Call my name,darling?

ヘンな女に目をつけられた。


キッドは車両をキョロキョロと見回すと、ふぅ、と小さく息をついた。


……………よし、今日はいねェな。


そう安堵したのもつかのま、あの悪魔のような呼び掛けがキッドの耳に届く。


「チューリップさん!こっちですこっち!」

「……………マジかよ。」


キッドは、うれしそうに手を振るその女を一瞥すると、くるりと身を翻して逆方向へ歩を進めた。


女はそのキッドの様子を見て、慌ててその後を追う。


「チュ、チューリップさん…!こんにちは!」

「寄んなしゃべるなうぜェ死ね。」

「今日も辛辣!さすがキング・オブ・ツンデレ!」

「おれがいつデレを見せたクソ女!殺されてェか!」

「嫌です!死んだらチューリップさんに会えなくなる!」

「一石二鳥だ!いますぐ息の根止めてやる!」

「じゃあせめて死ぬまえに一回だけ私と下半身つなげてくださ」

「アホかてめェはァァァァァっ!!」


ぜぇぜぇと息を切らしながら、キッドは大きくため息をついた。


「今日もカッコイイです!チューリップさん。」

「…………………。」


そう言ってニコリと笑うと、女は車両の窓の外に目を向けた。


今日も晴れましたねぇ、などと、キッドにとってはどうでもいいことをうれしそうに呟きながら、いつものように女はキッドのとなりで笑った。


あの、唐突な告白から1ヶ月。


毎日のように女に付きまとわれて、キッドのイライラは日に日に増していった。


おどしても睨んでも怒鳴っても女はいっこうに怯む様子はなく、毎日キッドへ会いにくる。


……………うぜェ。


なんだってこんなのに懐かれなきゃならねェ。


まったくもって、タイプじゃない。


1ミリも好きになれそうなところがない。


もう少し身体つきがエロければあそんでやってもよかったが…


キッドはまた大きくため息をついた。


「ため息つくとしあわせ逃げちゃいますよ、チューリップさん。」

「うるせェ黙れ。それとそのチューリップさんってのやめろ。」

「チューリップさんがなまえ教えてくれないからじゃないですか。」

「おまえに教えるくらいならカエルにでも教えたほうがまだマシだ。」

「…………………。」

「……………なんだその目は。」

「いまカエルに話しかけてるチューリップさんを妄想したんです……………かっ…!かわいいっ…!」

「…………………。」


いいだろう。


もう殺っても。


キッドの胸にどす黒い感情が芽生えたとき、ふと女がキッドに尋ねた。


「チューリップさん、いつ私のなまえ呼んでくれるんですか?」

「一生呼ぶつもりはねェ。」

「またまた!まさか私のなまえ覚えてないなんてそんなことは…」

「…………………。」

「え、うそですよね。ジョーダンですよね、そんなの。だってあんなに毎日…」

「…………………。」

「…………………チューリップさんって、」

「……………あ?」

「あたまが悪いんですね…」

「よし、せめて苦しまずにあの世へおくってやる。覚悟きめろバカ女。」

「あっ!私ここでおりなきゃ!」

「てめっ…!まてこらクソバカ女ァァァ!」


キッドのその叫び声を聞きながら、女はヒョイっとホームへ着地した。


「またね、チューリップさん!」


そう言いながら、女はキッドに向かって手を振る。


キッドはそれに答えることなく、視線を逸らすと、空いた席にドカリと座った。


…………………疲れる。


あの女といると、心身ともに疲れる。


いつになったら解放されるのか。


……………あの様子じゃ、当分それはなさそうだ。


キッドはそれを思うと、心の底からため息をついた。


―…‥


翌日、キッドはいつものように車両を見回した。


……………よし、いねェ。


心の中でそう安堵はしても、すぐにまたあのヘラリとした声で『チューリップさん!』と呼ばれるのだろうと、いつものように覚悟した。


…………………しかし、


「…?」


その声が、いっこうに聞こえてこない。


不思議に思って再び周りを見回したが、


その姿は、どこにもなかった。


…………………もしかして、


解放された……………のか?


「なんだったんだ…あのクソバカ女。」


……………意外と根性なかったな。


まァ、いい。


これでやっと、平和が戻ったんだ。


キッドは晴れやかな面もちで悠々と空席に座った。


―…‥


翌日も、キッドは車両を見回した。


……………よし、今日もいねェ。


キッドは安堵すると、ピタリとその足を止めた。


『チューリップさん!こんにちは!』


「…………………。」


今日も、その声は聞こえない。


……………まァ……………あれだ。


まだ安心はできねェな。


いつまたひょっこり現れるかわかんねェし。


キッドは、なんとなく落ち着かない気持ちになりながら、空席に座った。


だが、翌日も、そのまた翌日も、


女が現れることはなかった。


そのまま、5日がすぎた。


キッドは車両に乗りこむと、周りを見回すことなく空席に座った。


もう、


あの声が聞こえることはない。


「…………………。」


なんだ。


なんなんだ、あの女は。


勝手に惚れて、


勝手に付きまとって、


……………勝手に、いなくなって。


「うぜェにもほどがあんだろ…」


根性のねェ女は、嫌いだ。


いなくなって、せいせいした。


……………あんな、


『チューリップさん!』


「…………………。」


……………くそ…


なんだってんだよ。


―…‥


翌日、キッドはまた周りを見回すことなく車両に乗りこんだ。


「…………………。」


…………………やっぱり、今日もいねェな。


そんなことを考えながら、ふと、後ろを振り向いたときだった。


「…!」


ホームに呆然と立っている、あの女と目が合う。


「!!」


女は、キッドに気付くと、くるりと身を翻して車両とは逆方向へ慌てたように走っていった。


「なっ…!」


キッドは、考えるよりも早くその後を追った。


「…!!まちやがれっ!!このクソバカ女っ…!!」

「やっ…!!こっ…!!!こないでくださいっ…!!」


「あァっ!?」


女はスピードを上げて、ホームから遠ざかっていく。


周りの客が妨げとなり、思うように追いつくことができない。


「くそっ…!!」


ほんとになんだってんだっ…!!


おまえなんか、いなくなろうがなんだろうが、おれはっ…!!


「…!!まちやがれっ…!!










………***っ…!!」










その呼び掛けに、ピタリと***が動きを止めた。


キッドは***に追いつくと、その腕を思いきり掴んだ。


「このっ…!!クソバカ女ァっ…!!」

「はっ…!離してくださいっ…!」

「ふざけんなてめェっ…!!ワケを言えっ…!!」

「そっ、それはっ…!」


なぜか***は必死にカオをかくすようにしている。


「…!!こっち向きやがれっ…!!」


ぐいっと力まかせに腕を引いて、女のカオをこちらへ向かせる。


そのカオをみたキッドは、唖然とした。


「おまっ………なんだ、その目…」

「ぎゃあああああっ!!見ないでくださいいいいい!!」


***の目が、なぐられたようにぷっくりと腫れている。


「もっ、ものもらいができちゃってっ…!」

「………ものもらいだァ?」

「私だってっ…!チューリップさんに会いたかったけどっ…!なかなか治らなくてっ…!」


こんなカオ好きなひとに見せたくなかったあああ!と、***は泣きくずれた。


「そんな………そんっなくっだらねェ理由でひとを避けやがってこのクソバカ女ァァァっ!!」

「くだらなくありませんっ!!恋する乙女ならあたりまえです!!」

「なにが乙女だ!!だいたい、ものもらいがあろうがなかろうが大してかわんねェよ!!」

「ええ!ひどい!」


キッドは大きくため息をついた。


……………疲れる。


やっぱり、この女といると、疲れる。


…………………でも、


「チューリップさん…」

「……………あんだよ。」

「………私の名前、覚えててくれたんですね…」

「あ?」

「さっき、呼んでくれました…」

「……………あァ…」


そういえばとっさに叫んだな…


「…あんだけ毎日聞かされてりゃ嫌でも覚えんだろ。」

「うれしい…」

「…あァ?」


***がぎゅっと目をつむって、涙を我慢しながら言った。


「うれしいです…チューリップさん…」

「…!」


その表情に、キッドの胸がどくんとひとつ、大きくはねた。


Call my name,darling


……………まァ、


そろそろ、名前くらい教えてやるか。


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