6

「そのエレベーター待ってくれよい!」


夕暮れ時の社内、聞きなれた口癖がエレベーターの外から聞こえて、エースはすかさず「開く」のボタンを押した。


「あァ、悪いよい…ってなんだい、エースか。」

「なんだはねェだろ、なんだは。せっかく待っててやったのによ。」


そんな受け応えをしながら、エースとマルコの二人を乗せてエレベーターは下り始める。


「アメリカ行きの準備か?大変そうだな。」


マルコの両手に乗ったダンボール箱を見て、エースがそう言った。


「あァ、日程も突然早まったしなァ。準備するこっちはてんやわんやだよい。オヤジはおれに任せっきりだからねい。」

「ははっ…それだけ頼られてるってことだろ。うらやましいぜ。」

「そうかい。」

「なにか手伝えることあったら言ってくれよ。」

「ありがとよい。」


口の端を上げてそう礼を口にした後、マルコが突然、こんなことを口にした。


「おれよりも***のほうが大変だろうよい。」

「……………………………は?」


思わぬところで恋人の名が出てきて、エースは目をまるくする。


「女は男より荷も多いだろうしなァ。おまえちゃんと手伝ってやってんのか、」

「おい、ちょ、ちょっと待ってくれ、………………なんの話だ?」


慌てたようにそう問い掛けたエースに、マルコは眠たそうな目を大きく見開いた。


「なんの話っておまえ、………………まさか、聞いてねェのか?」

「え…?」


―…‥


息を切らしながら、エースは見なれたそのアパートのドアを叩いた。


「はーい」とのんきにそう返す声に、さらに苛立ちが増す。


うそだ、うそだ、


なにかの間違いだ、


だって、おれは、なにも、


「すみません、お待たせしまし、」


手にハンコを持った***が出てくると、エースはたまらずドアを目いっぱい開いた。


「エ、エース…!!び、びっくり、どうしたのいきな、」

「***!!うそだよな!?おまえっ、おまえが、……………!!」


エースの言葉は、そこで止まった。


その続きを口にしなくても、もう答えがわかったからだ。


生活感のあったその室内は、もはやそれを失っていて、ダンボールが所狭しと積まれている。


「…………………ほんとなのかよ。」

「…………………。」

「ほんとに、…………………アメリカ行くのかよ…!!」

「エ、エース、」

「なんでだよ!!なんでそんなこと…!!勝手に一人で…!!」

「お、落ち着いてエース、とりあえず中に…」


***はエースの手を引くと、室内へと招きいれた。


「ちょっと座りにくいけど、空いてるところ座ってて?今お茶淹れるか、」

「いいからおまえも座れよ。茶なんてする気分じゃねェ。」

「…………………。」


エースの有無を言わさぬその様子に、***は黙って従った。


「……………なんで勝手に決めたんだよ。」

「…………………。」

「そんな大切なこと、なんでおれに黙って…」

「…………………ごめんなさい…」


***はぽつり、呟くようにそう口にすると、小さく頭を下げた。


「謝れって言ってんじゃねェ。なんでか聞きてェんだ。」

「…………………。」

「そんなにおれは、頼りねェのかよ。」

「…………………。」

「言わなくてもいい存在だって、……………そう思ってたのか、」

「ちがうよ、エース。そんなんじゃない。」


そう強く否定をして、***は首を横に振った。


「じゃあなんで…!!」

「自分ひとりで考えなきゃって、そう思ったの。」


叫ぶように問い掛けたエースに、***はゆっくりと口を開いてそう答える。


「私のことだから、何にもとらわれないで、自分がこの先どうなっていきたいのか、考えたかった。」

「…………………。」

「エースに話したらきっと、」

「…………………。」

「話してるうちに、会えなくなっちゃうんだって実感しちゃって、」

「…………………。」

「実感しちゃったら、きっと、……………寂しくて、行きたくなくなっちゃって、」

「…………………。」

「また、エースに甘えちゃう、だめな私のままになっちゃうから、」

「甘えていいじゃねェか!それの何がダメなんだよ!」


***の言葉をさえぎって、エースがたまらず声を上げる。


甘えて、なにがいけねェんだよ。


おれたちは、恋人同士なんだ。


頼って、頼られて、


ずっと一緒にいられれば、それでいいのに。


「……………私ね、強くなりたいの。」


その***の言葉が、エースにはやけに大きく聞こえた。


「オヤジさんや、マルコさんや、…エースみたいに、」

「…………………。」

「大切なものを、自分の力で守れるように、」


***は、まっすぐにエースを見つめた。


その瞳の力強さに、エースは思わず息をのむ。


「自分に自信が持てるように、強くなりたい。」

「***…」

「ア、アメリカなんて、私には分不相応だって、オヤジさんにも、い、言ったんだけどさ、え、英語だってマルコさんみたいに話せないし、ははっ、」

「…………………。」

「……………それでも、オヤジさん、私にしかできないって、」

「…………………。」

「私のこと、信じてるって、」

「…………………。」

「だから私も、……………自分のこと、信じたい。」

「…………………。」


生半可な気持ちではないことが、エースには痛いほどよく伝わった。


いつもはふわふわしている***だが、いざとなれば芯の強い女。


そこに惹かれたのは、他ならぬ自分自身だ。


もうどんなに言っても、***がアメリカ行きをやめることはないと、エースは感じていた。


そして…


***が、自分との関係を、どうしたいと思っているのかも。


「だからね、エース、…………………私たち、」

「会いに行く。」

「……………え?」


***の言葉をさえぎって、エースはきっぱりと強い口調で言った。


「アメリカなんて、すぐだろ。」

「…………………。」

「連休だってあるし、1ヵ月に1回くらいは会えるよな!」

「…………………。」

「いまどき遠距離恋愛なんてめずらしくねェよ!」

「…………………。」

「電話も毎日する!あっ!あれ買おうぜ!電話するときカオ見えるやつ!」

「……………エース…」

「そ、それから、」


…………………なんだよ、


そんなカオすんなよ、


大丈夫だよ、おれたちは。


たった2年だろ?


春と夏と秋と冬を、2回、


2回だけ、離れて過ごせばいいだけだ。


ただ、それだけじゃねェか。


「大丈夫だ、***。おれ、***がいなくても頑張るから、」

「……………エース、」

「だから、これからも、」

「エース。」


はっきりとそう名を呼ばれて、エースの身体が小さく揺れる。


……………いやだ、


聞きたくねェよ。


「エースが大丈夫でも、……………私は大丈夫じゃない。」

「……………そんなことねェ。」

「声を聞いたら会いたくなるし、会ったらエースを日本に帰したくなくなる。」

「じゃあそのときは帰らねェ。」

「……………エースが会社来なかったら、みんなが困るよ?」

「***が寂しい思いするくらいならいい。」

「エース…」


***が、困ったように笑う。


…………………あァ、わかってるよ。


もう、決めてるんだろ?


「……………別れよう、エース。」

「っ、」

「私のことは、忘れて、」

「……………やめろよっ、」

「ちがう人とのしあわせを、」

「ふざけんな…!!」


***の腕を思いきり引いて、ベッドに無理やり押し倒した。


***の上に跨ると、乱暴に胸元を引きちぎる。


興奮しているエースとは裏腹に、***の表情は少しも変わらなかった。


エースは息を荒げたまま、***の首筋にカオを埋めた。


「……………行くなよ、」

「…………………。」

「おれのそばにいてくれ、」

「…………………。」

「ずっと一緒にいるって、言ったじゃねェか、」

「…………………。」

「おまえも、…………………おれを捨てるのかよ、」

「エース…」


すいぶん、勝手なことを言ってる。


自分のことだけ考えて、***の決意を踏みにじろうとしてる。


***のほかにも、女がいるくせに。


***がいなくなると思うと、


胸が苦しくて、


不安で、


寂しくて、たまらない。


「そうだよエース、………………私、エースを捨てるの。」


エースの頭を柔らかくなでながら、***は言った。


「バカな女だったって、……………最低な女だったって、そう思って、忘れて?」


カオを上げると、ふわり、綺麗に微笑む***のカオ。


その表情に目眩がして、目の前が真っ暗になった。



「さよなら、エース。……………いままで、ありがとう。」


―…‥
















「おかえりエース!って、わっ、どうしたの?」


びしょ濡れのまま帰宅したエースの身体を支えながら、女は目をまるくする。


「傘持ってなかったんだね、ちょっと待ってて、」


そう言って離れようとした女の手を強く引いて、エースは自分の胸のなかに収めた。


「冷たいよー、エース、」

「…………………。」

「……………エース…?」

「…………………。」

「……………泣いてるの…?」

「…………………泣いてねェよ、……………男がそう易々と、涙なんて見せるもんじゃねェ。」


………………この言葉、


昔も、だれかに言ったな…


あれは、たしか、


…………………あァ、そうだ、










『……………でもね、エース、エースも大切な人が一人ぽっちで泣いていたら嫌でしょ?』

『あァ、おれに頼れよって思う。』

『みんな、エースの気持ちと同じなんだよ。』

『おれと同じ…?』

『うん、エースが一人で頑張ってたら、寂しいんだよ。』

『…………………。』

『だから、エースの大切なひとたちのためにも、エースももっとみんなに頼って?』










『エースは、一人じゃないんだから。』










…………………***…










「さみィ…」

「そりゃそうだよぉ、びしょ濡れだもん。」


……………身体じゃなくて、


心が。


エースは、女の身体を力いっぱいだきしめた。


「……………なァ、」

「ん?」


女の額におでこを寄せて、すがるように囁く。


「…………………暖めて。」

「……………ふふっ、今日のエースは甘えん坊だね。」


そう綺麗に笑って、女はエースの手を取った。


……………そうだ、


おれには、コイツがいる。


元々、別れようと思ってたんだ。


……………これで良かったんだ。


これで、


…………………なのに、


どうして、


だれか、えて


どうしてこんなに、


胸が苦しいんだろう。


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