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「そのエレベーター待ってくれよい!」
夕暮れ時の社内、聞きなれた口癖がエレベーターの外から聞こえて、エースはすかさず「開く」のボタンを押した。
「あァ、悪いよい…ってなんだい、エースか。」
「なんだはねェだろ、なんだは。せっかく待っててやったのによ。」
そんな受け応えをしながら、エースとマルコの二人を乗せてエレベーターは下り始める。
「アメリカ行きの準備か?大変そうだな。」
マルコの両手に乗ったダンボール箱を見て、エースがそう言った。
「あァ、日程も突然早まったしなァ。準備するこっちはてんやわんやだよい。オヤジはおれに任せっきりだからねい。」
「ははっ…それだけ頼られてるってことだろ。うらやましいぜ。」
「そうかい。」
「なにか手伝えることあったら言ってくれよ。」
「ありがとよい。」
口の端を上げてそう礼を口にした後、マルコが突然、こんなことを口にした。
「おれよりも***のほうが大変だろうよい。」
「……………………………は?」
思わぬところで恋人の名が出てきて、エースは目をまるくする。
「女は男より荷も多いだろうしなァ。おまえちゃんと手伝ってやってんのか、」
「おい、ちょ、ちょっと待ってくれ、………………なんの話だ?」
慌てたようにそう問い掛けたエースに、マルコは眠たそうな目を大きく見開いた。
「なんの話っておまえ、………………まさか、聞いてねェのか?」
「え…?」
―…‥
息を切らしながら、エースは見なれたそのアパートのドアを叩いた。
「はーい」とのんきにそう返す声に、さらに苛立ちが増す。
うそだ、うそだ、
なにかの間違いだ、
だって、おれは、なにも、
「すみません、お待たせしまし、」
手にハンコを持った***が出てくると、エースはたまらずドアを目いっぱい開いた。
「エ、エース…!!び、びっくり、どうしたのいきな、」
「***!!うそだよな!?おまえっ、おまえが、……………!!」
エースの言葉は、そこで止まった。
その続きを口にしなくても、もう答えがわかったからだ。
生活感のあったその室内は、もはやそれを失っていて、ダンボールが所狭しと積まれている。
「…………………ほんとなのかよ。」
「…………………。」
「ほんとに、…………………アメリカ行くのかよ…!!」
「エ、エース、」
「なんでだよ!!なんでそんなこと…!!勝手に一人で…!!」
「お、落ち着いてエース、とりあえず中に…」
***はエースの手を引くと、室内へと招きいれた。
「ちょっと座りにくいけど、空いてるところ座ってて?今お茶淹れるか、」
「いいからおまえも座れよ。茶なんてする気分じゃねェ。」
「…………………。」
エースの有無を言わさぬその様子に、***は黙って従った。
「……………なんで勝手に決めたんだよ。」
「…………………。」
「そんな大切なこと、なんでおれに黙って…」
「…………………ごめんなさい…」
***はぽつり、呟くようにそう口にすると、小さく頭を下げた。
「謝れって言ってんじゃねェ。なんでか聞きてェんだ。」
「…………………。」
「そんなにおれは、頼りねェのかよ。」
「…………………。」
「言わなくてもいい存在だって、……………そう思ってたのか、」
「ちがうよ、エース。そんなんじゃない。」
そう強く否定をして、***は首を横に振った。
「じゃあなんで…!!」
「自分ひとりで考えなきゃって、そう思ったの。」
叫ぶように問い掛けたエースに、***はゆっくりと口を開いてそう答える。
「私のことだから、何にもとらわれないで、自分がこの先どうなっていきたいのか、考えたかった。」
「…………………。」
「エースに話したらきっと、」
「…………………。」
「話してるうちに、会えなくなっちゃうんだって実感しちゃって、」
「…………………。」
「実感しちゃったら、きっと、……………寂しくて、行きたくなくなっちゃって、」
「…………………。」
「また、エースに甘えちゃう、だめな私のままになっちゃうから、」
「甘えていいじゃねェか!それの何がダメなんだよ!」
***の言葉をさえぎって、エースがたまらず声を上げる。
甘えて、なにがいけねェんだよ。
おれたちは、恋人同士なんだ。
頼って、頼られて、
ずっと一緒にいられれば、それでいいのに。
「……………私ね、強くなりたいの。」
その***の言葉が、エースにはやけに大きく聞こえた。
「オヤジさんや、マルコさんや、…エースみたいに、」
「…………………。」
「大切なものを、自分の力で守れるように、」
***は、まっすぐにエースを見つめた。
その瞳の力強さに、エースは思わず息をのむ。
「自分に自信が持てるように、強くなりたい。」
「***…」
「ア、アメリカなんて、私には分不相応だって、オヤジさんにも、い、言ったんだけどさ、え、英語だってマルコさんみたいに話せないし、ははっ、」
「…………………。」
「……………それでも、オヤジさん、私にしかできないって、」
「…………………。」
「私のこと、信じてるって、」
「…………………。」
「だから私も、……………自分のこと、信じたい。」
「…………………。」
生半可な気持ちではないことが、エースには痛いほどよく伝わった。
いつもはふわふわしている***だが、いざとなれば芯の強い女。
そこに惹かれたのは、他ならぬ自分自身だ。
もうどんなに言っても、***がアメリカ行きをやめることはないと、エースは感じていた。
そして…
***が、自分との関係を、どうしたいと思っているのかも。
「だからね、エース、…………………私たち、」
「会いに行く。」
「……………え?」
***の言葉をさえぎって、エースはきっぱりと強い口調で言った。
「アメリカなんて、すぐだろ。」
「…………………。」
「連休だってあるし、1ヵ月に1回くらいは会えるよな!」
「…………………。」
「いまどき遠距離恋愛なんてめずらしくねェよ!」
「…………………。」
「電話も毎日する!あっ!あれ買おうぜ!電話するときカオ見えるやつ!」
「……………エース…」
「そ、それから、」
…………………なんだよ、
そんなカオすんなよ、
大丈夫だよ、おれたちは。
たった2年だろ?
春と夏と秋と冬を、2回、
2回だけ、離れて過ごせばいいだけだ。
ただ、それだけじゃねェか。
「大丈夫だ、***。おれ、***がいなくても頑張るから、」
「……………エース、」
「だから、これからも、」
「エース。」
はっきりとそう名を呼ばれて、エースの身体が小さく揺れる。
……………いやだ、
聞きたくねェよ。
「エースが大丈夫でも、……………私は大丈夫じゃない。」
「……………そんなことねェ。」
「声を聞いたら会いたくなるし、会ったらエースを日本に帰したくなくなる。」
「じゃあそのときは帰らねェ。」
「……………エースが会社来なかったら、みんなが困るよ?」
「***が寂しい思いするくらいならいい。」
「エース…」
***が、困ったように笑う。
…………………あァ、わかってるよ。
もう、決めてるんだろ?
「……………別れよう、エース。」
「っ、」
「私のことは、忘れて、」
「……………やめろよっ、」
「ちがう人とのしあわせを、」
「ふざけんな…!!」
***の腕を思いきり引いて、ベッドに無理やり押し倒した。
***の上に跨ると、乱暴に胸元を引きちぎる。
興奮しているエースとは裏腹に、***の表情は少しも変わらなかった。
エースは息を荒げたまま、***の首筋にカオを埋めた。
「……………行くなよ、」
「…………………。」
「おれのそばにいてくれ、」
「…………………。」
「ずっと一緒にいるって、言ったじゃねェか、」
「…………………。」
「おまえも、…………………おれを捨てるのかよ、」
「エース…」
すいぶん、勝手なことを言ってる。
自分のことだけ考えて、***の決意を踏みにじろうとしてる。
***のほかにも、女がいるくせに。
***がいなくなると思うと、
胸が苦しくて、
不安で、
寂しくて、たまらない。
「そうだよエース、………………私、エースを捨てるの。」
エースの頭を柔らかくなでながら、***は言った。
「バカな女だったって、……………最低な女だったって、そう思って、忘れて?」
カオを上げると、ふわり、綺麗に微笑む***のカオ。
その表情に目眩がして、目の前が真っ暗になった。
「さよなら、エース。……………いままで、ありがとう。」
―…‥
「おかえりエース!って、わっ、どうしたの?」
びしょ濡れのまま帰宅したエースの身体を支えながら、女は目をまるくする。
「傘持ってなかったんだね、ちょっと待ってて、」
そう言って離れようとした女の手を強く引いて、エースは自分の胸のなかに収めた。
「冷たいよー、エース、」
「…………………。」
「……………エース…?」
「…………………。」
「……………泣いてるの…?」
「…………………泣いてねェよ、……………男がそう易々と、涙なんて見せるもんじゃねェ。」
………………この言葉、
昔も、だれかに言ったな…
あれは、たしか、
…………………あァ、そうだ、
『……………でもね、エース、エースも大切な人が一人ぽっちで泣いていたら嫌でしょ?』
『あァ、おれに頼れよって思う。』
『みんな、エースの気持ちと同じなんだよ。』
『おれと同じ…?』
『うん、エースが一人で頑張ってたら、寂しいんだよ。』
『…………………。』
『だから、エースの大切なひとたちのためにも、エースももっとみんなに頼って?』
『エースは、一人じゃないんだから。』
…………………***…
「さみィ…」
「そりゃそうだよぉ、びしょ濡れだもん。」
……………身体じゃなくて、
心が。
エースは、女の身体を力いっぱいだきしめた。
「……………なァ、」
「ん?」
女の額におでこを寄せて、すがるように囁く。
「…………………暖めて。」
「……………ふふっ、今日のエースは甘えん坊だね。」
そう綺麗に笑って、女はエースの手を取った。
……………そうだ、
おれには、コイツがいる。
元々、別れようと思ってたんだ。
……………これで良かったんだ。
これで、
…………………なのに、
どうして、
だれか、教えて
どうしてこんなに、
胸が苦しいんだろう。[ 6/11 ][*prev] [next#]
[mokuji]
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