にまでそう問い質されて、エース隊長はついに何かを考えるようにして腕組みをはじめた。
「なんでもいいんだぜ、エース。」
「そうそう、お兄さんたちにおねだりしてみなさい!」
「どうするマルコ。すっごい高価なものだったら!」
「大丈夫だよい、そのためのラクヨウだ。」
「おいコラ!おまえが一番金持ってるくせに!」
やいのやいのと言い合う横で、エース隊長はそれでも身動きひとつしなかった。
思いの外真剣に考えているらしいとわかれば、自然とみんなが押し黙る。
すると、数十秒経ってから、エース隊長はおもむろに立ち上がった。
そして、甲板のはしに立って、海に向かって仁王立ちをする。
もちろん、隊長たちはなにごとかという感じで、エース隊長の動向を見守っていた。
みんなの期待やら好奇心やらを一身に受けて、エース隊長は大きく息をすった。そして、一言。
「すっっっっっ、げェイイ女が抱きてェェェェェ!!」
海なのに、やまびこが聞こえるんじゃないかというくらい、大きな声だった。
当然、その声は船内を優にかけめぐったので、全船員が水を打ったようにしずまりかえる。
そして、すぐに大爆笑に包まれた。
「エース!そりゃあおめェ、おまえらしいな!」
「けどよエース隊長、イイ女なら十分抱いているだろう!なァ?」
「そうだぜ!このまえだって、町一番のべっぴんを食ったばかりじゃねェか!」
「そのまえなんて、あれだぞ?男ぎらいな気位の高い女を口説きおとしたっていう話だ!」
「あァ!あれもえらくイイ女だった!」
「それに、さっきだっておまえ、町の人気ナンバー1から3まで、いっきに相手したばかりじゃねェか!」
「おまえそれ以上を望むってんなら、そりゃあ罰が当たるってもんよ!」
みながそれぞれ、エース隊長の武勇伝をあれやこれやと語りだした。
隊長たちはというと、弟分の「らしい」言動が気にいったのか、えらく上機嫌にエース隊長にからんでいる。
私は、ポケットのなかのベリーをじとっと見つめた。
とてもではないが、エース隊長のお目がねかなうべっぴんさんは買えそうにない。
いや待てよ、べっぴんさんの人形とかならどうかな。
いやいや、エース隊長に人形とエッチしろっていうのか。
いや、そもそも好きな人にどうしてそんなものをプレゼントしなければならないのか。
いやでも好きな人だからこそほんとにほしいものをあげたいと思うし。
ここはやっぱり間をとって人形かな。よし、さっそく明日町に探しに、
「よーし、エース!そこまで言うならこのサッチ様が必殺技を伝授してやろう!」
私の思考をさえぎったのは、サッチ隊長のひときわ大きな声だった。
サッチがまたおもしろいことを始めるぞ、と、クルーたちもみな注目する。
むろん、私の目も奪われた。
「いいかエース。これからの人生で、おまえがこれ以上ねェっていうくらいのイイ女に出会ったら、誠心誠意こめてこの技を繰り出せ。」
そう言うと、サッチ隊長は立ち上がって、精神を統一するしぐさをした。
エース隊長を筆頭にみんなが固唾をのんでそれを見守ると、サッチ隊長は近くにいたナースさんに向かってひざまずいた。そして、
「おねがいしますっ!!ヤらせてくださいっ!!」
その言葉と共に、がばっと頭をさげておでこを甲板の床にこすりつけた。
みごとな土下座だった。
「ぎゃははははは!サッチ隊長バカすぎる!」
「バカすぎるが正しい!正しいぞ!」
「さすがサッチだな!」
「おいエース!これが男ってもんだ!見倣えよ!」
サッチ隊長の悪ふざけに、イゾウ隊長やラクヨウ隊長はげらげらと、マルコ隊長とハルタ隊長は呆れたように笑った。
エース隊長はといえば、なにやら真剣なカオをしてぼおっと突っ立っている。
んんん?エース隊長?
エース隊長のその様子に気づいたのか、マルコ隊長は訝しげにそのカオをのぞいた。
「エース?どうしたんだよい。」
「どうしたエース。そんな真面目なカオして。」
イゾウ隊長までもがそう尋ねれば、みんながエース隊長を見た。
どうしたどうしたと、みんながいっせいに首をひねる。
すると、エース隊長はサッチ隊長のほうを向いて至極真剣な顔つきで言った。
「ほんとか?」
「は、はい?」
「ほんとにそれやればいいんだな?」
「い、いや、エースくん?今のはほんのジョーダンっていうか奥義っていうか、…お、おい!エース!」
サッチ隊長が言いおわる前に、エース隊長はくるりと身を翻して歩き出していた。
アルコールのせいか、よたよたとした足取りで船内を突き進んでいく。
そんなエース隊長に気圧されるようにみんなが道を譲ると、エース隊長は吊り下げられたはしごのところまできた。
私も含めたみんなが、てっきり町に向かうものだとばかり思った。
だが、ちがった。
エース隊長は、ある女の前でぴたりと止まった。
そして、女に向き合うようにして立つと、まっすぐにその目をみつめた。
エース隊長の宝石みたいなきれいな瞳に、女のぽかんとしたカオが広がる。
なんともまぬけな、
…私のカオが。
「え、あの、…え?」
訳がわからず唖然としていれば、エース隊長はゆっくりと私の前にひざまずいた。
そして、丁寧に丁寧に頭をさげて、やがて床におでこをこすりつけて、一言。
「おねがいしますっ!!今夜、ヤらせてくださいっ!!」
その高らかな声が、コバルトブルーの空にひびいた。
星たちがびっくりしておっこちてくるんじゃないかと思うくらい、大きな声だった。
私を含めたみんなが、あっけにとられてしばらく放心した。
本日二回目の沈黙は、オヤジさんの地鳴りみたいな笑い声でかき消された。
「グラララララッ…!!おいエース!!よくやった!!これでおまえもホンモノの男よ!!」
オヤジさんがそう賞賛すると、船内ははやし立てるような大喝采に包まれる。
さすがの隊長たちも、エース隊長の行動におどろいたようだった。
「なんだエース!おまえさん、***に惚れてたのか!」
「そりゃあおどろきだよい。」
「ね!全然気が付かなかった!」
「むしろおまえ、***ちゃんの前じゃあんまり話さねェじゃねェか!」
「バーカ、サッチ!だからだろ!エースはああ見えて純情だったらしい。好きな女の前じゃあ、しおらしくなっちまうんだろうよ!」
船内中がやいのやいのと騒ぎたてても、エース隊長は土下座スタイルのままぴくりとも動かなかった。
私も、そんなエース隊長から目を離せないでいた。
あまりにも唐突すぎて、予想外すぎて、どうしていいかわからない。
すると、そんな私たちの状況を見ていたマルコ隊長が、「やれやれ」と困ったように笑いながら私たちに近づいてきた。
そして、エース隊長のとなりで、同じようにひざまずいた。
まさかと思いながらそれを見守っていると、そのまさか。マルコ隊長まで土下座をしはじめた。
「***。めちゃくちゃ言ってんのもやってんのも、承知だよい。」
「マっ、マルコ隊長…!!」
「だけど、叶えてやってくんねェか。コイツが望みを言うなんて、天地が引っくりかえってもねェことなんでな。」
すると、ぞろぞろと隊長クラスの人たちがエース隊長の周りに並びはじめた。
世界の名だたる海賊たちがおそれをなす、白ひげ海賊団全16隊長たちが、小娘一人に向かってみないっせいに土下座をした。
「やっ、やめてくださいっ…!!あのっ…!!頭を上げてくださいおねがいしますっ…!!」
懇願するように私は叫んだ。なぜか私も隊長たちに向かって土下座した。
みんなは、もうこれ以上ないっていうくらいに盛り上がってげらげら笑ってるし、オヤジさんまで、なぜかうれしそうにグラグラと手を叩いている。
私はもうどうすることもできなくなって、エース隊長にまけないくらいの大きな声でこう叫んだ。
「ああっ、もうっ…!!こちらこそっ、ヤらせてくださいっ!!おねがいしますっ!!」
なかばやけくそ気味にそう叫ぶと、エース隊長はやっと頭を上げた。
「…ほんとか?」
「え?」
「ほんとにいいのか?いいんだな!?」
すると、エース隊長はすくっと立ち上がって、「よっしゃあああああ!!」と雄たけびを上げた。
船内に口笛がひゅうひゅうと鳴りひびいて、やがて大きな拍手にかわった。
エース隊長は、隊長たちみんなに抱きつきながら礼を言うと、私の身体をひょいっとかかえ上げた。
「オヤジすまねェ!明日ちゃんと祝われるから!」
みんなも悪ィ!と、エース隊長は船内へと走りながらクルーたちにそう詫びた。
「エース隊長ー!頑張れよー!」
「いや、***ー!頑張れよー!」
「死ぬなー!生きて帰れー!」
「エース!とにかくハッピーバースデー!」
「バーカまだ早ェよ、おまえ!」
こうして甲板では、祝い主不在のまま、バースデー前夜パーティーが再開催された。
私とエース隊長だけが、甲板をあとにした。
―…‥
担ぎこまれたまま船内をしばらく行くと、見なれない船内の風景が見えてきた。
めったに立ち寄ることのない、隊長クラスの部屋が固まったフロアだ。
エース隊長はそのなかのひとつのドアをあけると、中へ入った。
かちゃりと、カギの閉められた音がした。
するするとエース隊長の肩からおろされると、私はようやく地に足をつけた。くわん、と、少しめまいがした。
重い沈黙が訪れた。息をするのもはばかれるほどの。エース隊長も私も、そのままぴくりとも動かなかった。
そろお、っと、エース隊長を見上げた。
テンガロンハットがじゃまで、その表情はうかがい知れない。
でも、かくれきれていない耳は、ゆであがったように真っ赤だった。
信じられない。
エース隊長が、
私を。
すると、エース隊長は「あああ」と、うめきながらしゃがみこんだ。
テンガロンハットのつばを両手でつかんで、ぎゅうぎゅうと、下へ下へと引っ張る。
「…ダメだ。」
「は、はい?」
「おれ、ダメだ。」
へたり、と、床にお尻をくっつけて、エース隊長は言った。
「一緒にいるだけで、なんかもう、いっぱいいっぱいだ。」
「エ、エース隊長…」
「すぐにさわっちまうの、なんか、…もったいねェ。」
胸が、熱くなった。
エース隊長が、エース隊長らしくなくて。
なんだか、とてもうれしかった。
「あ、…あの、」
そう呼びかければ、エース隊長の肉厚な肩がぴくりと揺れた。
テンガロンハットが、おずおずと押し上げられていく。
目が合うかなと思って少し屈んでみたけど、いじけた子どもみたいに目をそらすもんだから、それは叶わなかった。
「もし、あの、…よかったらなんですけど、」
「…おう。」
「今夜は、星がきれいなので、」
「…おう。」
「星でも見ながら、お祝いしませんか。その、…二人で。」
「…………………。」
「あっ、あのっ、よかったら!です!よかった、」
すべて言いおわる前に、エース隊長は立ち上がった。
こほん、と、小さく咳払いをすると、ドアのほうへと歩き出した。
「…日付、もうすぐかわっちまうから。」
「え、あ、」
「行こうぜ。」
そっけない言い方に、もしかして怒らせてしまったかな、なんて不安に思ったけれど、それはちがった。
エース隊長は、ドアの前でぴたりと足を止めると、少しだけ私の方へ振り向いた。
「…手、くらいなら。」
「は、はい?」
「…手、くらいなら、いけるかも。」
そう言って、おずおずと左手をさしだした。耳はもう焼けてるんじゃないかというくらい真っ赤っ赤だった。
エース隊長。
エース隊長が照れ屋さんだったなんて、知らなかったです。
これからもっと、エース隊長のこと、知られたらいいな。
とりあえず今は、その誕生に感謝すべく。
その手を取って、星空の下まで二人で駆け出した。
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