4

ミーティングルームに、必要な資料やモニターなどを準備する。


その手が時々止まって、それに気付いてまた慌てて手を動かす。


これを、多分もう30回以上は繰り返していた。


「…………………。」


考えてしまうのは、昨日のあの光景。


思わぬかたちで、エースの様子がおかしい理由が判明してしまった。


…………………まさか、


浮気、してたなんて…


再び、ピタリと手が止まる。


…………………いや、


あれは、『浮気』じゃない。


なぜなら、


私は、あの女性を知っている。


いつだったか、エースに借りた本の間から、ヒラリと何かが落ちた。


拾い上げたそれは、少し古びた写真。


そこには、しあわせそうに笑うエースと、


とても綺麗な、女の人。


その写真を見たときと同じように、私はまたあの日のことを思い出した。


3年前―…‥


「あれ?」


仕事からの帰り道、歩道に横たわるように座っている男性の姿に目を奪われた。


あれって…


エース、くん…?


同僚であるエースくんは、ふわふわとしたくせのある黒い髪と、整ったカオに散りばめられたそばかすが印象的だ。


配属された部署が違うため、あまり話をしたことはないが、仕事ができて女性にモテるエースくんの噂は、いろんなところで耳にする。


ど、どうしよう…


あんなところでどうしたんだろう。


私はしばらく迷ったが、ただならぬその様子のエースくんを放っておくわけにもいかず、おそるおそる近付いていった。


「エ、エースくん…?」

「……………んあー?」


私の呼び掛けに、エースくんがゆっくりとカオを上げる。


遠目で見ていたときには分からなかったが、強いお酒の匂いが鼻をついた。


「だ、大丈夫?」

「……………あれ…?おまえ、」


エースくんが、真っ赤なカオでへらりと笑った。


「***!***だよな?」

「あ、は、はい…あの、」

「なんでおまえこんなとこにいんだ?」

「あ、え、と…仕事さっき終わって、」

「おォ、そうか!」


おつかれさん!と元気に笑って、私の頭をぽんぽんとやさしく叩く。


「偉いなァ、***は…」


視点が定まらない様子で、エースくんは呟くようにそう口にした。


相当よっぱらってる…


「エースくん…立てる?おうちに帰らなきゃ、」

「帰りたくねェ。」

「……………え?」


突然のハッキリとした意思表示に、私は目をまるくした。


「……………帰りたく……………ねェんだ。」

「エースく、」

「……………アイツ、」


エースくんは、弱々しく、ぽつりぽつりと話し始めた。


「アイツ……………帰ってこねェんだ…」

「ア、アイツ…?」

「おれのこと、大好きだって……………言ったくせに…」

「…………………。」

「待っても待っても……………帰ってこねェ。」

「…………………。」

「海みたいな……………女でさ。」

「…………………。」

「気紛れで……………いっつもふらふらしてて…」

「…………………。」

「他に……………男いんのも知ってたけど…」

「…………………。」

「それでも……………よかったんだ……………一緒にいられれば…」


そこまで言うと、エースくんは大きな手でカオを覆った。


「……………愛してたんだ。」

「…………………。」


いつも明るくて、元気なエースくん。


みんな憧れてて、いつも輪の中心にいて。


悩みなんてあるのかな、なんて。


エースくんを見かけるたびに、そう思っていた。


…………………けど、


「……………エースくん、いまお水買ってくるからここに、……………っ!!」


そう言って立ち上がろうとしたところで、おもむろにグイっと強く手首を引かれる。


収まったのは、エースくんの胸の中だった。


「エっ、エースくんっ…!どどどっ、どうし、」

「***はやさしいなァ。」


そう柔らかな声で囁かれて、思わず身体がビクリと揺れてしまった。


「……………なァ、」

「…!!」


エースくんの潤んだ瞳が、至近距離で私を捕らえる。


「慰めてよ……………***。」


目を閉じて、苦しげに眉を寄せながら、エースくんが額を私のそれに寄せる。


「一人でいたくねェ。」

「……………エースく、」

「頼む、***…」


ゆっくりと目を開いて、すがるように言った。


「抱かせてくれ。」


…………………エースくんが、


あの、エースくんが、


私を求めてくれている。


そう思うと、胸がどうしようもなくきゅっと疼いた。


…………………ほんとは、


ずっと、エースくんを見ていた。


太陽みたいに笑うところが、


とても、素敵だなって。


……………好きだなって。


ずっと、そう思ってた。


私は、答える代わりにエースくんにキスをした。


すると、エースくんは一瞬驚いたようなカオをしたけど、その後でゆっくりと目を閉じた。


……………付き合ってもいない人と、こんなことするなんて。


頭ではそう思っていても、


身体はとても正直で。


ずっと憧れていたその人に、求められたのがうれしくて。


なにより、


また、笑ってほしくて。


私は求められるがまま、甘くてせつない夜に溺れていった。


そして、それから何日かたったある日…


「…………………あ。」

「……………あ…」


給湯室でお湯を沸かしていたら、偶然エースくんが姿を現した。


「あー…えっと、」

「おつかれさま、エースくん。」


気まずそうに頬を掻いたエースくんを見て見ぬふりして、私はいつもどおりに挨拶した。


「ごめんね、もう少しで終わるから。」

「あ、あァ…」


シュンシュンとお湯の沸く音と、自分の鼓動の音だけが耳に届く。


……………落ち着け、落ち着け。


いつもどおり、いつもどおり。


もし、少しでも動揺を見せたら、


エースくんの重荷になる。


マグカップに素早くお湯を注ぐと、私はスルリとエースくんの横をすり抜けた。


「じゃあお先に…」

「…………………あ…」


そのまま立ち去ろうとしたその時、


「……………***!」


突然エースくんに呼び止められて、私は慌てて振り返った。


「はっ、はい!」

「あ、あのさ……………その、」


エースくんは少しだけ俯くと、思いきった様子でカオを上げる。


「今日メシ行かねェか?」

「…………………へ?」


エースくんのその言葉に、私は思わず情けない声を上げる。


「すぐ近くにうまいメシ屋があってよ!」

「…………………。」

「仕事終わったら、一緒に行かねェか?」

「…………………。」


……………ど、どうしよう。


すごくうれしいけど…


このまま、好きな人と身体だけの関係になっていくのは、正直辛い。


「あ……………え、と…」

「あっ!!ちょっ、ちょっとまった!!」


どう断ろうかと言葉を選んでいたら、突然エースくんが慌てたようにそう叫んだ。


「セックスなし!」

「……………へ?」

「あー……………だから、」


照れたように視線を泳がせた後、エースくんは大きく息を吸った。


「今日は、メシ食うだけ。」

「…………………。」

「ほんとそれだけだ。だから、」

「な、なんで…」


そう呟くように口にすると、エースくんは少しだけカオを赤くしてまっすぐに私を見つめた。


そのあまりにも真剣な表情に、胸がきゅうっと悲鳴を上げた。


「***のこと、もっと知りてェ。」

「え…?」

「あのまま終わるの、嫌なんだ。」


……………う、うそ。


ほんとに…?


……………どうしよう。


うれしくて、泣きそう。


「あ、も、もし今日他に予定があったら、また明日か明後日にでも、」

「たっ、楽しみ!」

「へ?」


私のその言葉に、エースくんは目をまるくした。


「あ、だから、その、……………今日楽しみにしてるね、エースくん!」

「…!!……………おう!」


そう言うと、エースくんはまた太陽みたいに笑ってくれた。


それから、何回かデートを重ねて。


1ヶ月後くらいにキスをして。


その2ヶ月後には旅行に連れていってくれた。


その日の夜は、最初のときとは全然違くて。


とても愛しそうに、私に触れてくれた。


ハッキリとした言葉はなかったけど…


それでもエースは、私を大切にしてくれた。


愛されてるって、実感してた。


…………………なのに、


そんなことを考えていたら、ミーティングルームのドアが開いた。


その人物を見て、私の胸はドクリと音を立てる。


「エース…」

「***…」


……………そ、そっか…


このミーティング資料、エースたちの…


「あ……………おつかれさま!」

「あ、あァ…おつかれ。」


エースはぎこちなく笑うと、私のとなりに座った。


「昨日悪かったな。メールと電話、全然気付かなくて…」

「ううん、大丈夫だよ。」

「資料、助かった。せっかく来てくれたのに会えなくてごめんな。」

「…………………。」


結局あの後、しばらくしてからエースの家のポストに封筒を入れて帰った。


『忙しいかな?ポストに入れておきます。』というメールと一緒に。


……………臆病な自分に、ほとほと嫌気がさしてしまう。


「***?どうした?」

「えっ、あっ、うん!ちょっとぼぉっとしちゃった。」


いつものように笑ってそう返すと、エースはほっとしたように頬を弛める。


「じゃあ、頑張ってね!」

「おう、ありがとな。」


私は席を立つと、ドアまでの距離を足早に歩いた。


ドアを開けようとして、その動きが止まる。


そっと後ろを振り返ると、


見慣れているはずの、エースの大きな背中。


それがなぜか、知らない人のものに見えて。


私はどうしようもなく胸が苦しくなって、逃げるようにしてその場をあとにした。


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